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その後、無事に屋敷を出発した二人は、午後の陽にやわらかく照る通りをてくてくと進んでいた。
捧げられた文には「町外れの一本杉の下にて待つ」とのみあり、特に時間指定なぞはないらしい。まぁ、その末期には「一日中待っている」とあるものだから、何時行ったって一緒なのだろう。
足並み揃えて往来を行く傍ら、成実が面白そうにを見やってにやにやと笑う。

「さすが、梵が直々にちゃんへつけただけあって、肝の太い小母さんだね」
「いい人ですよ、とっても」
「そうだね、君と違って女の嗜みには情熱的みたいだし? できる限り可愛く可愛く仕立ててくれてるじゃん、いやぁ、こりゃアイツが見てどんな顔するか…」
「それ以上口にしたらこの痴漢やろうって叫んでやる」
「わっ、ごめんごめん!」

顔は笑ったままで謝罪する成実に、ふっと可憐な吐息を吐いて話を切り上げると、は首を巡らして道を図る。
昼最中の柔らかい光の中で、賑わいは雑多だが、喧しくはない。すっかりと春めいて穏やかな日中、外に出られただけでもめっけものか、と暢気な彼女はそう捉えていた。
さほど口喧しく言い咎められはしないが、だからこそ今は思い切りよく好き勝手には出来ない。外にでるといえば専ら庭先、その周囲、若しくは定期的に誘いが掛かる禅寺への道程だけである。
で、あるからして、"町外れの一本杉"といわれたところで、実のところまったく判らないのである。
相手が態々そう書いてくるという事は、町の人々にとっては慣れ親しんだものなのだろう。なのでまぁひとまず歩いていればいつか判るかな、と思っていたが、やっぱり現実は甘くないというか、いや寧ろ当たり前じゃないかというか、さっぱり皆目見当もつかず、なんだか賑やかなところまできてしまった。町外れ? 真逆である。
こういう風に迷うだろうなという懸念も勿論あったが、その分ぶらぶらできるのであればいいかな、という下心があったのだ。よって、第一希望は叶った。問題は、このあと。如何にして成実にばれず、最終的な目標を達成する道に戻るかである。
当の彼は暢気そうに辺りを見回して、賑わいの中でぐぐっと伸びをしている。こっちの思惑にはまだ気付いていそうにないが、人となりが人となりである。まだ油断は出来ない。
そこまで考えて、不意に、は可笑しくなって笑ってしまった。

「? 何、突然」
「いえ…」

くすくすと重ねて笑うを成実が不思議そうに覗き込んで、首を傾げる。最後にもう一度首を振って、なんでもないですとが言った。
すっかり、馴染んでしまったものだと思う。
人となりまで考慮に入れた上で、先を読むようになってしまった。それが、まるで呼吸するように、当たり前に出来るようになったのだ。
それがいいのか悪いのかは判らない。判らないが、

「あ、そういえばさ、ちゃん」
「はい?」
「元気そうだから忘れてたけど、身体は大丈夫なの? 小十郎の話じゃ、刀傷が膿んで緑青の毒が中々引かないとか何とか言ってたけど…」
「ああ、ええ、それでしたら少し昔の話で、最近はもうすっかり。その節はご心配おかけしました」
「ほんとだよまったく。女の子なんだからさ、瑕なんか残しちゃ駄目だよ」
「はい、ごめんなさい」
「…ま、悪いのは俺だけど」
「もう、まだ言ってる。違いますよ」

苦笑するに、成実もすっかりとくつろいだ様子で肩を竦め、同じく笑う。
彼は、が米沢へ運ばれ、面会謝絶が解かれるや否や、いの一番に見舞いに来てくれたのだ。
彼だけではなく、小十郎や鬼庭綱元、原田宗時など、見知った顔が次々に訪れ、礼と謝罪を述べ、侭ならない身体を一生懸命に慮ってくれた。
正直、戸惑いが強かった。だって褒められることなど何ひとつしていない。自分のことしか考えていなかったのだから、傷つき臥して当然なのだ。それを、こうして匿っても貰うなど、きっと、途方もない甘えなのだろう。
けれど、不謹慎なことに、少し胸が震えたのも事実だ。

ちゃん?」

笑いを収め、ふと黙り込んだ自分に気付いて、成実が覗き込んでくる。
そこでやっと、思考の海に沈みかけていた自分を自覚して、は慌ててはみ出しそうになった泥を胸の内に仕舞いこんだ。
なんでもないと首を振るも、納得とは言いがたい顔で彼は首を捻っている。そこで、は今まで黙っていた真実をあっさりと口にして謝った。すると案の定彼は仰天し、呆れ、仕舞いには「ちょっと待ってて」と言い置いてから、そのあたりの町人に道を聞きに往く。
てきぱきとしたその行動と横顔を見つめながら、思考はやがて色濃く映える血の面影そのものへと傾いていた。






片倉小十郎景綱がその屋敷へと足を踏み入れたのは、陽が既に最上を過ぎて、徐々に傾きだすかという頃合であった。まだ燦々と照る陽光は正午を迎えたときよりも温かく感じ、風も温く裾を巻き上げる。慣れ親しんだ庭先には文目の濃藍が群生していて、弛む春の日差しの中にて鮮烈と共に咲き誇っていた。

「出掛けられた? どちらへ」

屋敷本来の主の来訪は本当に突然であり、下働きの者どもは揃いも揃って仰天していた。慌しく礼を尽くすので、少し騒々しい。驚かせてしまったことに申し訳なく思いながらも、だからといってそこまで狼狽するのも何か不思議な話だなと、小十郎は暢気に考えていた。
そこに、加えての問いを与えれば、明らかに皆々へ動揺が走った。目を逸らし、言葉を濁らせ、何も言わない。
流石におやと眉を顰めるのへ、ようやっと預かっている娘の身の一切合財を任せている女が現れ、恭しく膝を突いた。

「ご健勝のご様子、心よりお喜び申し上げます。よくぞお戻りくださりました。姫様もお喜びになりましょう」
「その、姫様の姿が見えないようだが…」

先駆けて来た武装姿のまま、小十郎は首を傾げて辺りを見回す。女はその様子に顔を上げて、溜息を吐きながら口を開いた。

「恐れながら申し上げますわ、小十郎様。なぜ藤五郎様を先にお帰しになられましたのか。わたくし一人では、あの姫様の手綱が精一杯。二頭の奔馬は御し切れませぬ」
「…待て、何の話だ」
「姫様は藤五郎様と共に御出になられましてよ」
「は」

瞬く小十郎は暫し固まっていたようだが、やがて自体を粗方推測したのか、思い余って勢いよく立ち上がった。

「何故止めない!」
「勿論、御止め致しましたとも。だから御しきれぬと申しているのです」
「だが、それがお前の役目だろう!」
「藤五郎様は伏兵ですわ。如何な万全に供えた軍の前といえど、一転突破の奇襲にはすぐさま応じる事は不可能…あら、失礼致しました。軍師殿の前で致す喩えではございませんわね」

ほほ、と遠慮会釈もないようすで言い切った女は、粋な袖を口元に充てるや、努めて淑やかに笑いを噛み殺した。年嵩とはいえ、両者の身分を問えば比べるべくもない。にもかかわらず、男は言い募られてぐっと黙り、冷や汗を掻いて後退った。己の二倍近く生きてい人間であるということ、加え、叩き込まれた女性優位の精神が確固たる態度を覆すのだ。情けないことこの上ないが、自分ではどうする事もない性癖である。
しかし、此処は言い澱んでいる場合ではない。場は切迫しているのだ。

「兎も角、御連れ戻さねば。どちらへ行かれたかは聞いているだろう? 私が迎えに行く」

武装すら解かないままに小十郎が急かすので、さしもの女も笑いを納め、不思議顔で首を捻る。

「御心配なさらずとも、一刻ほどで戻られると仰っておられましたよ。今宵の登城の命は既にお伝え申し上げておりますし、姫様も弁えておいでだと」
「いや、それでは遅い」
「…何を御急ぎなので?」
「……手違いがあってな」

手違い、と口にする女に、小十郎は刹那迷った様子だが、しかし何事かを口にしようとして唇を動かす、まさにその時。
突如として、表の騒乱がなお一層酷いものになった。






「…あ、あの方です」

が声を上げ、まだ距離があるにもかかわらず、そう断言して歩調を強める。成実は心得て、何も言わずにそのまま足を止めた。
町外れ、とは言えど、別段広げるではない野っ原の上、身を隠す場所など些細だが幾らでもある。手近な陰にでも隠れるかと思案する彼に、少し進んでからが振り返った。
不思議顔である。

「如何されました?」
「如何って…いや、一応お邪魔でしょ。幾ら袖にするって言っても、部外者が一緒にいちゃ、ねぇ」

目的の一本杉は市外へと流れ出る水路脇に深々と根を張る、なるほど見事な大樹であり、町民であれば誰でも知る有名な木であった。陽光に晒される春先の柔らかな新芽が目に優しく、緑蓋は透き通って地に斑を寄越していた。
その麓に、裕福そうな身形の若者が一人、そわそわと立ち尽くしている。
可哀相になぁ、と成実が見つめるのに、がきょとんとした顔で首を振った。

「逆ですよ。一緒に行って頂いた方が、あちら様も納得してくださると思います」
「へ? 何それ、俺に美人局やれってこと? いやぁちゃんそりゃ幾らなんでも俺の命が…」
「だって、誤解を解くには第三者の出現が一番有効なんですもの。協力してくださいね」
「誤解?」

何の、と問い返す間こそあれ、成実の腕を取ったが引っ張って、ずいずいと目的の若者のところへと進んでゆく。
気配に気付いたか、影が差したか、顔を上げた若者の顔がぱっと悦びに綻んだ。鼻筋の通った、中々の男前である。町人らしい背格好だが、遠めに見たとおり、古着ではない紬の着流しに身を包んで、立ち姿もしゃんとしている。の姿を目に入れたその顔には、安堵と、意気込みが見える。
彼は大樹の元から走り寄ると、勢いよくの空いた手を取り上げ、上下に振った。

「御嬢様、来て下さったのですね!」
「ええ、こんにちは」
「ああ良かった! では、あの文でのお願いの次第、ご承諾頂けるという事で…」

成実には目も呉れずの、矢継ぎ早の言葉である。
なんだか、厭な予感がするな。
そんな彼の前、全く艶っぽい雰囲気に陥らない男女二人は、引き続き暗雲立ち込める会話を繰り広げている。

「いえ、申し訳ありませんが、本日は重ねてのお断りに参りました。先日も申しましたとおりです。お力になれず、心苦しいのですが…」
「そんな、御嬢様。そこをどうにかお願い致します。貴女様をたっての方とお見受けしてのお願いなのです。不躾は重々承知、この伝、事がうまく運んだ暁には必ずやご恩をお返しする所存で…」
「おいコラお前らちょっと待てー、一体なんの話をしてるんだー」

堪らず口を挟んだ成実を二人分の視線が振り仰ぐ。そこでやっとがあ、と声をだした。

「そうだ忘れてた。成実さん、成実さんからもご説明して差し上げてくださいな。わたしにそんな力はないって」
「は?」
「おお、あなた様もお武家の方でござりまするか!では、重ねてお願い致します、どうか我が家をお救い下さい!」
「へ?」
「伝七さん、お気持ちは判ります。でも、こういう問題は大抵いずれ時が解決してくれるものですから…」
「それじゃぁ遅いのです! これが私の落ち度一辺倒なのであれば大人しく身を引きます。ですが、理由が理由。大人しく引き下がるわけには参りませぬ!」
「あのさ、平たく聞いていい? わざとやってんの?」
「え、なにをですか?」
「いや全部」

今度こそ、成実は盛大に心を引き攣らせながら、脱力の一歩手前で踏ん張りつつに向けて言葉を搾り出していた。なんだかよく判らないが、事の次第は彼女以外が考えていたような、安っぽい三文芝居の横恋慕とは訳が違うというのが真相みたいである。
確かに、彼女は一言だって"聞き知らぬ異性から恋文を頂いた"などという事は口にしていない。していない、が、そうか、こうくるか。成実が黙って天を仰ぐ。
いや、凄い凄いぶっ飛んでると思ってはいたが、よもやこれほどとは。お釈迦様もびっくりなズレ具合である。

「…とりあえず、話を聞こうかな」

以下、舌足らず言葉足らずのに代わり、若者が説明したことの次第である。
彼の名は伝七郎といい、米沢でも有名な部類に入る植木屋の跡取り息子であるという。ちなみに既婚、三人の子持ち。夫婦仲は順調だそうな。
植木屋といってもその商売は広く、上級武士の屋敷に招かれての庭手入れから、食べられる野菜の苗鉢売りなどという庶民的なものまで扱い、人柄も相俟って商いは順調。商売っ気は持ちつつも強欲ではない先代方の教えを堅実に護り、このままの規模で自分の息子が後を継いで呉れるまで、手堅く商売を続けていければ…、そう思っていた矢先の出来事だった。
通りを二本挟んだ向かいに、"安倍屋"という、聞き慣れぬ名で新たに植木屋が商売を始めたというのだ。
それだけであれば別段気にすることでもない。商売敵ではあるが、他所は他所。昔馴染みと贔屓筋に失礼のないような真摯ささえ持っていれば、少しばかり一見が減ったとて、大勢に影響はないと踏んでいた。
ところが、どうだ。十日経ち、二十日たったところで、一見どころか馴染みも贔屓も、ぱったりと彼に注文を寄越さなくなる。
元々さほど頻繁に必要とはならない植木屋の仕事、だからこそ愛想と礼儀と信頼関係が鍵となるのだ。
贔屓先が多いと、何か油断をしたのか。若しくは心根が傲慢になり、仕上がりに波が起きたのか。
侭ならぬ自然を扱う指先、それは繊細な感覚と長年の経験がものを言う世界である。鋏の入れ方一つ、下草の避け方一つの違いで、全体の赴きががらりと見違えるのだ。
しっかりしなければ、と彼が自分を責めてより一層丁寧な商売を心がけども、日に日に商いは傾いて行くばかり。
景気が悪いのかとも思えど、そういうわけではないようだ。伊達家のお膝元というだけあって人の行き来も多いし、この頃は態々と堺辺りからの商人も頻繁に上がってくる。
では、一体何故。
困窮し首を捻る彼の耳に、ある衝撃的な事実が届いたのだ。

「…んで、それが"奥州伊達家の後ろ盾"ってわけなのね」

くっだらねぇー、と吐き捨てたいのを我慢して、一頻りを黙って聞いていた成実が仕舞いを締めくくった。何を言うでもなく瞬いているとは違って、伝七郎と名乗った若者は今にも縋らん勢いで、今度は成実に詰め寄っている。

「どうか、お願い致します! 伊達家の後ろ盾などを振りかざされては、手前共の商いが干上がるのは必死! 片倉家といえば、伊達家に御仕えする名門中の名門。その御嬢様と縁のあるあなた様なら、お取り成しも容易でございましょう?」
「いやぁ、まぁ、簡単かどうかっていわれりゃ、そりゃまぁそうだけどさぁ…」

御嬢様ってさぁ、と成実がちらりとを見る。
その何とも言え無い視線に対し、もしみじみと溜息を吐く。

「その辺りは、それとなーくご説明したんですけど…」
「その、それとなーくが曲者なんだよね、ちゃんってさ。なんて言ったの?」
「えっと、私は片倉のお屋敷にご厄介になっているだけであって、取り成しどころか意見なんて言える立場じゃないってこととか」
「いえ、存じておりますとも。それは貴女様の表向きのお姿。本当はやんごとなきご身分であらせられるのでしょう?」
「いやもう、全然全くそんな事は」
「不躾ながら、あちらの御宅の御女中殿が、貴女様を"姫様"とお呼びするのを御聞き致しました」
「ぅあっちゃぁ〜…」

流石商売人、地獄耳である。

「本来なら、手前のような者がお声をかけることすら憚られる御方なのでしょう。その御方に、こうして見知る機会が出来たのは、最早天のお導きと考えて相違ございませぬ。どうかお二方、この哀れな商人にお力添えを。最近はますます手前どもへの嫌がらせも増しまして、馴染みの方へ脅しのような行為も始めている様子…、皆暴力に脅えて、鉢植え一つ、種一つすら買うにも躊躇われるようになりました。このままでは六代続いたこの商いも絶え、一家離散、ひいては自らこの世を去る覚悟……」

最後はほぼ言葉にならず、若者は上等な衣の袖で涙を拭いながら感極まり、よよよ、と腰を折る。成実は遠慮なく頬を引き攣らせて後退したが、は一転柳眉を寄せて屈み込み、顔の見えない若者の視線を追いかける。

「まあ、そんなに酷いんですか。そのお相手の…、なんでしたっけ、あべかわもち屋さんでしたっけ?」
「安倍屋です」
「真面目に聞いてなくない?」
「嫌がらせなんて、そんなこと前は仰ってませんでしたよね」

成実には答えず更に言葉を重ねるへ、若者は震える声ではい、と顔は上げぬままに続ける。

「一介の商人にお武家の後ろ盾などというきな臭い物、幾ら手前どもでも鵜呑みになぞ致しませぬ。ですが、嘘か真か見定めるなぞ、それこそ更に見当もつきませぬ。そこのところへ、ここしばらくの伊達様の目覚しいご活躍ぶりが追い風を与えたのでしょう。おおっぴらには行わなかったことも、最近ではあからさまで…、しかし、逆らうと伊達家からばちが下ると申されては、もう如何する事もできず…」
「そんなことまで?」
「はい。自分たちに逆らうことは、伊達の殿様に楯突くと同じと心得よ、と。この間なぞは、父の代からの馴染み筋が手前に仕事を下さったのに対して、喧嘩と見せかけての仲裁を加えたとかで、御主人が腕と足を折られてしまい…」
「まあ…」
「うーん…あいつ植木に興味なんかあったっけなぁ…」

首を捻る成実の前、が突如すくっと腰を上げた。
そのまま持ち上げた両手で握りこぶしを作り、なんだか気合を込めている。

「判りました。そこまで酷いのなら、ちょっとわたしガツっと言ってきます」
「は、え、えっ!?」

なんだその心がわりは、とギョッと目を剥く成実の前、憤慨に顔を顰めたが天に向かって吼えている。

「口先であれこれ言っているだけならいずれ厭きるだろうと思ってたけど、他所様にご迷惑をかけるばかりか、暴力だなんて。言語道断だわ、捨て置けません」
「いや、ちょっ、待て待てま」
「真でござりまするか、御嬢様!」

途端、さっきまで泣いていたはずの伝七郎が輝くばかりの笑顔を見せ、握りこぶしを作ったの手を取る。

「流石、手前が見込んだ方にござります! きっとそう仰ってくださると信じておりました!」
「でも、あんまり期待しないで下さいね。何時かも申し上げましたけど、わたし自身はそう大層な人間じゃないですから」
「いいえ、御口添えだけで十分です。真に片倉様縁の方の取り成しとあらば、やつらも脅えて目立った行動は控えるはず。同じ商い同士の勝負となれば私とて、負ける謂れはございませぬ」
「よーし、じゃあ言うだけ言ってきます。伝七さん、案内してください」
「畏まりました!」
「畏まんな!」

そのまま、二人揃って歩き出そうとするのへ、成実が勢いよく割り込んでの手を剥ぎ取った。そのまま彼女の背をぐいぐいと押して若者から距離をとると、詰め寄って声を荒げる。

「何考えてんの! 明らかにちゃんが行った所でどうにかなる問題じゃないじゃん! 大体、断る心算で来たんでしょ、なに乗せられちまってんだよ!」
「だって、成実さんもお聞きになったでしょう? 関係ない方々にも被害が出てるのなら話は別です。わたしが出て如何にかなるかも知れないなら、やらないよりやるほうがいいじゃない」
「だとしてもさ! 如何に気安いって言っても、武家は武家、商家は商家だ! 立場ってもんがあるでしょ!」
「今のわたしには遠いものね」
「っ、!」

むっと顔を顰めて成実が詰まった隙、案外敏捷に彼女は腕の拘束を掻い潜った。そのまま伝七の元へ駆け寄ろうとするので、さしもの成実も堪りかねて口を大きく開いた、その瞬間。

「旦那様、こちらでしたか!」

しゃがれた金切り声が上がり、出鼻を挫かれる。
三人揃って振り返れば、市井に通じる通りからずんぐりした男が駆けてくるところであった。

「おお…、ご安心下さい、あれは手前の店の番頭です、…どうした?」

伝七郎が冒頭だけに言って、あとは息せき切って駆けて来た初老の男に問い返せば、白髪が目立つその男は青い顔で息も絶え絶えに叫ぶ。

「い、急いでお戻り下さりませ! 安部屋のやつらが遂に店にまで押しかけて…!」
「な、なんと!」
「まあ!」
「す、凄い厭な予感…!」

三者三様に驚愕の声を上げると、かけてきた番頭は荒い息ながらに驚いたようだが、すぐにそんな間はないと頭を切り替え、彼は自分の主人に詰め寄る。

「やつら、旦那様の不在をいいことに好き放題…! お、お止めしたのですが、今奥様が仲裁を…!」
「なんだと! そ、それはいかん、断じていかん! 戻るぞ!」
「へぇ!」
「御嬢様もお早く!」
「あ、はい」
「おいコラお前! どさくさに紛れて!」

案外に流されやすいまま、促されて駆け出すをしぶとく成実が遮るが、当の本人がやはりやんわりとそれを拒絶する。

「大丈夫ですよ、ちょっと行ってきます。成実さんは来ないほうがいいかな。まさか本物が来ちゃうと余計混乱しそうだし」
「あのねぇ、俺がはいそうですかって聞くと思う?」
「思います」

が即座に笑って頷く。根拠のない即断に思わず詰まる彼へ、奔放な姫君は駆け出しざまに止めを刺した。

「お屋敷には、上手くお伝えくださいね。すぐ戻りますって!」
「ちょっ…!」

思わず伸ばした手はもう空を切る。
案外に足の強い娘である。言うだけ言って既に小さい背を見送りながら、成実は泣きそうな笑いそうな、呆れ極まった表情で空を仰いだ。
追いかければすぐ追いつくだろうが、やはり町民同士の争いへ闇雲に武士がしゃしゃり出るの良くない。約束の自由時間もそろそろ底をつくだろう。
やはり、彼女が言うように一旦屋敷へ戻るしかない。
ここまで計算に入れていたなら、やはりあの小娘はたいしたものである。

「…結局俺が怒られるんだよね…」

ポツリと呟いた言葉は誰に拾われるわけでもなく、松の新芽を揺らすそよ風に攫われて霧散する。
暫し悶々とした思いが胸の中をのた打ち回るが、今更言っても詮無いか、と彼は溜息一つでこれを往なした。
件の老獪な女中から絶対に浴びせられるだろう罵詈雑言を覚悟しながら、今の時点で思いつく気安い使用人を何人か選び出しながら、成実も踵を返す。
実はそう遠くない片倉家別邸へ彼が辿り着き、町人同士の諍いなど頭上に吹きすさぶ風ほどの出来事でしかないと思い知るまま、その顔色を藍より青しに染め変えるのは、ほんの間も無くの話である。






町娘の衣裳は裾が捌きやすくていいな。
駆け出したの頭の八割は、今のところそんな思考で支配されていた。
武家の装束はある程度着こなしが決まる分、慣れ親しんだが故の動くコツを掴んでいるのだが、それでも堅苦しく重ねる枚数には辟易しないでもない。その点、この衣は枚が薄い分走っても疲れないし、何より身体が軽い。
ぴょんぴょんと跳ねるようにご機嫌で進むに最初伝七は驚いたようだが、今はそれどころではないと気を取り直して全力疾走していた。それに遅れずに続くあたり、彼女が普段どれほどお転婆なのかが容易と知れるが、とりあえず今はそれには着目せず、視線は絶えず先を見て、やがて賑わい溢れる町の中心地へと辿り着く。

「これは…なんと…!」
「酷い…!」

番頭はまだまだ若い二人の体力について来れず、早々に脱力しており不在であるが、その説明どおりに、彼の店の様相は散々たる有様であった。
人の出入りと扱う品のために、間口を大きく取った門の両側、いつもなら立派な梅の盆栽が誇らしく枝を伸ばしているのに、今は鉢ごと割れて無残にも道端に転がされていた。白梅の花弁が踏みにじられたそのままに茶け、へし折られた暖簾の棹も藍染の衣と共に泥まみれで地に臥している。よもやここまで、というその有様にすら、見るからに悪人そうな巨漢の男どもが更によってたかって暴虐の限りを尽くしていた。
あまりのことに呆然と立ち尽くす間にも、新たに鉢が割られ、土がぶちまけられる。悲鳴を上げる小間使いの金切り声でやっと我に帰り、彼は優男然とした先程の風体とは打って変わり、厳しい声で怒声を張り上げた。

「これは一体どういうことか!」

言う間にも、怯むことなく無骨な獲物を振り上げる男どもの中に割って入り、身を挺して門前に立ち塞がる。さしもの暴漢も人身には容易に拳を上げ辛いのか、見下ろしながらも狼狽して一歩を退いた。

「私の居ぬ間にこのような所業、人の子のやることじゃなかろう! 誰の許可があってこんな」
「言わずとも判るだろう」

張り上げないながらも良く透る声が響いて、咄嗟に振り返ったその先に、蝦茶色の丈が長い中羽織を纏う、恰幅のいい男がふんぞり返って腕組をしていた。彼はその四角い顔に吊り上った笑みを浮かべ、顎を上げながら高らかに告げる。

「これまでだな、伝七郎。貴様の店は既に御取壊しの沙汰が出たぞ」
「あ、安部屋…!」

あ、この人がもち屋さん、とがしみじみ見つめる間に、男二人の切迫した舞台は取り巻く群集が固唾を呑んで見守る中、冗々として繰り広げられる。

「遅かったな、待ちくたびれたぞ。草臥れて草臥れて、つい先に手を出してしまったわい」
「なっ…! こ、このようなこと、幾らお前でも限度があろう!」
「ふ、この私に限度などあると思うのか?」
「何だと!」
「先程も言ったろう。お前の店は御取壊しの沙汰が出たと」

言うなり安部屋の主はゆったりと笑みながら、もったいぶった仕草で懐から紙束を取り出す。目にも鮮やかな真白の書状を広げ、彼は声高にこう宣った。

「先程、畏れ多くも伊達家縁のさる方から頂いた証文である。"世俗を乱し、邪な商いを続ける当主伝七郎・その店である園丸屋、米沢にては今後一切の商売を禁ず"!」
「な、なにィ!?」
「え、そんなこと出来るんだ」

誰だろその人、とが首を傾げつつその証文をじっと見る。しかし燃え上がる男二人はそれには取り合わず、ジリジリとして睨みあう。

「ば、莫迦な、如何に伊達家の後ろ盾があろうと言えど、言い掛かりも甚だしい! 私がいつ邪な商いをしたというのだ、その証拠は何処に有る!」
「証拠など、掘り返せば幾らでも出てこよう。お前にも心当たりはあるだろう? だからこそ、今お前の店は火の車なのだからな!」
「それはお前が…!」
「おっと、言い掛かりはよしと呉れ。よもや、自分の不出来な商売を棚に上げて私を非難しようなどとは見苦しいぞ。それとも何か? お前のほうこそ私をなじるに足る証拠があるとでも言うのか?」
「ぐ…!」

言い詰まる伝七郎。弁舌では彼も恐らく負けず劣らず立つのだろうが、何せ彼も町人である。身分が凡てのこの世の中で武家の証文に逆らうなど、手前で死刑を宣告するようなものだ。
その僅かな躊躇いを愛でるように堪能するや、安部屋主人は惨酷なまでにゆったりと微笑んで、顎をしゃくって巨漢の男どもに指図する。ヘイという揃いの台詞が高らかに響き、頓挫されていた蹂躙ののろしが再び上がる。

「ああ、そうそう、言い忘れていたよ伝七。お前の奥方殿だがな」

付け足すように言うその台詞に、伝七郎が跳ねるように顔を上げる。

「危ないというに、身を挺してこのぼろ屋を庇うから、ちょっとお怪我をされてな。なに、私の屋敷で丁重に保護しているから、安心していい」
「…!」

事実上の人質があると念を押され、今度こそ、伝七郎の目が絶望で見開かれ、その両膝から力が抜ける。
がくりと折れる足が地に付き、継いで、その身体も力なく項垂れて茶けた地を見る。
その、明らかな敗北者の姿に、今度こそ安部屋主人が高らかな哄笑をあげ掛けたとき、

「あー、わかった。知ってるこの人、殿の小姓のお嫁さんの弟の息子の許婚の父親の従兄弟ね」

ギョッと振り向く安部屋主人の脇手にて、何処か場違い感が否めない町娘が、いつの間にかすぐ傍で白い紙をまじまじと覗き込んでいた。

「一度挨拶されたなぁ、なんだか懐かしい」
「なっ、そ、な、なんだお前は!」
「お、御嬢様…! そ、そうだ、忘れてた!」

颯爽でもなんでもない、場の空気を緩くぶち破るの登場に、伝七郎の瞳が俄然力を取り戻して燃え上がった。彼は立ち上がり、両の拳を突き上げて吼える。

「ここまでだな、安部屋! この方をなんと心得る! 畏れ多くも伊達の殿様随一の家臣、片倉様と縁のある御仁である!」
「な、なにぃ!」

衝撃に仰け反る安部屋主人と、彼女を手で大袈裟に指し示す伝七郎とを見比べてから、は一先ず人としての当然を全うすることにした。

「こんにちは、初めまして」
「あ、え、いや、ああ、こんにち…いやそんなことはいい! 片倉家縁のものだと!? この娘が!?」
「はぁ、まぁ、無関係ではないですね」
「控えろ安部屋!本来なら私もお前も口を聞くことすら出来ないほど高貴な方であらせられるのだぞ!」
「ぐっ、! だ、騙されるか! その高貴な御仁が一体全体どうしてこんな下町風情に身を包んで、挙句一人でのうのうとお出ましなのだ!」

もっともである。

「大体、縁なんぞ大雑把な言葉で一括りにすりゃ、隣に住んでるだけでも縁になるわ!」
「これもそんな感じですか?」
「う、うるさいぞ小娘が!」

白い指がぴっと証文とやらを指し示せば、彼はさっさとその紙切れを畳んで仕舞ってしまう。

「兎も角、貴公が真に高貴な方であらせられるというのであれば、どんな間柄か、説明して貰おうじゃないか!」

びし、と指先を突きつけられた娘は、よく見れば驚くほど美しい顔をはたと瞬かせ、それからゆっくりと首を捻る。
片倉家との縁、などという、考え込むような言葉が漏れる。

「そういえば…、小十郎様との縁って、何になるんだろう」
「は!?」
「主従…は、違うな。御主人様…も、語弊があるし。うーん……」

気付けば周囲には黒山の人だかり。町ゆく人々が遠巻きに円を結成して固唾を呑んで見守り、屈強な壊し屋は獲物を担いだまま、店子は何とか商品を守りつつ、商売敵二人の前にて、娘はやがてぽんと一つ拍子を打った。

「あ、わかった。居候とその家主です」
「御嬢様ぁぁああ!!」

絶叫をあげる伝七郎を小首を傾げたが見る。そこへ、呆気に取られていた安部屋主人が復活、今度こそ腹の底からの哄笑を高らかに踊りあげた。

「はははぁっ! 間抜けだな伝七、このような小娘に騙されおって!」
「ち、ちがうぞ! この方は真も真に…」
「ええい、黙れ、御託は聞き飽きた!」

伝七郎が言い募ろうとするを手短に遮り、安部屋主人はその太い腕を思い切りよく振り上げる。

「邪魔をするというのなら、伊達家への楯突きと見て片付けてやる! さあお前ら、とっととこの薄汚い店を畳んでしまえ!」
「や、やめろ、やめてくれ!」

慌てて取りすがる伝七郎を、体格で勝る男たちが煩げに押し退ける。もはっとして安部屋に詰め寄った。

「ひとまず、暴力沙汰はよしてください。小さい子供も居るんですよ、一体こんなことして何になるんですか」
「フン、喧しいわ、おぬしに関係なかろう。忘れてやるからさっさと去ね!」
「関係有っても無くても、間違ってるって言ってるんです!」
「煩い! 引っ込んでおれ小娘が!」
「わっ」

ただあしらおうとしたのだろう。だが振り回された腕は上手い具合にの華奢な肩に当たり、彼女はそのまま呆気なく弾き飛ばされてしまう。
驚きに目を見開く集団の視線やざわめきを一挙に受けて、当の娘本人は視界一杯に映る青空に言葉を失っていた。
やけに遅く感じる着地までの道程で、すりむくくらいかな、と頭の片隅が怪我の程度を推し量る。
どうってことない。倒れても起き上がればいい。でも、立ち上がってからはもうこの分からず屋の男は捨て置いて、一先ず取り壊されかかっている建物のほうに駆け寄ろう―――そこまで思って、衝撃を覚悟し、ぎゅっと目を瞑ったのだ。
しかし、次に彼女を襲ったのは、荒く身を削るはずの地面の感触ではなく、背を通って肩を握り、抱える、妙な安堵感だった。
ふっと、影が差す。

「…ったく、相変わらずじゃじゃ馬だな、お前は」








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BGM:HELLO(ユニコーン), the beautiful people (Marilyn Manson ),Wonderful Night(Fatboy Slim)

ひ、筆頭が一言しかしゃべっていない な ど と … ! ! !(デジャヴ)
次こそ彼のターンです笑 きっと、きっとね!