13






「ようやく来たか。悪童めが」

―――相変わらず、変わりない。
磨き抜かれた板敷きの講堂。普段であれば四方を囲んでいる筈の板障子は開け放たれ、冷えた空気が容赦なく流れ込んできた。室内から見る玉砂利の庭は輪をかけて広く見え、囲いは遠く紅葉する木々か、という広大さを錯覚させる。本御影の敷石は視界の端で途切れ、迂回路だか迥遊路だか、造作もなく植えられた紫陽花株をなぞる様に、蛇行しながら枳殻垣が続く。峙つ穂先の尖端までも濃い緑が白地と紅黄に更なる花を添え、慎ましいくせにやけにあざとい色彩を放ち、片側しか無い目を穿った。
秋の澄んだ陽を享けつつ、次に次にと舞い落ちる木の葉も煩いくらいに艶やかだ。冷涼な空気に運ばれ、紛れた紅葉が何枚か、手形のように榑縁に、床にと落ちている。
誘われるよう視線が辿ったその先に、こじんまりとした人影が鎮座していた。吹けば飛びそうなほど小柄であるのに、近寄ればたちまち飲み込まれそうなほど、その体からは途方もない威圧感が漂っている。
憤怒であるのか、さもなくば深い落胆なのか。どちらにせよ、それは政宗に僅かの苦笑を誘った。
途端、目ざとくそれを見咎めた老師が強かに床を打ち据える。

「何が可笑しいかっ!」

およそ年齢を感じさせない凄まじい一喝であったが、政宗はゆるりと笑いそれをかわした。

「御元気そうで何より。随分涼しくなりました」
「質問に答えぬか。はぐらかそうなど百年早いぞ」

地を這う声音。だが政宗はやはり重ねてくつくつと笑い、不遜を隠すように唇に手を当てて少し俯いた。

「いえ、この笑みは手前に向けてのもので。師を嘲ったわけでは決して」
「減らず口を」
「何故。本心ですが」
「儂の公案にまこと心を置いておるなら、笑みなど出さずに来るはずよ」

政宗はああ、と少し目を見開き、しかしまたすぐ相貌を皮肉げな表情に染め変える。しかし以降の口上は上らせず、ただ黙って冷えた素足のまま、抗うように板敷の上に立つ。側面から吹き付ける涼風に、真正面から突きつけられる鋭い視線。そのどちらも無い物のように、彼は気随なまま佇んでいた。
やがて虎哉が、僧衣に包まれた枯れ木のような腕を上げる。如何にも煩わしげに拱き、己の正面を指した。政宗も極素直に歩を進め、真正面に座す。目線を同じくとしてみれば、それほど久しいというわけではないにも拘らず、老師の体躯はまたもや一回り小さくなったように感じる。それが相対的であるのか、絶対的であるのか、政宗が考えあぐねていると、一向に衰える気配の無い眼光が、改めてじろりと一睨みを寄越した。

「昨今は随分と徒に暴れまわっておるようじゃの。行く先々、おぬしの名を耳にしない処は無いぞ」
「口さがない事です」
「そうさせる原因が何を言う」
「別段、名を囁かれるのはそう悪いことばかりでも…」

短い応酬の合間に、奥の戸から少年が盆を捧げ持ち進み寄って来た。頭は丸めておらず、身形も布地の少ない麻の軽装。半僧半俗である行人か、さもなくば渇食だろう。陽に焼けたか細い手足が、緊張の所為か少し震えている。殆ど平伏するように両者の間に湯呑を置き終えると、逃げるよう座を後にした。
どちらともなく口を噤んだその間を接ぐ様に、政宗が黒釉の重々しい湯呑を取り上げ、一礼して口をつける。芳香の強い茶は舌にも刺激を齎し、立ち上がる湯気が鼻先を掠めて温く漂う。やがて虎哉も両手で捧げるように椀を持ち、傾けた。
僅かばかり裕福な農民の子であったり、身寄りの無い孤児であったり、出自は様々だが、あのような少年の数は然程少なくない。広大な景観の維持はそれなりの労力が要る。炊事や掃除など、学侶でも無い虎哉や高僧がやるはずもなく、普段であれば寺院内は静かながらも人気に溢れている。

「まさか、無人寺になったのかと思いました」

政宗がちらと少年の去った引き戸を見遣ると、虎哉が少し目を上げた。

「表に誰も居なかったか?」
「初めは。立ち止まっていれば奥から駆けて来ましたが」

人肌を過ぎた湯は喉を険しく過ぎてゆく。しわがれた口がゆっくりと動き、乾いた唇を湿らせる。

「近頃は、人手が早々集まらぬのでな。莫迦広い此処の掃除だけでも天手古舞じゃ。おぬしも馬ぐらい自分で仕舞えるだろう、文句を言うでないわ」
「人手が無い? …まさか」
「皆、戦の方が稼ぎになるとな」

コトリ、と湯呑が木床と衝突した。

「そうでなくとも、戦場は何かと入用だと物売りを兼ねて志願しおる。確かにな、矢一本、勺一杯の水でも買手は余り居る。道理に適った選択じゃろう。庇護に胡坐を掻くこちらにはいい灸となるわ」
「早急に何人か…」
「無用じゃ。落葉の如く朽ちる眺望もまた風流……まぁ、所詮これも一時の事だろうしの」

老僧はそう言って、湯呑に温められた細い指先を逆手で握る。

「然らばこそ、儂の非を詫びておこう。奥方を責めるには及ばぬ」

政宗は特に何も言わない。音も立てずに茶を啜り、吹き抜ける静かな風に、結わない髪を遊ばせている。
境内でと相対した間はごく僅かだった。先程の少年のように、遅くとも馬を預かろうと何人かが慌てて走り寄って来たので、以上の言葉も交わさず別れたきり。本堂に伴われる彼の背後で、彼女は少し躊躇いがちではあったが、年のそう変わらない少年と何事かを話し込んでいた。ひょっとすると、供回りの従者かもしれない。ならば今頃は帰路についているだろう。
見慣れない態ではあったが、見目は変わらず別れたままであった。まさか此処に居るのは予想外だったが、その驚きも皮肉げに唇端を上げれば消える。

「叱るのは手前が担います。御懸念無く」
「招いたのは儂じゃ」
「承知したのはあれだ。手前の言う通りに己が身を省みていれば、おいそれと出歩きはしない筈。いい機会だ、一度骨身に分からせなければ」
「…やはり、この一連は凡ておぬしの差し金か」
「いえ? 先程初めて知りました。まぁ、女が寺に居るというのも、中々乙なもので」
「はぐらかすな。此方に居るとは思わなんだだけだろう」
「手前が居ぬ間に行なわれたことです。父上が逃がしたか、母上が疎まれたか…どちらにせよ、結果を見れば取るに足らないこと。不自由を強いられても、あれは少しも変わっていない」
「………そう思うか?」
「ええ、剛毅な娘だ」

ふっと軽く息を吐き、政宗は茶碗を床に据え置いた。硬質な音がささやかに起き上がり、また霧散する一連の動作の中、彼は特に動じた様子も無く、笑みを消すことも無い。虎哉は酷く静かにそれ以上を望むのだが、やがて難しい顔のまま嘆息した。

「側女の事はお気になさらず。それより、手前への用とやらは如何な事です」

重ねて言い募ろうとした師の先を取り、放たれた彼の言葉は慇懃だが容赦ない。
虎哉は暫く黙っていたが、やがて小さく舌打ちする。

「久方ぶりの摂心じゃ」
「ああ…」
「いや、そう思っておったのだがな。少し気が変わったわ。まだ早かったのやも知れぬ」

若しくは、遅いのか。
呟きは風に煽られ、耳に拾われることなく流れた。その僅かな音に、ゆるりと頸を上げた隻眼の口元には相変わらずの優位な笑み。斜な流し目で庭木が揺れるさまを見ている。繁り、しかし剥されてゆく樹木の覆いは、凡て一枚の絹のようにさざめく。

「…勘違いするな。小手森のことをどうこう言うつもりは無い。どろどろに腐った生臭鍋に、今更血反吐の差水をしたところで、変わりはあるまいよ」
「言い得て妙だ。成る程、手前の戦運びは鍋を掻く様なものですか」
「何もお前だけでは無い。国広しと言えども、奥羽は成り立ちが特殊じゃ。そうでなくとも、物騒な獣が蔓延り得をする世…」

小さな溜息の後、然も鷹揚に構える政宗に、突如小柄な老人はぐいと鋭い睨みを寄越す。

「ここに来たのが真実獣であったなら、生かして返しはしなかったものを。まだ辛うじて、童であったが幸いよ。…命で遊ぶ愚かな子供。後悔は無いのじゃな」
「ある、と申したら、どうなさるおつもりですか」
「儂が腹を切るしかあるまい」

渋面の吐き捨てに対して、こらえきれずに政宗が噴出す。
するとすかさずまた大きく床が鳴った。苛烈な怒号に手を振って遮りながらも、彼はまだ笑いの残る声音と顔で畏まる。

「失敬。余りにも突飛なものですから」
「何を」
「いえ。しかし手前も、師に死なれては堪りません。後悔なぞは端にやりましょう」
「人の所為にする気か?」
「人が生きてゆくのは人の為…ならばその人の所作もまた、余人から受ける影響の賜物だと、そう仰られましたのは」
「ええい、黙れ! 小賢しいことを!」

叩き割らん勢いで黒木を叩く虎哉の勢いに、しかし政宗は口元を歪めたまま沈黙する。

「儂を謀る余力があるなら結構! ああ胸糞悪い、うぬの顔なぞ見飽きたわ、とっとと帰れ悪餓鬼が!」
「では、有難く」

まだ微かに笑いながら、一度ゆるりと頭を下げれば、政宗はさっさと立ち上がった。元々長居をするつもりは無い。やさしく迎えてくれるとは思っていなかったし、これが師なりの労いだという事も、踵を返した背に刺さる視線によって、心得ている。

「藤次郎」

懐かしい声で、懐かしい名を呼ぶ。少し距離が開いた所で右肩越しに振り返るが、当然何も見えない。

「かくなる上は何処までも行って、とっととこの世を平らげろ。ただし殺生でではない、調伏だぞ」
「…相変わらず、難しいことを仰る」

わざとらしく溜息を吐き、苦笑いを溢したのに、今度は鋭い一喝はやってこなかった。
老僧は突如ひらりと舞い込んだ一輪の紅葉を掴み取り、その緋色にじいっと魅入っている。赤子の手程の真っ赤な五指は微かに湿っていて、乾いた掌にすんなりと馴染んだ。

「あの娘もそうじゃが、お前も難儀よの」

呟いた声音に、紺碧の気配が微かに乱れた。だが本当にごく僅かなそれは、すぐ冷たい秋風の中霧散する。

「よう似た二人じゃ。ひと目見てそう思うたぞ」
「…手前とあれが?」
「そうよ。気づかぬかの? おぬしら共々、…」
「……何か」
「………いや、これは儂が言うことでは無いな。すまぬ、忘れてくれ」

煮え切らない言葉。訝りつつも政宗は目端で頷くのだが、立ち去ろうとはせず佇む。言いよどむ気配を見せた老師を慮って、視線はまたも翳り行く庭先を追っていれば、やがて相手はしみじみと息を吐いた。

「輝宗公には、くれぐれも御自愛下されとお伝えしてくれ。儂の身をご案じ下さるのは身に余る光栄じゃが、先頃久方振りにまみえてみれば、余り御顔色が優れなんだぞ。慌しいのはよく解るが、どうか早めに静養なさるよう」

この言に、政宗ははっきりと鼻で笑った。

「どの小物も涙を誘う寸隙が得意のようで、態々父上好みに演じては観劇を迫るものですから、休まる暇も無いのでしょう。今日とて、折衝ではなく懇談だ」
「二本松殿もついに…父御に緩衝を恃んだか」
「煩わしい」
「…そうさな。しかし、孝行は出来る内にしておけ」
「しかと心に留めておきます」
「御東様にも、御健勝で有れと」
「機会があれば」

謡うような声音で、眼帯の美しい横顔はまた前を向き、静かに歩を進め出す。進むたび、乾燥して冷えた床の感触が足の裏に突き刺さる。
風が運ぶ落葉はいよいよ増え、彼の前を幾度も通り過ぎた。目に余るそれを素早く翻った腕が落とせば、落葉は美しい木目に血のように散った。






外に出てみれば、ちょうどよい感じの暮れ前だった。未だ青空だが、太陽が傾きだしている。こうなると後は早く、あっという間に夜になり星が瞬く。今日はよく晴れていたから、さぞ美しい月が見えるだろう。
境内にはやはり小間使いの影は無かった。黄昏時は城内であっても何かと慌しいから、必然なのかもしれない。しかし、少数でこの広大な敷地の一切を賄おうとするなど、どれ程の事なのだろう。適当ながらも推し量ってみれば、素直に感嘆の溜息が漏れた。仏に仕える身というのも難儀なものだ。
軽く欠伸をしながら馬を取りに歩を進めていると、彷徨わせていた視線がはたりと止まった。立派な本堂脇にある東屋の縁に小柄な影が腰掛け、何事かを熱心にやっている。
まだ境内に居たのか。
よくよく見れば傍らに笊があり、飴色の栗がたくさん盛られている。実を手に取って、さらにその皮を剥いているようだ。夕餉にでも使うのだろう。規則正しく、手際よく動く白い指を見つめていれば、また歩みが止まっていた。
暫く立ち止まり眺めていたが、やがてそちらに向けて進路を変える。踏締めながら近づく盛大な砂利の音に、はふと手を止めて政宗を認めたが、結局は何も言わずにまた視線を下げ、作業に戻った。
腰掛ける淵に辿り着くなり、どかりと座り込む。
はぁ、と大きく溜息を吐いても、の動きは止め処なかった。

「つまんねぇことやってんな」

は微かに笑ったようだが、特に何を言うでもない。
柔和に細められた視線には気づかず、返事が返らなかったことに政宗が少しばかり眉根を寄せた。無言の中、カリカリと硬い音だけが単調に続き、現れる柔らかい黄身色の実は別の笊に次々と増えてゆく。
紡ぐように動く手はよくよく見れば荒れていた。つるりと美しかった指先も、白さを残してささくれている。卵形の爪は艶を無くし、乾燥した関節が僅かに罅割れているのが見えた。
それがまた気に入らなくて、政宗は眉間の皺を更に増やす。

「お元気でしたか」

不意に、顔を上げないままのから柔らかい声が漏れた。
まろやかな声音は思ったよりも懐かしく、少し驚く。ちらと伏せた横顔を伺い見た後に、政宗は両腕に体重を預け、背を反らせた。

「まぁな。お前は?」
「恙無く」
「…そうか」

それきりまた、お互い何を言うでも無い。だが重い沈黙ではなく、さわさわと葉擦れの音が耳に優しい。
笊を挟んでもなお余る隙間を、撫でるような風が過ぎてゆく。
ふと、少し強めの風が吹いた。乱れる髪を一度抑えるを見て、政宗が盛られた栗に手を伸ばす。

「なんでこんなことやってんだよ。渇食共の仕事だろ」

指先で摘んだそれは、予想より重みがあった。たわわに実った木の実の表面をつるりと撫でていれば、が風の緩んだ隙に落ちた髪を背に払い、また作業を再開する。

「暇を持て余していたら、虎哉殿がこちらに招いてくださったんです。最初は何もせずにぼうっとしてたんですけど、それではつまらないから、わたしで出来ることならと」
「それでその格好か。気合入ってんな」
「小袖では動き難いですから」
「もうやめろ」

はっきりと告げられた言葉に、僅かにの手付きが乱れた。
だがそれも刹那のこと。平静を装い作業を続けるを見つめながら、政宗が笊に栗を放り投げる。

「俺はお前に、勝手をするなとあれほど言ったよな。違うか」
「…ええ」
「なら何度も言わすな。とっとと着替えて、屋敷に戻れ」

滑らかな手の動きは、犬歯を剥き出しても澱みない。
黙り込むは未だ指を動かし、何事かを考えているようだった。敢てと二度目を口に仕掛けた政宗の前、やがて吐息のような深呼吸が響く。

「それは、御命令ですか?」
「…そうだ」

妙な切り返しに訝りつつも是といえば、が栗を剥く手を止めた。

「そうですか」

ひとつ頷き、手に持っていた栗を剥いて笊に入れた。それ以上は取らず、暫くじっと赤くなった己の手を見下ろしていたが、やがて指先を払いながら立ち上がる。
二つの笊を重ねて器用に抱えながら、政宗に向かって頭を下げた。

「片付けてから着替えて、戻ります。復路は人が居りますので」

此方の詮議を避けるかのように、の言葉には隙が無い。政宗が黙ったままで居ると、が頭を上げ少し笑った。

「お元気そうで安心しました。今年の冬はよく冷えそうですから、御身体には気をつけて」
「………」
「では、失礼します」

もう一度頭を下げると、顔を上げながらは歩き出した。華奢な身体が形の大きい白衣に包まれて、酷く頼りない。吹き続ける風に背の髪は煽られて、纏めた紐が解けそうだ。
その止め具はかつて、いつかどこかで見た形に似ている。

「待て」

静止をかけた時にはもう距離があった。政宗が縁側から立ち上がり、腰に手を当てながら近づく。

「戻りたいとは言わないのか」
「…どちらへ」
「決まってるだろ。妙な時間稼ぎはやめろ」

半身だけ振り返ったの瞳は、常同様静かだった。細められも、眇められもせず、距離を空けて間向かう政宗を見る。

「戻るといえば連れて帰ってやる。厭だと言うなら死ぬまで此処に居ろ。どうする」
「………」
「さっさと答えな。一つしかないだろ? 俺と米沢に帰るか、独りきり山ん中で暮らすか」

唇を叩く髪の一房を、細い指が摘んで耳にかけた。

「…それも」
「あ?」
「それも、御命令ですか」
「…何だと?」

先程の怪訝と併せ、流石に政宗が眉間に皺を寄せる。けれどは嬲られる髪を抑えながら視線を下げ、追随する視線を巧みに避ける。

「それが御命令なのであれば、わたしは帰りたいと申し上げます。此処に居ろと申されるのなら、従いましょう。どうぞお好きなようになさって下さいませ」

挑戦的に言い切ったに一瞬瞠目した政宗であったが、咀嚼が済むと実に凶悪に口端を吊り上げた。

「…ちょっと見ない間に、随分性悪になったもんだ。生かすも殺すも好きにしろってか?」
「元よりそうでございましょう? わたしは大殿の命で此方に参りました。此処に腰を落ち着け、物事を深く、重く考えろと、命じられたのです。…それを覆すのが貴方様であるのなら、わたしの意思は要りません」
「へぇ、そうかい。なら訊き方を変えてやる」

風が吹いたのかと思った。空を切る音と一瞬の煌きに目を見張る間も無く、顎先に白刃が突きつけられる。

「今此処で、この俺の前で、選べ」

低い声が響く。

「伊達のために生きるか、相馬のために死ぬのか」

翳りゆく秋空が象る政宗は腕を伸ばし、抜刀した太刀をまっすぐにへと向けている。硬く握られた拳越しに隻眼を見つめ、彼女も微動だにしない。呼吸する身の僅かな振動まで憚られる、その痛いほどの緊張に恐怖があるのかどうか、痺れた思考では判別がつかなかった。
対峙する二人の間に、秋風は構うことなく巻きついては雪崩れ込み、通り過ぎてゆく。巻き上げられたの髪に、舞い降りてくる枯葉が被さり、しかし絡まずに滑っては落ちた。緋紅に墨の対比は白絹に映え、落ちる影すらも慎ましい。
永遠と思えるほど長く、動かず、両者は睨み合っていた。だが時が止まっていない証に、幾重にも錦の木の葉が身を掠める。

「わたしは」

紅い唇が動いた。

「わたしは、母が身罷ったその日に、生涯を相馬のために生きると決めております」

白刃は動くことなく、苛烈な視線は揺るぐことなく、容赦なくの身の上へと降りかかる。だが彼女も譲らない。それももう決めた事だ。

「あなたのためには生きれません」

政宗は動かなかった。突きつけた腕をちらとも動かさずに、ただじっと、取り乱しも、泣きもしない双眸を睨み据えて離さない。
少ない秋の陽に照らされる凶器は、膏の曇り一つなく美しい。丁寧に砥がれた証である、波状の刻印が反り返る刃にぴたりと嵌り込み、その緩慢な凹凸がかえって生々しい切れ味を想像させた。

「……つくづく」

カチャリと鍔が鳴り、ひた光る刃が反り返った。切っ先は顎から首筋にゆっくりと降りる。

「俺を乱す奴だ」

虚ろな瞳が笑みを刻むと、漏れた声音は寂びていた。歪んだまま酷く不敵に笑っているのに、はそれを見て少し眉根を下げる。
宛がわれた刃先も忘れ、躊躇いながらも彼女が重ねて何事かを口にしかけた、その時だった。

「殿!」

何処からともなく、としか言いようの無い出で立ちで、若い男が駆け込んでくる。
脛に黒い布を巻いたその何某かは、政宗との状況を見ても動じず、素早く地に片膝をつく。

「…如何した」
「火急にございます! 畠山義継めがご隠居様を盾に遁走、現在二本松を目指し高田原付近を奔走しております!」

政宗が勢いよく振り返る前、が抱えていた笊が地に落ち、飴色の実は夕日を享け燃えながら地に散った。






阿武隈川の手前、砂塵遍く高田原には、不気味に枝をくねらせる松の古木がぽつりぽつりと林立している。乾燥しきった木肌に脂が噴出し、遠目には黒と相違ない塊となってこびり付いている。隆起する根元の土は固く、砂利交じりの悪土で、作物の実りも期待できない。ここは疾うに人に見捨てられている。
物悲しい秋の夕暮れがいよいよ地平の彼方へ沈もうかという中、描かれた影は長く、そして平素より多く蠢いていた。
じりじりと交代する畠山勢を取り囲むように、歯噛みした成実と小十郎を筆頭に伊達勢が進む。総勢百を超える群にしては、酷く遅い行進であった。
輝宗を抱えたままの畠山義継は徒である。控える従者が馬を曳いているのだが、跨った隙に背後を急襲されそうで、迂闊に動けない。本来であれば即座に輝宗を縛り上げ、今ごろは馬の背で悠々と阿武隈川を渡り終えているはずであったのだが、伊達の精鋭は何も風聞だけというわけではないらしい。
ちっと舌打ちを漏らせば、腕の中の男が低く笑った。

「今ごろ後悔が湧き出たか?」
「黙れ! おぬしはただ歩いて居ればよい!」

脾腹に突きつけた脇差をわざと煌かせても、輝宗は低く笑い続けるだけだ。

「無駄なことを。儂にはお前が越える川が、三途のそれにしか見えぬのだがな」
「だとすれば、それは彼岸の傍に居るおぬしの幻視よ。音に聞こえた伊達の隠居も、恐怖でくだらぬ妄想をするのか」
「おや畠山殿、息が上がっておられるが?」
「ッ貴様…!」

確かに生命の危機であるのに、輝宗は酷くこの状況を楽しんでいるか如く、徒げに笑っている。
怒りと焦りで手元が震え、今にも切っ先を突きつけてしまいそうな義継に、なお笑い含みの穏やかな声がかけられた。

「今からでも遅くない。ここで儂を置いて、とっとと二本松へ帰るがよい。決して危害は加えぬ。居城でゆるりと身を頭を休め、素直に春を待っては如何か」

義継はすぐには答えなかった。恐ろしい速さで日が落ちてゆく黄昏時を、獣のような息遣いで歩を進める。地に伸びた長い影が端から消えてゆきそうになる中、ふと、今度は義継が低く笑った。

「もう遅いわ」
「何の…」
「遅い。縦しんば此処を情に感けて凌いでも、片目の龍は一度歯向かった者を決して許しはしないであろう?…我らが生きる道は、最早おぬしら父子の絆にかけるしかないのだ」

輝宗がふいと義継を仰ぎ見た。男の焦燥は果てしなく、頭領たる自負ゆえの動かし難い妄執が見える。
春になれば、推し進められた伊達軍は二本松城を落とすだろう。随身を望んだ彼らに、政宗が差し出した条件はあまりにも酷なものだった。新しく定められた領地のみでは、到底一族郎党を養いきれない。すなわち、大内定綱を匿った彼らを元々許す気などないのだ。
一度反旗を翻したくせに、のうのうとやってきた彼を政宗は嫌った。嫌ったから、哂い、揶揄った。生きれるものなら生きてみろと。
二本松義継は、その言葉に挑戦したのだ。

「本来であれば、政宗殿を捕らえる手筈であったが……今となってはこの方が都合がよいわ。貴公にはすまなく思うが、怨むなら蹂躙を続ける愚息を怨め」

気負いの見える鋭く低い響きに、輝宗はただ深く、よく似た仕草で嘆息した。

「なんの、儂は誰も恨みなどせぬよ……縦しんば憎い仇が居るとすれば、この乱世と」

人を信じた己であろうか。
宙に解け消えた呟きの果てに、徐々に間合いを詰める伊達勢の蹄の音が混じる。
切迫する義継の配下が何事かを叫んで怯ませるが、それもだんだんと効果が薄れてきている。じりじりしながらの行脚は、次第に終わりが見え始めていた。
義継も敏感に察しているのだろう。しかし彼は額に汗を滲ませながらふと鼻で笑った。

「輝宗公は善の人…成る程これは確かであると、城下に着けば吹聴しようぞ。おぬしの人の良さが他人を救い、愛い倅を苦しめるのだ」
「……真、厭な世の中だ」

輝宗が一度目を閉じて嘆息する。大きく呼吸をし、引きずられる身体から力を抜いた。
だが次の瞬間、爛と輝く鋭い目付きで義継を笑う。

「しかし、見誤ったな」
「何?」
「儂はあれの父親よ」

ぐんと足裏に力をいれ、突然の事にたたらを踏んだ義継に絡まれたまま、輝宗が絶叫する。

「五郎、藤五郎は何れに居るか!」
「大殿! 此方にこざいまする!」

すぐさま声が返り、栗毛の悍馬に跨った若武者が躍り出る。

「動くな! 隠居の命が惜しければそれ以上近づくでないぞ!」

義継が輝宗の襟上を掴んで吼えれば、途端成実は狼狽えて二の足を踏む。
だが突きつけられた刃も何も構わず、輝宗は鬼の形相で重ねて叫んだ。

「構うな、撃て! 儂ごと義継を撃て!」
「なりませぬ! この夕闇では大殿と義継の区別が…」
「たわけが! されど撃てと言うが分からぬか!」

平素の、凪いだ大海のような途方もない優しさは微塵もなかった。目を見開いて猛るその声は松林にわんわんと響き、畠山勢どころか伊達勢すら怯む。
隙を突き、新たな馬上の何某かが成実の横に並んで叫んだ。

「大殿、短慮はなりませぬ! もう直藤次郎様が此処へ参られますれば、御身は必ずや無事に…」
「おお小十郎! おぬしも儂に恥を掻かすと申すか!?」
「何を…っ!」
「うるさい、歩け! 歩かぬと刺し殺すぞ!」

油断なく切尖を擬する義継に、やはり小十郎も歯を食いしばって躊躇う。繰り返される問答の果てに、成実が何か意味のない言葉を暮れ空に大きく投げた。
だがそれは、突如後方で沸きあがった喚声に掻き消された。
何事かと、両群合わせて躊躇いながらも鋭く背後を顧みる。
原は少しなだらかな丘陵であった。そう遠くなく、高くもない背後の丘に、だが確かに見える。

「父上!」

一騎かと思えば違う。黒馬に跨り猛然と迸る政宗を捕らえ、次いで遅れず馬を駆る人々の中、小柄な影を目に入れた瞬間、今度こそ輝宗は刃に構わず盛大に身を捩った。

「ようく来た! 最早身に一片の悔いも無いわ! 藤次郎、父ごとこやつを射殺せ!」
「なっ」
「何を申されます!?」

切迫した場にそぐわない高い声。細腕が頑強に手綱を捌いて精鋭に並ぶ。政宗は皆より前に出るが、やはり同じように固まって目を見開いていた。
それ以上は近づくなと喚き立てる義継などまるで居ないかのように、輝宗はふと必死の形相を緩めて、政宗を見つめた。目を細めて、目を閉じる。苦く笑ったその瞬間は刹那。体格に勝る義継に再び引きずられて歩き出しながら、渾身の力を怒号に込めた。

「侮りを千載に残さず、伊達の家名を汚すな! 構わぬ、撃て藤次郎、撃て! 伊達政宗なら撃ってみよ!」

搾り出す叱責に隻眼は泣きそうに歪んだ。泳ぎ彷徨って、一度背後を顧みる。
瞬きする間のその後にまた前を向いた彼は、水を掻くように静かに手綱を手繰り寄せる。
鬨の声が上がった。伊達勢が遅行に溜まった鬱憤を爆発させるかのごとく、うねりとなって畠山勢に躍り掛かる。伊達惣領が引き連れた軍勢が馬を居り、喚声と怒声の中隊列を敷くのを見るなり、義継が脇差の鞘を抜き棄てる。
振り被られる刃につられ、振り仰いだ空は燃える茜。急速に廻ってゆく視界に移るもの、今は凡てが輝かしい。心から愉快に笑った後に、耳を劈くような発砲音が鳴り響いた。その激しい爆発の最中、確かに女の絶叫を聞く。
そちらを見ようとした視線は、ふっと塗り篭められたように闇になった。








桶に張った水は冷たい。袖の白衣を裂いて浸せばこびり付いた血が融け、清水はすぐに汚れ濁った。
それでも絞り、濡れた布で事切れた顔を拭う。相好は既に和らぎだし、体温は秋の大気に粗方が吸われていた。僅かに除いた双眸は煌き、玲瓏たる月明かりの元、葉に残る雫のように光っている。
戸板脇に屈んだ身体が無性に震えて止まらない。定まらない片腕を同じような腕が何とか支え、事無きを得ている。何度も何度も頬を撫でれば、弾道が掠って焼けた頬の傷も綺麗になるようだった。
相対した、あの時の威圧感はもう何処にも無い。巌の面と深い思慮が滲んだ瞳に色が載ることも、もう無いのだ。

「…御前」

酷く憔悴した声が背後からかけられる。だが、は振り返らず、止めた腕もそのままに、ただ輝宗の亡骸を見下ろしていた。身の冷える有明の月の元、左の二の腕を剥き出しに蹲る彼女の肩に、大きな羽織が降りる。

「何故貴女様まで、このような場にいらっしゃったのです」

ゆっくりと振り仰げば、砂塵に塗れた分を差し引いても陰惨に縁取られた小十郎が、憐憫と叱責を滲ませた目で見下ろしていた。
が口を開いたが、喉が張り付いて一時声が出なかった。何度か息を接いで、乾いた口を湿らせる。

「わたしが、我侭を言って、殿の後ろを着いて」
「何故」
「……怪我であれば……若しやと…………」

仕舞いまで言わず、視線はまた輝宗に降りた。耳を澄ませば、いや、何もしなくとも伊達勢が未だ忙しなく駆け回る焦燥が聞こえる。畠山勢は粗方が惨殺され、見回せば少し遠くで無残に横たわっていた。何人かは逃れたようだが、此処までの道中を導いた、脛に黒い布を巻いた彼らが後を追い、それで政宗の興味はなくなったようだ。
―――そうだ、政宗は。

「殿のご命令です。貴女様を伴い、米沢まで帰還するようにと」

の思考を読んだかのように、小十郎が淡々とした声音で告げた。再び顔を上げるの目の前で、長身の彼は提げ持ったままだった抜き身の太刀から血を拭う。
それをきちんと鞘に収める高い音。すぐに、大きな手がに向けて差し出された。

「立てますか」
「…ええ」
「では」
「お待ち下さい。…畠山殿が、まだ」

告げながらは、輝宗の頭の先、戸板の上に並び置かれた、血濡れの首級を見る。
輝宗とは違い、燦々たる形相であった。見開かれた目は飛び出し、開いた口からは舌がだらしなく垂れて、そのどれもが血に塗れている。赤黒く変色した皮膚に乱れた結髪がこびり付いて、糸を引いたそこからまだ乾ききっていない紅い液体が滴る。木板にポツリと染みを作るそれを見て、小十郎が不快に顔を歪めた。
が握り締めていた手拭をまた桶に浸し、強く絞る。膝だけを使い首級ににじり寄ると、躊躇いも無く触れては拭ってゆく。
小十郎がすぐさま、その肩を掴んだ。

「何をなさいます!」
「何とは…」
「そのような者の首など…御手が汚れまする」

ぐいと手首を握れば、虚ろがちだったの目にふと光が蘇る。

「…御放し下さい」
「御前」
「憎い敵でも今は死者。眠る大殿と何の相違がございましょう」
「それは………しかし」

言い淀む小十郎の手を振り解こうとはせず、ただは凛と双眸を燃やす。

「聞こえませぬか。早う」


絡んだ手をそのままに、両者の間に静かな声が響いた。
はっとして同時に振り向く。目の前には乱戦に乱れた着衣を直そうともしない政宗が無造作に立っていた。
一振りの帯剣は既に仕舞われている。固まるを残し、小十郎は即座に身を改めて、しかし彼女を庇うように前に出、頭を下げた。
その様をちらりと見、だが何も無かったかのように、政宗は小十郎を超えてを見つめる。

「それを清めてからでいい。米沢に帰れ」

平静な声であった。散歩に誘う気軽さで言うのに、の背にぞくりと悪寒が這う。
見開いた大きな目を特に感慨も無く一瞥した後、もう一度彼は言った。

「命令だ。帰れよ。小十郎、お前の前に乗せてやれ」
「は……」
「いえ、わたしは一人ででも」
様!」

小十郎が素早く遮り、ギッと彼女を睨んで黙らせる。不自然な間を拭うよう、彼は更に深く頭を下げた。

「しかと承りました。御身は無事米沢まで」
「ああ。頼んだぞ」

一つ頷くなり彼はひらりと身を翻し、喧騒の中に戻っていった。大きな背はなぜかすぐ走り回る集団の中に紛れてしまう。
政宗が完全に去れば、の身にどっと冷や汗が噴出してきた。

「…大丈夫ですか」

固い声に、見れば彼の顎先にもつと汗が伝う。呼吸が少し浅くなり、喉を鳴らしながらが頷くと、小十郎が長く細く、息を吐いた。

「帰りましょう。此処は良くない。…私でさえ、足が竦みます」

底冷えする声は何よりもの身を嬲った。だが握り締めた手拭から絞りそこなった雫が腕に垂れ、その感触が少し落ち着きを呼び戻す。

「でも…でもこれではあまりにも、畠山殿が哀れです」
「…様」
「ごめんなさい、…ですが」
「………」

また血塗れた首を手に取り上げ、が手拭を翻す。何時の間にか、被せていた筈の羽織は地に落ちていた。
小十郎は見ているだけでぞっとするその光景を暫く睨みおろしていたが、やがてに向けて頭を垂れる。

「馬を取って参ります。どうかじっと息を潜め、動かれませぬよう」

何も言わないでも、元々期待はしていないのだろう。言うだけ言うと、彼はさっさと踵を返して駆け出していった。
具足の音はあたりに紛れる。掴んだ首から滴る血は止め処なく、拭っても、拭っても、尽きることがない。やがて受け止め損なった飛沫が、の着物に彼岸花のような模様を描いた。腕を伝い、肘から落ち、白い衣は跡形も無い。しかし構うことなく、彼女は事切れた亡骸の断片に向き合い続けた。
目を押し込め、舌を掴んで口を閉じる。乱れた結髪は手櫛で収め、やはり裾を裂いた布地で括る。
浩々と照る月明かりの元、強張った皮膚をどうにか肉桂色に染め替えれば、その顔は輝宗と同じく柔和になった。








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 今回もお疲れ様でした、目白押し13話 一言で言うならば筆頭踏んだり蹴ったりの巻ですねたんんんのしい(笑顔)
しかしそろそろ「わたし無知だからごめんなさい☆」 では済まされない辺りに差し掛かっているので、べ、勉強しなきゃなぁ…! ウウウ歴史はよくわからない(理系)
とかいいつつ11話で思いっきり捏造かましてますウェッヘヘ マジな義胤様は筆頭にちぁゃんと手を貸すナイスガイであらせられますのよ・・・!