12






見事、というしかない鮮やかな手並みで、物事は粛々と進められた。
小さな輿に、僅かばかりの供がつき、は米沢を発った。行き先の詳しいことは知らないが、山間にある閑散とした屋敷であるらしい。人家も多くはないが、少なくない程度に散っており、すこし離れたところには立派な寺院もあるという。
喧騒というほど賑やかでもないが、物寂しいことはないですよと、女中が慰みに教えてくれた。
蟄居、ということだが、それほど雁字搦めでもない。供が着けば時折出歩いてもよく、手慰みの品々も幾許かが与えられた。しかし、検めてはいない。荷は用意されたもののみが、従者に担がれて後をついてきている。
謹慎というより、追放のようだ。簾を少しだけ手で除けながら景色を見、がぼんやりと思う。
ゆっくりと通り過ぎる視界は緑が濃い。空気も濃密で、好ましい。林立する大きな杉の香りが胸に広がり、頭が良く冴えた。
やはりあの時は熱くなっていたのだなと、思う。
何もかにもが、出来過ぎているのだ。
申し渡されてまだ三日しか経っていないのに、もう受入先も手筈も、凡てが整っている。いくら大殿の命といっても、流石に鶴の一声でここまで性急に全てが整うはずがない。予めか、若しくは誰かが、確実に送られてくるという了解があってのことだ。
伊達輝宗。相馬家前当主、相馬盛胤とは浅からぬどころか、宿命としか言いようのない、深く重い因縁がある。どちらも、馬上の多くを双方の首を取る事を夢に過ごしたのだろう。ある意味では、よく似ているような気がする。
あれほど焚きつけられた。脅され、侮辱された。だがそのどこまでが本心で、どこまでが言葉の綾であるのか、さっぱりと掴めない。親と子以上の歳の差であるのだから当たり前なのだが、それ以上に底が見えない面持ちは老獪を超えて、不気味すら凌駕し、の胸を燻らせた。
苛烈であったのに穏やかで、暖かさの中に冷静さが絶えず潜んでいる。
だが最後に降った視線は、憐憫ですらあったように思えるのだ。
秋初めの山間は少しだけ冷える。多めに被せられた小袖をより合わせ、砂利を踏む人と馬の足音に耳を澄ます。
狂わない規則正しい音程。
しかし、それを俄かに乱す蹄の音が右手から近づいてきた。

「…お疲れではございませぬか」

低く、静かな男の声。護衛に着いた何某かだろう。は目線も向けずに取り成した。

「いえ……貴方方こそ、山間の輿は辛いでしょう。休みましょうか」
「お気遣い、有難く。しかし無用でござりまする」
「そうですか」

会話はそこで途切れるだろうと思った。しかし、馬は一向に横手から去らない。
揺れ行く輿に速度を合わせ、細くしなやかに道を行く四本足は栗毛。はやがて目を向けた。

「…良い馬ですね」

口火を切るのを待っていたのか、それとも驚いたのか。
どちらとも取れる穏やかな間の後、男はくすりと笑った。

「流石、御目が高こうござりまするな。先頃献上されたばかりの駿馬で、音に聞こえた健脚でありまする」
「では、人速に付き従うのはさぞ苦痛でありましょう」
「普段であれば…しかし、姫様のことは一目で気に入ったようで。こうして、お傍を離れようと致しませぬ」
「…まぁ」

ふふ、とが軽く笑った。達観したような吐息交じりの微笑に、武将は少し押し黙る。
緩やかな傾斜を静々と行く行列は、静謐ながら物悲しい。ごく少数の人足と、帯刀する護衛は貴人を運ぶには物足りない。男が前後にちらと視線をやれば、連なりはすぐ終わりが見える。
がふと声を上げ、男に水を向ける。

「馬に名はありますか」
「ございません。もしよろしければ、姫様が名付けて下さりませぬか」
「駒に名をつけるのは、寂しいですから。いずれ別れると、判っているのに、愛着が湧いて」
「………」
「でも、触れてみたいです。よろしいですか?」

への返答の代わりに、男は一行に静止を促し、輿は静かに止まった。ちょうど道幅が広くなり、小休止に良い頃合いだったのだろう。脇に寄せられ、隙間から景色を眺めていれば、緩やかな衝撃とともに輿は地に着く。静かに声をかけられ、簾がめくり上げられると、無骨だが穏やかな形の手が差し出された。掴まって、身を外に出す。日中の陽が眩く目を射、気温は兎も角、夏名残を思わせた。

「足元にお気を…ああ、お寒うはございませぬか」

過保護なまでに丁寧だ。流石にきょとんとなったが見上げれば、夫よりは年上で、傅役よりは若い、端正な若者が真摯にこちらを見下ろしていた。
面識はない。青年ものことを弁えていないようだ。細やかな動きで、小者に手綱を任せておいた馬の前までを導く。

「気性は温和ですから、構わず撫でてやって下さいませ。鼻面の辺りを…」

男の口ぶりがまるで幼い子供に言うようで、思わずはくすりと笑った。その様子を見て、青年は不思議そうに彼女を見下ろす。

「…何か、失礼でも」
「いえ、逆です。こんなに優しくして頂いたのも、随分と久しぶりだなと思って」
「ご冗談を。姫様のような御方を、如何して蔑ろに出来ましょう」

心からそう思っているのだろうか。つい可笑しくては苦笑した。重ねて怪訝そうな視線が返るが、手を翻して視線を誘う。

「本当、良い馬ですね。人に媚びてはいないけれど、見下してもいない。これなら急場の判断も、安心して任せられる…」

しっとりとした皮膚を撫ぜ、丸く円らな目を覗き込みながら、がしみじみという。
青年はこれに少し驚いたようだ。長身の彼は見下ろしながら、佇むの頭から爪先をつくづくと眺める。

「…姫様は、馬にお詳しいのですね」
「いえ…」

ふと言葉を切り、が頸を傾げた。

「貴方は、わたしをご存知ではないのですか?」
「は。殿の奥方様とのみ、お聞きしておりまする」
「そうですか」

相馬はこと馬となれば長けた一族だ。女の身ゆえ意外に思われているのか、が相馬だということ自体、知らないのか。
背の高い相手を改めて見上げ、微笑み返す。

「御名をお聞きしても、よろしいですか?」

言ってみれば、青年ははっとしたように慌てて臣下の礼をとる。

「これは、申遅れました。原田佐馬助宗時、此度は殿のお傍を離れ、姫様の護送を申し付かりまして、恐悦至極に存知まする」
「原田殿」
「然様でござりまする。以後、お見知りおきを…」
「では原田殿は、件の果断な撫で斬りを目にしてはいらっしゃらないのですね」

の言葉に、宗時と名乗った青年は刹那身体を竦めた。
当の本人は構うことなく、大人しい栗毛の鼻面を撫で続けている。
獣は人心の機微に敏い。じわりとした男の焦燥に僅かにむずがった。

「…人目がございます。気安く、そのようなことを口になさるのは、どうか」
「…やはり、真実でしたか」

ふっと、が嘆息する。

「大殿がわたしを担がれたのかとも思いましたが…貴方の言葉で確信しましょう。殿は真実、奥羽に嘗て無い一石を投じられた…」
「姫様」

少し語気荒く、宗時が遮った。しかしが双眸を向けると、僅かに怯む。華奢な娘に少しでも威圧された事が信じがたく、彼は重ねて目を見張った。
伏せがちの大きな瞳は驚くほど黒く、また妙に瞬いていた。暫く難しい表情で獣の横面を撫でていたが、やがてぽんぽんと優しく叩く。

「参りましょうか。早く着いた方が、皆も身体が休まる筈」

思ったよりも軽い身のこなしで、着込んだ重い装束をものともせずに踵を返す。導くはずの思惑が一拍遅れ、はっとした宗時が慌てて前を往き、和やかに身を休め談笑していた供のもの全てに声をかける。
慣れ親しんだ侍女だろう、一人が既に気配を察し、輿の近くに屈んで待っていた。しかしどちらからの手助けも全て遮り、はさっさと四角い囲いに身を沈め、簾を下ろす。
腰掛け、休を取っていたものが慌しく駆け回る。竹水筒を仕舞い、隊列を正す僅かの間、宗時は籠の側から立ち去ろうとはしなかった。訝る侍女の視線すら気にせず
、閉じられた御簾をじっと見据える。輿に込められた気配はぴくりとも動かない。
侍女が流石に口を開きかける。が、その時、年若い別の女が、頭である彼女を呼んだ。

「…ご不満にお思いですか」

侍女が何事かで去った隙を見計らい、宗時が声をかけた。低く素早く訊いたから、聞き取れなかったかもしれない。しかしこの姫は確かに聞いているだろう。言葉を聞き漏らすような、さほど愚鈍な性質には見えなかった。

「失礼ながら、貴方様は殿を責められる御立場ではございませぬ。この上は心お静かに、口を謹んでお過ごし下され」

この言に、は微かに笑った。宗時が眉根を寄せる。

「何をお笑いか」
「…正直な方。貴方こそ、あまりお話にならぬほうがよろしゅうございますよ。余分なことを、貴方は今、三つも漏らした」
「御戯れを」
「蟄居の仔細、撫で斬りの是非、…あと、わたしを知らぬとは嘘ですね」

今度こそ目を剥き、怯んだ彼は僅かに退く。
しかし、にとっては取るに足らぬこと。彼女は既に青年を通り越し、遠くを見ていた。
紅い唇は僅かに開き、漏れる声は静かだった。

「殿を責める気など、欠片も持ってはおりませぬ。この乱世……それに、相馬のわたしが伊達の内情に介在など、片腹痛いことでございましょう?」
「…なんということを」
「お互いのためです」

冷えた声音の後、パン、と乾いた音がした。掌へ強かに扇を打ち据えたのだろう。それを合図として、輿はゆっくりと担ぎ上げられる。
侍従が遠慮がちに、宗時に向かって手綱を差し出した。受け取り、振り向けば、小さな籠はもう前へ向かっている。急ぎ馬に跨り、追い越す過程で、見えやしない御簾の向こうへ、それでも固い視線を下ろした。

「…御無礼、御赦し下さりませ。……少し見縊っておりました」

案の定返る声はない。しかし期待もしていない。この短い間で、完全にしてやられたのは此方の方だ。

「ですが…、これは私の独り言ですが、……貴方様は伊達方の人間になられると、そう思っております」
「………」
「仮令今は無理でも、いずれ」
「原田殿」

今度は、笑み交じりのやわらかい声だった。

「真に、原田殿と申されますか?」
「は……は、偽名までは、咄嗟に考えが及ばなかったゆえ…重ね重ね、申し訳ありませぬ」

頬を掻いて言えば、が今度こそ涼やかに笑った。

「その、貴方のお人柄を信じます。ひいては、大殿の思惟を。…ですから今しばらくは、に暇をお許し下さい」

それきりは、もう何を言っても、箱から声は上らなかった。






景観は日々移ろってゆく。
木々は競って実を熟し、作物は実って、家畜は肥える。空は果てなく高くなり、また陽も落ちやすく、夕暮れ空よりも燃える緋色の蜻蛉が飛び交った。
錦秋の織が白く化粧されるまでにはまだ間があるが、徐々に忍び寄る孤独の気配を感じる、秋であった。
政宗が米沢を発ち、既に一月あまりが経っている。追っては逃げる仇敵を淡々と突き詰めた結果、今は驚くほど属城が増え、伊達勢は仙道において、今や押しも押されぬ強大な勢力となっていた。
かつては響き渡っていた冷笑もついには収まり、変わって叫ばれるのは畏怖の声。
―――あれは鬼だ。片目の鬼畜だ。
―――奴らが通った後、草木の一本も息吹をして居らぬ。
―――外道め。
しかし、漏らすのは未だ遠巻きで様子を伺う者のみ。伊達に下った皆々は、口さがない者は黙り、声高に異を唱えていたものは媚び諂うようになった。
政宗はそのどれにも関心を示さず、また無碍にすることもなく、ただ淡々と凡ての始まりを追い詰めていった。
侮蔑も嘲笑も、一切が胸に響かない。虚ろというより、鋼となったその身の変化を歓迎こそすれ、悲観など持ち合わせていなかった。開眼したというのだろうか。一時を境に、面白いほど、戦の流れが肌で判るようになったのだ。
やたらに押すばかりではなく、不意に引くことを覚える。冷静さを保てば予ての智謀に磨きが懸かり、持て余していた武に華を添えた。すると、大局に目が行くようになる。視野が広がり、どんな固い城、軍にも、綻びがあるということに気づく。気づけば、後は其処を飴と鞭で迫ればいい。
寝返れば重臣。血を求めるなら皆殺し。この二択を突きつけ続けた結果、彼の後ろには人海が広がっていた。

「天高く馬肥ゆる秋……か。豊穣は金より価値があるもんだ。だろう、小十郎」
「紅葉は珊瑚、楓は真珠、公孫樹は瑪瑙……愛でるものを散らすは、勿体のうござります」
「That's right! あわよくば二本松までと思ったが、今年はそろそろ潮時か……草はまだか?」

上機嫌で喉を鳴らせば、深く腰掛けた床几の上で、長い足を持て余す。華美な装束にはいよいよ磨きが懸かり、凄惨な戦場にあって美しい彩りを乱すことはない。
手足となって暗躍する黒脛巾を先回りさせ、下知していた三城を落とせば、後は袋の鼠も同然だった。しかし、相手も中々に食えない。足がかりである岩角城を落とした時点で、大内定綱は小浜すら危ないと見て取り、さっさと居城どころか兵も家臣も凡て捨て、援軍の芦名勢とともに二本松へと逃走していた。
おかげで入城は簡単だったが、またしても定綱は討ち漏らしてしまった。
捕虜から聞き出した「二本松へ逃走」、という情報だったが、これだけ鮮やかとも言える身の翻し様なのだ。小浜に入り、事情を耳にした政宗は苦笑し、やれやれと肩を竦めると、ただ草を遣わし、己は戦場における後始末に奔走した。
行軍を止めての報待ち。高揚する山間から大きく息を吸えば、清清しい匂いが肺いっぱいに傾れ込む。傾いだ頭で遠くを見遣っていれば、諜報部隊の先人が戻ったと、急ぎ伝令を携えた男が伝える。
身を乗り出す政宗の前、無言のまま脛に黒い布を巻いた若い男が進み出て、深く頭を垂れた。

「遅くなりました」

男の声に、政宗を鷹揚に手を振る。

「構うな。どうだった」
「は。ご懸念の通り、彼奴ら小手森も見捨てる算段でございましょう。ごく内内にですが、先走って芦名勢が撤退を始めておりまする」
「やはりか。ま、冬の手前だ、そろそろ里心もつくわな」
「足軽らの荷車にしては、装いも些か重厚…輿とまではいかなくとも、確実に荷に紛れておりましょう」
「狸の次の巣穴は確認できたか?」
「後続が担いましたゆえ、詳しいことは」
「Hum…」

吐息とも着かぬ仄かな呟きを零し、腕を組んで空を見る。
その高い高い青の青さにか、己の考えにか、やがて政宗はにやりと口角を吊り上げた。

「Okey,よくやった。下がって休んでな」
「有難く」

関節の運びも感じさせず、草の男は地を這う凡ての陰に身を潜めた。
解け消えるようなその退場を何気なく見守っていた小十郎は、酷く機嫌よく笑い出した政宗に驚いて振り返る。

「如何されました?」
「いやなに……俺もまだまだ餓鬼だが、あいつも歳食ったもんだと思ってな」
「は?」

なお訝る彼になんでもねぇよと手を振り、立ち上がった。棚引く裾を後に残す視線の先はやはり上。はるかな梢の先に広がる、天上のみ。
腰に手をやれば、提げた六爪の鍔が擦れ合い、ガチャリと音をたてる。

「二本松には兵をやっとけ。ただし、脅かすだけでいい。残りは俺と共に帰還だ。狸狩りは年越し後だな」
「捨て置くので?」
「ここで遮二無二追いかけても、どうせまたイタチごっこさ…今頃は黒川辺り、か? なら焦る必要もない。正月くらいは骨休めといこうぜ」
「それは…」
「なんだ、不服かよ?」
「まさか。真、皆も喜びましょう」

小十郎が暖かく笑むので、政宗も目線を下げて応えた。
ちらと笑えばすぐ逸らし、床几に背を向け陣場に向かう。その背に当然のように従う傅役に、暫くしてから、なぁ、と何気ない風な声がかけられる。

「一収拾ついたな」

見えないながらも、小十郎は律儀に頷く。

「ええ、収まりました」
「これでいいか?」
「よろしゅうございましょう」

そうか、といったきり、政宗は何も言わずに歩を進める。
前方に、寛いだ兵士たちのざわめきが木霊する。炊爨の高揚に勝鬨の余韻が加わり、伊達勢は多勢ながら気勢に凹凸が無い。
染まりゆく紅葉の錦の狭間。耳に心地のいい和やかな笑い声はしかし、政宗の姿を目に入れたものから、少し暑苦しいそれに変わる。
渦中の彼は初め苦笑し、だがやがて求められるに相応しい頭領たる顔で、朗々と声を上げた。

「夜を越せば引き上げだ! 帰る前から潰れるんじゃねぇぞ!」






住めば都とはよく言ったものだ。
経験するのは二度目であるから、苦も何も無い。それに、今回は気心の知れた女たちが付き添ってくれているし、伊達の者であるから、無碍に帰す必要も無い。
一番親しい女は出立前日の夜、凡てを抜きにして付いてゆくからと、涙ながらに訴えてくれた。
有難いことこの上ない。だがそれでもやはり、手の足りなさは拭えない。維持するには煩わしい、無駄に大きい設えの屋敷は、流罪に遣われるにしては驚くほど立派であった。引き戸の取手や部屋毎の蜀台など、些細な装飾にも趣向を凝らしてある。調度もさりげなく懲り、質素だが貧相ではない。南蛮渡来の物珍しい食器など、女たちは兎も角、でさえ興味を示し、暫しうっとりと眺めたものだ。
故、粗相があっては大変と、誰も彼もが忙しく毎日を立ち回っている。屋敷内の雑事は件の女が采配を振るうが、が手出しをしないわけが無い。普段であれば小言と共に諌められるのだが、今回は事情が事情である。それに、何かしていたほうが気も紛れるのではないか、という、誰かしらの進言により、彼女がせっせと小間使いに回ることを咎める声は粗方が減った。
しかし、炊事洗濯洗い場など、水仕事は言語道断。
昼餉も済み、細々した事も一段落が着く。皆がゆったりとした速度に支配される頃合いに、は一人縁側で針仕事をしていた。
詰められた荷物は誰が選んだのか、やはり実用には程遠い絢爛な衣装類が詰め込まれており、到底普段の立ち回りで使用できるものではなかった。ならばちょうど良いと、目を離せばうろうろする彼女を押さえつけるため、女たちは小袖を縫っては如何ですかと申し出た。冷える水に肌を浸すより、針を握るほうが何倍も安全だ。
そそっかしい上に実は不器用なだが、一通りの躾はしっかり受けている。本人の興味の如何により結果が左右するから、出来栄えに非常に斑があるのだが、今回の縫い目は酷く単調でそつなく、また面白みも無い。すいすいと流れるように手を翻し、まだ若干麗らかな日に身を晒しながら、思考はぼんやりと漂っていた。
荷にはその他、使っていた生活用具、化粧具、真新しい石鹸や香料など、如何にも女性らしい揃えもあったが、底の方に、一振りの短剣が忍ばせてあった。
柄頭に彫りこまれた紋は竹丸に雀。その金箔の照り返しも真新しい、黒漆の懐剣であった。
非力なでも十分に振り回せる大きさ。衝撃と共に手にとってみれば、驚くほど軽かった。白刃の淵は眩く光り、触れただけで皮を裂く。丁寧に打ち、ようく研がれていて、見つめるほど目を奪った。
だがそれは、未だ荷の底に仕舞ったきり。誰にも見つからぬよう、急いでまた葛籠に押し込めたのだ。
思い描けばすかさず脳裏に浮かび上がる、その鮮烈な印象を振り払えない、の僅かな抵抗だった。
さわさわと、すっかり染まった庭の紅葉を風が揺らして通り過ぎる。落葉はまだ少し先、秋の盛りの木々は本当に美しい。然程広くないが、狭くも無い今の庭には、四季折々に表情を変える潅木が近場に選ばれ、見るものを飽きさせない。
移り住んで幾程の間に、残っていた夏景色はすっかりと姿を消したが、流れいずる実りの季節はまた、目に肌に時の無常を語りかけてきた。
パチン、と糸切鋏で末を断つ。ふう、と息を吐いて布地を掲げてみれば、何の変哲も無い小袖の態。黄丹に薄紅の鉄線が僅かに縫い織られ、紅葉の木々に囲まれれば、埋没しそうな色合いだ。
汚れは目立たなくていいなと、が少し微笑んだ。

「ごめんくだされ」

突然、少ししゃがれた声が前方から掛かる。ふいと顔を上げると、日よけの笠を被った小さな老人が、遠慮がちに竹垣の隅に佇んでいた。
よく、ここまで入ってこれたものだ。人の少ない屋敷といっても、そこはやはり伊達家直轄。余人はあまり立ち入れないようになっているはずなのだが。
驚きに固まると目が合うと、相手は人好きしそうな優しい笑みで会釈をする。

「家人の方がいらっしゃらず、こんなところまで入ってしもうた。お許しくだされ」
「ああ、いえ、こちらこそ気づかずに…」

戸惑いながらも、が小袖を脇に置き身を乗り出すと、老人は笠を取った。
現れた、容良い小さな頭は剃髪。それがまたふいと下がった。

「貴人様のお屋敷で無礼かと存じますが、何卒年寄りに茶を一杯恵んでは下さらぬか。久しぶりの行脚を推してみれば、不精が祟っての」
「まぁ」

僧であれば無下にすることはできない。何より、お年寄りは大事にしなければ。
困惑は脇においてわたわたと立ち上がり、彼女らしい慌しさで手元の道具一式を抱えると、後ろの座敷に乱雑に放り込む。
続いて広い縁側を手で手早く掃きながら、面白そうに見つめる翁を手招いた。

「どうぞこちらへ、遠慮せずお休みになって下さい。すぐお茶をお持ちします」
「おお、有難く」

一旦奥に引っ込み、一応侍女たちに声をかけるが、誰もいない。不思議に思いつつもまあいいかと慣れた手付きで茶をいれ、盆に載せ戻ってみれば、老人は笠を脇において縁側に座り、刈り込まれた植木をしみじみと眺めていた。

「すいませんお待たせして。どうも皆出払っているか、別当の掃除に回っているようで…」
「どうかお気遣い無く。こちらこそ、御仁手ずから茶を汲んで頂くなぞ、身に余る行幸」

呵呵と笑う翁の顔は柔和で、仏門に帰依しているにしては、世俗と縁を断ち切った、あの近寄りがたい清貧さは無い。よくよく見れば、身なりは確かに軽装の旅衣だが、草鞋はそう擦り切れてはおらず、足袋も泥汚れが軽い。旅の僧侶と思ったが、違うようだ。
そういえば、近くに寺院があると聞いた。行ったことは無いけれど、そこの方だろうか。
の不思議顔を汲み取ったのか、どうか。茶碗を手で包み込むように持ち、ふうふうと冷ましていた老人が、また緩やかに笑った。

「この屋敷は暫く無人であったが、御仁はいつ頃こちらにいらっしゃいましたのか」
「もうすぐ一月ほどになりますから…まだ夏名残の頃ですね。法師様は近くの寺院の方ですか?」
「ほう、ご存知でありましたか。いかにも、あの見目ばかり立派な寺の、穀潰しでございます」

が驚いて目を瞬かせれば、僧は茶をごくりと飲んでやりすごす。

「二月ほど前までは、儂も真面に、真当に、禅師などをして、偉そうに人を導いておったがの」
「…お辞めになったのですか?」
「辞めてはおらぬ。おらぬからこそ、穀潰しでありますのじゃ」

はぁ、とが戸惑った返事を零すと、僧はまた呵呵と笑った。熱い茶を飲み干した、暖かい息を大きく吐くと、突然「いい庭でございますな」とポツリと漏らす。

「ようく手入れされ、四季の切り取りも鮮やか。冬になればまた違う化粧をして、御仁の目も休まりますまい」
「ええ…美しさは、本当に」

抱えたままだった盆を縁側に置くと、木々はぶつかり合ってこっそりと音を立てた。少し離れた位置に正座する彼女を振り返り、僧が初めて不思議そうな顔をする。

「お気には召しませぬのか」
「いえ、そのようなことは、無いのですけれど」
「では?」

が困ったように微笑んでも、老僧は穏やかに先を待っていた。柔和な目に皺の深い小さな顔。小柄なのに、途方も無く茫洋とした気配を放つ。
圧力ではない優しい気配に背を押され、はゆっくりと庭木に目を向けた。

「目は和みますし、見目も艶やかで楽しい。…けれど、わたしが好きな木々は、こうやって囲われるものでは無い様に思うのです」

紅葉も公孫樹も、ただ一本で何の意味があるだろう。聳える山々を群を成して染め替えるからこそ、圧巻であり、感動を覚えるのだ。
出歩けるならば見たかった。外に出れるとはいっても、奥深い谷山に分け入ることは出来ない。叶うならば今時分は、胸を満たす落ち葉枯葉の匂いを精一杯嗅ぎ、長い冬の眠りについてゆく野山に別れを惜しみたい。
自然を愛でるとは、そういうことではないのかと思うのだ。

「……尊い方にしては、随分と」

乙なことを仰られる。
そういって僧はまた茶を飲んだ。吹き込む風が今度は強く紅葉を揺さぶり、つられ何枚かが宙に舞った。巻き上げられ、塀の外に消えてゆく。目で追えば、果ての無い空が目に入る。

「天土の間にある凡てのものを欲するは、人の業というもの。成る程、所詮人間が造るこの庭に、真の意味は無いかもしれぬな」

飲み干した茶碗を、まだ両手で大事に包み持ち、僧の視線は庭土に降りた。は未だ高い空を見上げ、ただ静かな声を聞くとはなしに聞いている。
初対面であるのに、不思議とそう感じさせない出で立ちである。人を警戒させない術を心得ているのか、忍び入るような声はひどくゆっくりと、秋最中を漂う。

「ですが、移ろい行く凡てと常に共に在りたいと願い、内に囲ういじらしいその思いもまた、美しいとは思いませぬか」
「………」
「貴方はまだお若い。そのように澄んだ目をするのは、往生の間際だけでよろしいぞ」

のんびりと鳶が舞っている空から、は顔を下げた。僧に向け、微笑を返す。
だが相手は言ってから急に照れたように、穏やかな顔を皺だらけにして、剃った頭をつるりと撫でた。

「いや、いや、知った風な口を利き申した。ご無礼お許しくだされ。たった一人の弟子も育て上げれぬほどの儂が、何ぞ人に説教などとな」
「とんでもありません」

笑いながらが急須を差し出すので、僧は固辞し切れずにもう一杯だけと茶を受ける。緑茶の匂いは多少冷めても鮮やか。滞りなく喉を潤せるそれに、僧が口をつけていると、今度はが水を向けた。

「大層可愛いお弟子さんがいらっしゃるのですね」

急須を置きながら言うので、視線は交わさない。僧が少し声をあげて笑った。

「そう聞こえましたかな」
「ええ。出家された方なのですか?」
「あれが仏門に帰依するなど、考えただけで片腹痛うありますなぁ」
「では…」
「小生意気で横柄な、図体ばかり大きくならしゃった、性悪の脛曲がり。今ごろはどこぞを駆け回って居るやら…帰ってきたらまず儂の元へ来いと、そう言付けてきた復路でしてな。いや、会えんでよかった。今会うたらきっと、力いっぱい殴っておったわ」
「…殴るのですか?」
「おうとも。言うてわからなんだら、体に分からすしかあるまい?」

そう言って、驚いているにまた一頻り大笑い。残っている茶を飲み干すと丁寧に合掌礼をし、笠を手に立ち上がる。

「馳走になりましたな。この御恩は追って必ず」

ごく丁寧な物言いに、今度はが笑った。

「これくらい、如何という事もありません。わたしの方こそ、久しぶりに楽しかったです」

お粗末さまでした、といって湯飲みを盆の上におく彼女を見ながら、僧は笠を着付けつつ、相変わらず柔らかい笑みで付け足した。

「お暇な折にでもお尋ね下され。この辺りに寺はひとつしかない。人に聞けばすぐに分かる筈。歓待致しましょうぞ」
「是非」
「外に出る言い口実にもなりましょうな?」

咄嗟に顔をあげると、既に二歩を退いた翁は含んだ笑みで待ち構える。

「世辞ではございませぬぞ。寺は格好の隠れ蓑、逃げ場が欲しければ、いつでもいらっしゃれ。儂も人手が欲しいでな」
「…あ、の」
「ではな」

言いよどんだ隙に、会釈をして老人は踵を返す。思いのほか敏捷なその姿は、昼顔の絡んだ竹垣の端からすぐに消えた。






帰城してみれば、発つ前の雰囲気は一掃されており、過ごしやすいことこの上なかった。煩わしい小言もないし、鬱陶しい陰口も、それに対する告げ口も耳に入ってはこない。敢えて言うならば、ころと態度を変えて媚を売ってくる誰某は面倒くさかったが、それもひとつ溜息でもつけば解決した。
一変した状況に慣れるまで、そう時間もかからなかった。いや、意識する暇もなかった、というのが正しかったのかもしれない。雪が解ければ本格的に奥州広域に手を広げ始める。連日連夜、そのことに対する軍儀やら何やら、身がもう二つ三つあればいい、と思うほど、目まぐるしいのだ。
身辺の些細な変化など、考える暇はない。
くぁ、と大欠伸をしながら、めっきり涼しくなった黒木の廊下を行く。素足の感触は乾燥して気持ちよく、少し冷えるが彼には慣れたこと。ぺたりぺたりと軽い足音が反響し、気づいた小間仕えが慌てて脇に下がる。
その平伏する様子に慣れていれば、角からひょっこり顔を出した従兄弟は、相も変わらず不遜であった。
政宗に気づき、ひょいと片手を挙げる。

「お疲れ。何処行くの?」
「女の処」

間髪いれずに答えれば、彼は成実をすり抜け歩を進める。
その台詞に顔を顰めたけれど、成実は政宗の後をついてゆく。

「こんな真昼間からぁ? 働けよ」
「今まで死ぬほど働いたんだよ。昼寝ぐらい好きにさせろ」
「…寝るだけなら文句はないんだけどね」
「ぁあ?」
「何にも! ま、程ほどにね。足腰立たなくなったら笑うよ」

睨んで返せばちょうど角。ひらひらと手を振る彼は、政宗とは反対方向に去ってゆく。

「…成実」
「何?」

声がかかって振り向くと、然も何でもないといった横顔。視線は向けずに、顎に手を当て前を見ている。

「父上から何か訊いたか」
「…何かって、何」
「……訊いてないならいい。行け」

言うなり彼も歩を進める。深い蒼も、鮮やかな青をも好む背は広く、だが少し強張りが見えた。
成実は暫く眺めていたが、離れすぎる前、声が届く内に、口を開く。

「俺は何も知らないよ。訊く気もない。でもお前が知りたいならすぐ知れるのに、どうして訊かないの?」

気心の知れた仲だったが、最近は気安い口を利かなかった。城に帰れば多少は気負いも消え、お互いにじゃれ合う間柄だ。今までなら意識しなかった。けれど、吐いた成実に緊張が走る。それほど今の政宗は変わったのだ。
懸念を他所に、彼は気にした風もなく、また歩みも止めない。気だるげに後頭部に手をやり、首の付け根を揉んでいる。

「似た女を何人も抱えるくらいなら、迎えに行ってやりなよ」

答えないままでいれば、そう言ったきり成実は諦めたようだった。武人らしい足音を感じさせない運びで、気配は静かに遠のいてゆく。
廊下を渡り、いくつかの角を過ぎれば、景色は不意に変わる。吹き抜けの回廊から外を見れば、広い広い秋の庭が広がっており、青々と茂っていた草葉は黄金に変わって、蓮華は花を散らしていた。
季節の移ろいは容赦ない。今見ている景色はかつて眺めたものと確かに同じであるはずなのに、そこにあったもの丸ごと凡てを無くした気になる。
だが彼は歩を止めず、差し掛かる回廊を無為に超えた。秋風は羽織の裾を巻き上げて過ぎてゆく。

「殿」

後方から、今度は鋭く声がかかった。低い男の声で、聞き覚えが嫌と言うほどある。
やれやれと振り向けば、眇めた視線の目の前には、端正な青年が足早に近寄る最中だった。

「今度はお前か。つくづく俺の行く手を遮るな」
「御政務でございます」
「…茶を飲む暇もないな」

鬼庭綱元はくすりとも笑わず、涼しい態で頭を垂れる。

「御召変えをして、大殿とともにお控え下さいませ。宵を過ぎれば宴になりましょうから、それまではどうか、大人しゅう」
「……誰が来た」
「畠山義継以下、股肱の臣が三名、供回りは四、五十人ほど。進物を従えて先ほど到着なされました」

途端、政宗の眉間に深い皺が寄る。

「二股松が今更随身ねぇ。随分虫のいい話じゃねぇか」
「世情により移ろうは小大名の常……服従を恃むのであれば、飲んで縛り付けるが容易いと存じますが」
「ほう、お前はやつの肩を持つか」
「大殿の御意志でございまする」
「あの人も甘いな…」

はぁ、と盛大に溜息をついて、政宗は傍の大きな柱に寄りかかった。難しい顔をして、視線は遠くにやる。
暫く腕を組んで考え込んでいれば、傍で頭を垂れていた綱元がふと顔をあげ、少しきらきらした瞳で政宗を覗き込んできた。

「お厭でございまするか」
「…まぁ、そりゃ、出来る限り会いたくはねぇな」

綱元がこうして重ねて問うこと自体稀であるので、敏感に何かを嗅ぎ取った政宗は慎重に応じた。
そんな彼の懸念にそよとも動じず、一周り以上も上の家臣は珍しいことに少し微笑し、では、と口火を切る。

「もうひとつ、殿には御伝言を預かっておりまする」
「伝言? 誰から」
「虎哉宗乙殿」

言えば案の定、政宗は目を見開いた。

「大層なご立腹でありました。米沢に帰還次第、直ちに馳せ参じよとの厳命でございまする」
「………」
「そちらに赴かれるのであれば、大殿には私から、殿は新たに所領となった塩松近郊の検分に出かけたと、そう申しておきますが」
「………………」
「どうなされますか」

淡々と言う男の前で、政宗は唇に手を当てて目まぐるしい思案に耽っていた。どちらに転んでも決していいことはない。義継と見えれば今日の酒はまずい。虎哉と会えば耳が痛いだろう。
しかし結局、望んで持った高い矜持が、見縊る輩と顔を会わせることを拒んだ。

「…仕方ねぇか。shoot,俺もついてないねぇ」
「お決めになられましたか?」

念を押す家臣の顔には穏やかな微笑。自分の周りには食えないやつらばっかりだと、政宗は今更のように思い、にやりと笑った。

「まぁな。今日のところは、あの説教好きに絞られてやるよ。でかい声出せるならまだまだ長生きするだろ、あの爺さんも」
「滅多な事は…」
「言わせろ。俺を孫の手で殴るやつなんて、あの人くらいだ」

肩を竦めて、来た道を戻る。綱元はついてゆかず、頭を下げて通り過ぎる背に声をかける。

「では、そのように。くれぐれもお気をつけて、暁までには戻られますよう」
「お前も大変だな。後は頼むぞ」
「畏まりまして」






手際よく用意されていた愛馬に乗り、腰に一振りの帯剣のみという軽装で、政宗は城を出発した。少し涼しさが増した昨今、陽も弱くなった日中に駆ける所為か、跨る相棒の機嫌はすこぶるよく、ふさふさとした尾は陽を跳ねて軽快に踊る。艶やかな体毛を撫ぜ、知り尽くした道を気軽にゆけば、すっかり紅葉した木々が目に美しかった。
はらはらと、風もないのにいくつも降ってくる。無限と感じる落葉の雨を通り抜け、なだらかな山を越え、少しばかりの集落を余所目に、見えてくる名刹。
門構えの大きな態は父子愛の賜物であり、目にする度に身が引き締まる思いが身に染み渡る。同時に、世で最も尊敬する一人であるのだが、どうにもいまだ恐ろしさが抜けない翁の顔が浮かんだ。普段は猫だが、ふとした瞬間虎となる。しかし、今日ばかりは出だしから龍かもしれないなと、ひとつ頭を振って馬を下り、門をくぐった。
手綱を曳いて中に入れば、広大な敷地に珍しく人が見当たらない。いつもであれば、政宗が見えた時点で、何も言わずとも誰かが駆けて来、馬を預かってくれるはずなのだが。

「誰か、いないのか」

声を張り上げても、山間の茫洋とした空気に吸い込まれて消える。木霊すらさせず、また返事もない。暫く立って待っていたが、やはり誰も姿を現さない。珍しいこともあるもんだと、彼は不思議顔のまま馬とともに歩き始めた。
砂利を踏む静かな音と、四本足の獣の微かな嘶き。厩の位置は何処となくわかるから、そこまでいけばいいことだ。新鮮な空気に胸が洗われ、久方ぶりにひどく清々しい気分になっていた。
見上げた空は相変わらず高い。しかし、もう一刻もせぬうちに暮れてしまうだろう。日が落ちるのが早くなった。すなわち冬が近い。奥州の冬季は長く、深い。憂鬱な季節の前の彩りは別れを惜しむが如く艶やかで、徐々に下げてゆく視線の先には、紅葉する木々が何本か植えられていた。
ふと、目がとまる。
蒼穹に枝葉を伸ばす大樹の根元で、白袴を着付けた人影が落ち葉を掻いていた。竹箒に公孫樹が絡み、ついでに砂利も集めている。別の用具が傍に立てかけられているから、葉を取れば砂利すらも整えるつもりだろう。しかし、際限なく覆いを散らす根元で作業を続けても、見目は一向に変わらない。今しがた掃いたそこに、すぐまた黄色の染みが出来、白玉の小石と合わさって模様となる。見ているだけで苛々とする状況に、しかしその人物は特に感慨もなく、単調な作業を平然とこなしている風に見えた。
両の手で節の目立つ箒をしっかりと握っている。捲り上げた袖から伸びる腕は白く、いくら陽の元にいようとも一向に焼けない肌を湛えている。しゃんと伸びる背に、落ちかかる長い髪は適当に結われ、動きにあわせて木漏れ日を弾いては、細小魚のように光った。
視線に気づいたのだろうか。それとも、背後にある塵取りに向かう動作のついでだったのか。
小さな顔がこちらに向けられた。
長いこと、どちらも動かなかった。お互いの距離はまだ相当あり、どのような表情をしているのかは、よく確認できない。紫紺の轡で飾られた黒馬が僅かにむずがり、前足で砂利を掻く音がやけに響いた。
それを合図としたのか、政宗が足を動かし、公孫樹に向かって進む。馬は静かに従い、直に落ち葉が彼の身にも降りかかるようになる。目端を掠める黄金の雪の中、身を清い衣で固めた彼女は、唇を引き結んで大きな目を見開いていた。
決められた距離のように、広く間を空けて間向かう。それでも表情は分かり、見目も分かった。それで十分だった。

「…何してんだお前」

自身でも驚くほど、冷えた声音であった。
は少し動揺したのか、刹那視線を泳がせたが、やがて僅かに首を傾げ、そろりと答える。

「…掃除」

あまりと言えばあまりの答えに政宗の口が開きかけたが、結局は音が紡がれる事なくまた閉じられる。
眇められた視線同士は駆け寄ることなく、また再び口を開くこともなく、絡められたまま微動だにしない。
込められた意味に違いが生まれたそのことが、もう二度と戻れない移ろいの証であった。








11<  00  >13








 前回のビビリ具合にみなさんったらやさしいですね…! そんな調子乗りが慰められたのでノリにノってノっての果てに生まれた12話です。お疲れ様でした
一応進んでるっぽいのですが、一体全何話完結だこれ…お市様をこの手でプレイするまでには終わらせたいんですけれども!無理か!(早くも)
ぐだぐだですいません…もう少し妙な関係は続きます(とっととやっちまえよこのヘタレ片目が)