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黙って見送り、何も訊き出せなかった事を、もしかしたら後悔しているのかもしれない。






―――痛い。
文机の角にぶつけた肘、畳に打ちつけた背と肩、頭。そして何より、きつく縫いとめられた手首が軋む。
目まぐるしいほどの思考が脳内を駆け巡り、やがてポツリと思ったのは、酷く直情的なその感情だけだった。
驚いたままのを見下ろして暫し、被さる陰がふっと吐息を漏らす。表情は変わらないのだが、恐らく笑ったのだろう。

「なんて顔してんだよ」
「……え…」
「意外か?」

この体勢で何を、というほど、は野暮では無い。
ただ、問いの応えは是であった。
思えば、随分と長く共にいる時間を過ごしてきたが、艶事独特の泥濘んだ空気など微塵も発生する事無く、無為に日々は流れてきた。自室に来ても政宗は必要意外、みだりにに触れようとはしなかったし、日が暮れる前には必ず姿を消していた。夕餉を共にする事はあったが、それも必ず第三者――小十郎や成実などがかわるがわる座を共にし、決して恋々としたものではなく、幾分か和み始めた柔らかい談笑が響くのみだったのだ。
その潔癖な空間の中、幾許かの言葉を交わし、少しずつお互いの新たな一面を垣間見る。だからこそ彼女は彼を友愛の情で見始めていたのだし、政宗もそれは何処と無く、感知していたように思えた。
憎まれ口は叩くが、決して粗野ではない間柄の中で、何時かは来るだろう、しかし遠い出来事に感じ始めていた、今のこの状況。
彼女は酷く衝撃を受けていた。
政宗はの反応をつくづくと眺めていたが、うろたえる彼女を見下ろして、また小さく鼻を鳴らした。

「別におかしなことじゃないだろ。お前は俺の女だ」
「それは…」

そう、なのだが。

「つい忘れてた、ってか」

淡々とした、抑揚の無い声が響く過程で、空いた片手がの頬に降りる。
骨張り、乾燥したこの大きな手はもうなんとなく、知っている。けれど、これほど熱を持っていた事は、無かった。

「…なぁ」

ややあって、見開かれたの目を捉えたまま、変わらない表情の政宗が言う。
無言のまま、目端でが促すのを暫く眺め、頬に添えていた手で散った黒髪の一房を取り上げる。細く繊細な蚕糸に似たそれを指に巻きつけ、絡ませ、唇に添える。ひんやりとしていて、何処か甘い。逃げるように滑り落ちるまま、ゆっくりと手放してから、少し息を継いだ。

「お前、俺が好きか?」
「す…」

衝撃を戸惑いへと変え、はたじろぐ。逡巡する思考は珍しく纏まらず、ただ精一杯に開かれた瞳が、降る視線の意味を探ろうと躍起になる。
暫くして、色の変わらない陰は、縫いとめた腕を少し握りなおした。

「まぁ正直、然程好かれてるとは思っちゃいねぇよ。…お前は賢い女だ。多少打ち解けても、"伊達"の俺に手の内を見せる甘さも無いし、抜かりも無い。癪に障るくらい、完璧にな」
「…」
「俺も、お前を好きにはならねぇさ。…だが別に、嫌いなわけでもない」

引き結ばれたの唇が無意味に開閉する。それは紅を引いたわけでも無いのにやけに赤く、被さる政宗の目を惹く。
握る腕に新たな力が加わった。

「惚れて無くても、女は抱ける」

ぐっと、一つだけでも鋭い眦が近くなる。

「男はそういう、生き物だ」

の唇に被さる寸前、止まった容の良い同じものが錆びた声で吹き付けた。そのまま微動だにしない。お互いの吐息が、それぞれの唇に掛かりあう。少し身を捩ればきっと触れ合うだろう距離で、政宗はゆるりと逸らさない視線を送ってくる。
背を駆け上がる言い表しようの無い恐怖と、身の底で燻る生温い熱に、は身動きが取れない。日の本で見ていた彼の変容にただ驚き、ざらつく言葉に頭がついてゆかない。縫いとめられた片腕は穏かながらびくともせず、それがやがての末路を物語っているようだった。
身が竦む。だが、厭になるほど冷静な部分が彼女の中には常にある。

「…なぜです」
「…何が」
「……明日から、御出立なさるのなら…、女に触れるの、は」

言い終らない内に、政宗の持て余した指がの頤から唇へと滑りあがった。くつくつと笑う表情も相俟って、齎される扇情的な仕草に息が詰まる。

「…女は穢れって、あれか。お前もそういうくだらないことに左右されるんだな」
「くだらない…」
「そうだろ? 女が皆穢れてるなら、その胎から出てくる男も皆、穢れてるさ」
「……」
「……ああ、面白いじゃねぇか」

重なり合わない、けれど極近い唇が、一度息を飲み込む気配がした。

「餓鬼」

政宗は少し身を引いて、只管近く焦点の合う位置で、を見下ろす。

「外道のお前と、俺の、餓鬼は、一体どんな化け物なんだろうな」

皮肉げな声は、常に聞いていたものと同じ。
けれど、彼女は紡ぐ声と共に生まれた視線を交わした途端、自由な片腕で政宗の袷を掴んだ。

「どう、なさったのです」

華奢な腕が僅かばかり、厚い胸板を押し返した。見開かれていた眼はそのまま、しかし、女の怯えの矛先は、向けられる情欲とは別のものに移行している。
政宗は刹那だけ動きを止めたが、やがてゆっくりと隻眼を細めなおし、切迫するをまた見下ろした。
彼女はゆるりと頭を振る。

「…いえ、違う。……なにを、なさる、おつもりなのですか」

最早、羞恥や逃避からの問いではなかった。確固たる確信を持って、政宗の変容の根底には何かを垣間見た。
鼻先が触れ合うほど間近な先、彼は応えるでも、笑うでもない。陰となっても凹凸のよく判る、整った顔は能面のよう。慄然と身を震わせるの上で、切れ長の左目は黒々と冴え渡る。

「殿…」
「黙れ」

視線の重きは変わらないまま、冷めた声音がただ一言を呟いた。底冷えのする固い声。しかしそれでも、は袷から手を退かさない。寧ろ一層強く握り、掴み、捻った。
政宗は重ねて何を言うでも無し、だが皺になった上等な夏衣に視線は遣らず、交錯する視線は、雨雲が驟雨を運ぶに至っても、やはり動かない。軒先を、濡れ縁を、和鼓に似た響きが叩いてゆく。
やがて、緩慢ながらも力強い掌が、静かにの腕を引き剥がした。握った繊細な指をそのままに、暫く無表情だったが、ふと笑う。
酷く歪んだ笑みだった。

「癪な女だ」

途端ぐいと胸倉を掴み上げられ、ぶつかる勢いで唇が重なった。手を押さえていた腕はの後頭部へと廻り、腰ごと身を引く彼女の抵抗を捻じ伏せる。荒々しい揺さぶりに、眼前一杯に広がる端正な顔。今度こそ精一杯にもがくに構う事無く、慣れた口つきは好き勝手に這い回る。
呼吸が出来ずに苦しい。眇めた目の前にある抉るような視線が煌々と熱を帯び、やがて身体ごと圧し掛かって倒れた。背を打つ畳の衝撃は軽いが、押さえ込まれた両手首と覆い被さる重みで、抵抗は見事に殺される。
存分に嬲り終えた唇を解放すると、それはそのまま首筋へと降りる。必死で息を継ぐの細い手首を器用にも一絡げにし、自由な片手が薄く軟い夏衣の帯を引き剥がしに掛かる、その時だった。

「……なんだ」

ぴたりと動きを止めると、反り返る白い喉元で、憚ることなく荒い息を吹きかけ政宗が呟く。
――何を、言って、いるのか。
混乱の真っ只中にいるが、整わない呼吸のまま身を固くし横臥する頭の先、薄い襖障子に影が差す。

「…御款談中、申し訳ありませぬ」

静かに忍び寄ったのは、聞き覚えのある声だった。
双方馴染みある傅役は、感情の籠らない声で二の句を告ぐ。

「仰せになられた麾下の諸侯凡て、御集まりになられましたが」
「…そうか」

政宗がじわりと身を起こす。から視線は外さずに。

「すぐ行く。お前は先に行ってろ」
「は……」

足音もさせず、にとっては何も感じられない、けれど確かにそこにいただろう人影は、ゆっくりと障子から立ち消えた。
あとは細く長い軌跡を描く夏雨だけが静寂を破る。ささやかな衝突音のみを背後に据え、ただ無言のまま、お互いがお互いを見つめ返していた。
依然として微かに呼吸が不規則なの髪が畳の上に豊かに広がり、白く小さな顔は上気して遣る瀬無い。潤んだ目に、乱れた裾や袷は何時か見た事がある。けれど、あの時に無かった気持ちが政宗の中に薄く生まれ、どうしようもなく漂った。

「…全くあいつは、相変わらず妙な間を狙いやがる」

だが、それに無理に背を向け、見切りをつけるように呟いた政宗が立ち上がる。開いた袷を簡単に纏め、落ちかかった前髪を掻き揚げると、もうを見ない。後を追うようにゆっくりと上半身を起こす彼女の、途惑いながらもひたりと鋭い視線を受ける背は、既に襖障子に手を掛けていた。
は決して口火を切ろうとはしない。けれど、目は口ほどにものを言う。問いの答えを得ていない真摯な獣の目が、引き戸を開ける手を鈍らせる。
政宗が一度、ゆっくりと呼吸をした。

「俺が言ったことを、忘れるな。勝手に出歩くんじゃねぇぞ」

返答を制し、音もなく引き開けられた先は暗く、よく見えない。
政宗が一歩を踏み出せば、広い背は闇に溶けるようだった。



その翌。天正十三年八月、未明。陣ぶれの法螺貝が鳴り響いた。






運ばれてくる風に、僅かばかりの塩気がある。
墨瓦に白磁の城壁、ぐるりを堅固な石垣と山林で守られた天然の要害。屈指の名城と名高い小高城では、伝令の早馬が今し方到着したばかりだった。
磨かれた木目も美しい広間で、使者の口上をとりあえず預かり受け、主要な家臣が一堂に会する。上座に居座るのは現当主である義胤だったが、ちらりちらりと注がれる視線は、少し後ろで胡坐をかく盛胤へ向けられていた。
朗々とした声が、長々しい文を読み上げてから、幾程経ったか。回りくどいと言うよりかは、絶妙な言い回しが連なる言葉を耳に入れ、隠居は静かに目を閉じている。だがやがて、堪り兼ねた義胤が手を振って遮った。

「もういい。十分だ。同じことをそう何度も言う必要は無い」
「は……いえ、しかし、使者殿の口上、凡てお耳に入れることが礼儀なればと…」
「その、使者とやらは何処におるのだ。手前で差し出すものを、なぜ手前で読み上げない」
「それは…」
「儂が止めた」

割り入った声を、義胤は剣呑に睨む。

「父上、私に黙って勝手はお止し下さいとあれ程…」
「いや、すまんな。年寄りが出過ぎた真似をした。しかし結果としては悪くあるまい? ここに使者がいれば厄介だった」

組んだ足の上に置いていた手を上げ、ざらりと顎を撫で付ける。義胤は油断ならぬ目つきで隠居を見つめていたが、やがて根負けして促した。

「…では、伊達殿の要請どおり、援軍は寄越すが良いと?」
「まだまだ青いな。お前は」
「如何いう意味です」
「逆だと申しておるのだ。なぜ願っても無い機をみすみす潰すことが出来る?」

義胤の怪訝は、黙って控える十数名凡てのものにも伝わり、座はある種の緊張を持つ。台風の目である盛胤は悠然と微笑んでおり、その先を言おうとはしなかった。
恐らく、嫡男に花を持たせるためだろう。しかし、義胤はあまり宜しく無い予感と共に、先を口に出すことを躊躇っていた。
緊迫した雰囲気に、噎せ返るほど暑い日の最中にしては、心地よい風が通る。リン、とどこかで吊るされた風鈴の音も清澄な、妙なる風だった。

「兵を送らないのであれば、芦名方からは感謝されましょう。しかし、伊達殿にも立てねばならぬ義理がございます。和議の折、交わした誓約にも含まれておりまする」

沈黙を破ったのは、一番年嵩である家臣の一人だった。殿を務めるほど老獪な軍師は、冷えた座を拭うように穏かな声を出す。

「今こそ、真にどちらにお味方するべきであるのか、見極める時期ではございませぬか」
「性急だ」

しかしこれをばさりと切り捨てたのは盛胤。薄く笑む精悍な顔には、うっすらと巌の気配がある。

「寧ろ、これを一つの判断材料とするべきであろう。芦名が勝てば芦名に、伊達が勝てば伊達に。幸いどちらにも縁はある。傍観に徹するが最良よ」
「そのような事、独眼竜殿が黙っておられますまい。不利と見てすぐ羽を返す蝙蝠を、如何して懐に抱きましょう」
「何も、抱えて貰おうなどとは思っていまい?」

向けられた問いは、黙っていた義胤へ。彼は渋い顔のまましかし頑強に頷く。

「無論の事。我ら相馬は仮令総量で劣ろうとも、あの若造に頭を下げる真似はせぬ。皆もそうであろう」

広く聞き渡せば、譲れぬ信念と悍馬の気性を持つ一同は目端で固く頷いた。程度の差こそあれ、この一種倣岸とも言える荒々しい意思は、相馬のうちにあれば誰もが持つものであった。
戦国の世にあって、ともすれば身を滅ぼしかねない頑固さはしかし、同時に揺るぎ無い誇りとなって胸にある。
それは、男であっても、女であっても、同じ事。
隠居はゆるりと微笑んだ。

「ならば、決まったな。誰か、使者殿に申せ。生憎とこの猛暑で、当主は身を患い臥せっておるとな」
「いえ、お待ちください父上。それとこれとは話が別にございます」

纏まりかけた座に、膝を上げる動きが止まる。義胤は真摯な目で鋭く父親を見た。

「伊達殿に傅く事は生涯ございませぬ。ですが、義理は義理。果さねばならぬ道理でございましょう」
「では、芦名には背を向けるのか?」
「亀王丸君の後継に就くは、所詮老獪な隠居共。一度や二度の援軍で相馬を仇と看做すのは安易でございます」
「………」
「故、此度は伊達殿に義理立てを」
「…ならぬな」
「父上!」

ついに声を荒げた嫡男に、盛胤も鋭い睨みを返す。

「足元に囚われず大局を見よ。お前にはそう、何度も教えたはずだがな」
「足元とは義理、大局とは恥知らずのことにございますか。一つ道理をもとれば、名に傷が付くのは我らでございましょう」
「それを忌避するからこそ、今は動かざるべきなのだ。大内如き弱小大名に踊らされる若造が、芦名に楯突くとは片腹痛い。奥羽はそうと見ておるぞ。今動けば、過分な矛先は我らにも向けられる」
「そのような瑣末な…」
「何が瑣末だ。良いから、今は黙ってこの寸劇を見て居ればよい。片目の龍が盛り返すか、逆に骨まで食われるか…」
「っ米沢にはが居るのですよ!」

くつくつ笑う父に、とうとう義胤が叫んだ。
畏縮んだように黙って成り行きを見つめていた家臣団は、義胤の言葉に軽く瞠目する。
そういえば、忘れていた。姿が見えなくなって久しい玲瓏な姫君は、伊達氏総領の妾になったと聞く。居並ぶ皆々が、お転婆だが決して野卑ではない、あの不思議な娘を脳裏に描く。
義胤の難渋はこれが元かと、先ほど場を促した老人だけは一人納得した。
だが、盛胤は眉一つ動かさず、ついと冷めた目で息子を見る。

「それがどうした」
「な…」
「それこそ瑣末な事。あれは伊達に嫁いだ時点で、最早儂等の敵でもあるのだ。たかが女子一人、生きるも死ぬも無い」

絶句し、見開かれた目が盛胤を責める。だが隠居は至極涼しくそれを受け流し、漸うと立ち上がった。

「援軍は断じてならず。こなたも乱世に生きるのであれば、淡い肉親の情など棄てることだ」






青嵐は二度、浮き足立つ城主不在の城を襲った。根底が揺らいでいる中、重ねて吹き荒れる風は城壁も屋根も吹き飛ばし、自由に抉っては過ぎてゆく。
共に来襲した黒々とした鉛色の空には、青光する一瞬の稲妻が走り、続いてけたたましい轟音が襲う。光は目を射、しかし残像を焼き付けてはすぐ消えた。
荒々しいながらも、鮮烈な迅雷は恐怖を寄越しても尚、妙に惹きつける美しいものだった。
慌しく訪れては去る雷鳴は、城下の高い木に何度か、落雷したらしい。
そう教えられたのは、細々とした城の修繕も凡て終わった後のことだった。今はもう不穏な雲も底の抜けた豪雨も過ぎ去り、夏の空は徐々に高くなってきている。
は大人しく、何処へも行かず、耳に少しの噂と風評を入れながら、ただ城の中で同じ毎日を繰り返していた。
雨の日も風の日も、朝から日暮れまでせっせと世話をし、吹き荒れる嵐から何とか守り通した植物は、既に成長期を越え、繁茂期を迎えつつある。
その葉を採り、実をもぎ、根を洗って天日干にする。ある程度の過程を過ぎたいくつかは、女たちの小言を貰いながらも軒先に吊るし、茶けて完熟した霊薬の態を見せていた。
足の速いものは既に完成し、部屋の戸棚に仕舞われている。今はもう少しでそれらに加わるいくつかをきちんと笊に小分けにし、具合を確かめるため掻き混ぜている。だが、白いその手は一心不乱の毎日の所為か、少し荒れていた。
ささくれ立つ指先に乾燥した木通が引っかかり、微かに呻いて動きを止めた。何とはなしにそのまま手を下ろし、腰掛けた縁側からぼうっと庭先に目を移せば、立派に成長した苦労の甲斐が高く高く天に伸びていた。
文句を言いながらも水を遣り、苗を見ては目を丸くしていた大きな背は、まだこれを見ていない。
あれは一体、何だったのだろう。
茫洋とした意識は自然上へと向き、果てない青を仰ぎ見る。
雲がそよりと凪ぐ快晴。陽は真上より横手に近くなり、少しばかり黄味を増してきている。
引き倒され圧し掛かられた、手付きと、声と、表情。
今でも鮮明に思い出される。屈強な身体つきであった彼の一挙手一投足に、頭の芯がぼうとぶれる。そして嫌悪も生まれるのだ。彼に対してではなく、己に対して。
別に、組み敷かれたことが厭だったというわけでは無い。そう、今思い出しても、不快感はやってはこないのだ。
ただ純粋に、驚いた。
その驚きが、厭だった。
の指が、ぶつけられ塞がれた唇を静かになぞる。ゆっくりとした動作は辿るが如く、直首筋へと下り、やがて止まっては落ちた。
コトリ、と骨が木床を静かに叩く。
何時の間にか、自分は、あの城主に、近しいものを感じていたのだ。
それが、晒される憎悪に対しての憐憫だったのか。
或いは―――

様」

止め処ない思考は、忍び寄る静かな声に寸断された。振り向けば、一番近く身を世話してくれている女中が畏まっている。
彼女独りかと思えば、その後ろにもまた何人か、年若い女が畳まれた布地を脇に置き、平伏していた。
目を瞬かせる暇も無く、彼女はに向けて固い声を放つ。

「お召し変え下さりませ。…大殿がお呼びでございまする」






「…定綱は逃げたか」

膝を着き、項垂れた黒脛巾は感慨のない声音を訝りつつも、それを表面には出さず更に深く叩頭する。

「は……手負いの芦名勢を目晦ましに、手勢百と阿武隈川を沿い小浜を目指し遁走しておりまする」
「援軍を食い物にする、か。いよいよけだものの態だな」
「真、迷走も迷走。枚も銜ませぬ馬の背で暗中行脚など、無謀を超えて愚行でござりまするが…如何致しましょう」
「追うぞ。お前らは先回りして大羽内、築館、岩角に入り退路を断て。小浜の手負い狸は逃足が速いからな」
「御意。…では、殿の御武運をお祈り致しておりまする」
「お前もな。生きたその目であいつの首級を見ろ」
「有難き幸せ」

抑揚に欠ける労いを受け取って一拍の後、素早い身のこなしは掻き消えるように、薄暗い室内から去った。
観音開きの大きな扉。木枠は黒金で縁取られ、嵌め込まれた鋲も小豆ほどの大きさで、簡素だが質素ではない。僅かばかりの灯りを吸い、褐色に変化したそれを政宗はちらと見、やがて逸らした。
彼が愛し、誇りにし、己を投身する飛龍が彫り込まれた右目の黒鍔は、血に濡れてぬらぬらと光っていた。
何も、それだけでは無い。身に纏う羅背板と絹で設えた青い陣羽織も、弧月が嵌めこまれた兜も、具足も、抜き身の六爪も、何もかもが血を吸って、無残極まりない。
真夏の夜のぬかるんだ風に、鼻をつく錆びた臭いが混じる。頬に張り付いたままの数本の髪は血で止められていて、緩んだ部分を巻き上げる微風が引いては押し、ちりちりと引き攣った。
喧騒は下火になっていた。大の男が大勢奔り回り、何事かを確認しあう雷声は未だ響くものの、耳を劈く断末魔の絶叫は何時の間にか絶えていた。薄暗い見慣れぬ城内を、獣のように奔り回る影が時折ちらつく。
一度刀を振り、こびり付いた血糊を払う。身形は華奢だが肉厚な蛮刀に、脂の曇りが月光の反射を霞ませる。切れ味が気になり小指の先でつと撫でれば、触れただけなのに皮を薄く裂いた。
杞憂だったか。
少しだけ滲んだ血を舐めながら、冷ややかに冴えた頭の中で幾つかのことを練る。持ち込まれた提灯に燈る灯がゆらゆらと揺れ、視界の端を幾度も翳めた。
堅固な要塞は華美では無い。ぐるりと顔を巡らし、闇夜に塗り篭められた室内を改めて見回す。
そこへ、開け放されたままの大仰な扉から、見知った顔が急いた足取りで入ってきた。
返り血が頬に跳ね、精悍な顔に凄絶さを加えている。

「粗方、片付いた。もう手向かう気力も無いようだよ」
「粗方?」

キン、と高い音がして政宗は刀を仕舞った。腰に手を当てた横顔は成実からすれば左側で、その目は血濡れた小鍔で隠されている。

「誰が残ってる」
「…隠れてた女が、何人か。あと、抱えの典医とか十にも満たない渇食が」
「殺せ」

端的な声音は極平静で、成実は気圧されながらでも、と食いつく。

「男は兎も角、女子供までは別に」
「俺はお前に、一人も許すなといわなかったか?」

言い募る過程で隻眼が少し成実を捕らえた。
それだけで、彼は黙る。

「何度も言わせるな。女だろうが、子供だろうが、誰であろうが、殺せ」

血の臭いを纏わりつかせ、政宗が身を翻す。金臭さに塗れているのは成実も同じで、彼は固い背に一度頭を下げると、反対の方向へ駆けていった。
悠々と歩く目の先、何人もの人間が駆け回っている。ある者は政宗に気づいては頭を下げ、道を空け、ある者は血走った目をそのままにただすれ違っては去って行く。
殺すものと、殺されるもの。どちらが怖いのだろう。
時折、そう思うことがある。
善悪の話ではない。どのような理由があろうとも、人を斬れば人殺しだ。身分という不可侵の壁こそあれ、真実はただそれだけだろう。
ただ、実際、どちらがより恐ろしく感じるのだろうか。
斬られるほうは痛いだろう、辛いだろう。しかしそれは、一瞬で終わる。だが斬るほうは常に、肉を裂き骨を断つ感触に我武者羅に背を押されなければならない。
その、焦燥。
政宗はふと、少しだけ眉間に皺を寄せた。
これは言い分けだろうか。
ついと視線を下ろせば、黒木の床に夥しい血痕が広がっている。引き摺って掠れ、踏み荒らして飛び散り、見るだけで汚らしい。しかし不思議と、今の心は酷く凪いでいた。
夜陰に紛れること無い、荒く乱れた足軽たちの息遣い。噎せ返る血の臭いに、痺れるほど強く残る感触。
この修羅の巷で、心静かに穏かである事。それが是か否かは兎も角、今この時、そしてこれからの道のりが、己が宿命なのだろう。
すっかり忘れていた、先ほどの小指の傷がちくりと痛む。
まだ薄く裂けている、しかし浅く綺麗な傷口から出血はもう無い。些細な傷の方が身に負った打撲より痛む事に奇妙さを覚えながら、何とはなしに口に含む。
左の小指。
―――あの女は。
あの、奇麗事を並べる小癪な女は、この所業を怒るのだろうか。憎むのだろうか。瀟洒な顔を恐怖に歪ませて、泣くのだろうか。
それでいい。
それでも、いい。
頭を一つ振り、見開いた目のまま大きく息を吸う。

「いいか手前ら! 城内の敵、ひとり残らず殺せ! 誰も許すな、皆殺しだ、撫で斬りにしろ!」






身を整えられ、連れられ、いつか政宗と共に座ったここへ押し込まれて、もうどれ程経ったか。支度に手間取った所為もあるが、それにしても待ち人は姿を現さない。
余程多忙なのだろう。別段、腹は立たなかった。
日が暮れ始め、気の早いひぐらしがカナカナカナとやさしく鳴いている。
夕暮れ前の穏やかな風に、日に焼けた土の香ばしい匂い。普段であれば幸せに身を包まれる凡てに、の心が動かされる事はなかった。
何の用向きがあるというのか。
考えなければならないことが多く、目まぐるしい。それは別に苦では無いにしても、気持ちが思考を拒否している。
考えなければ、しかし考えたくない。繰り返し訪れる懊悩に、引き結ばれた唇が乾く。だが溜息を吐けば、凡てが瓦解しそうで怖かった。
慣れた正座で痛いほど背を伸ばす彼女の元に、やがてひっそりと、待ち人は姿を現した。

「いや。すっかり待たせたな。相済まない」
「滅相もございませぬ」

近習には席に着かせることすらさせず、一人きり上座に居座った隠居は形容しがたい表情をしていた。
しんとした、二人にしては大きすぎる室内に、落ちてゆく日暮れ。差し込む赤い陽が皺の深い顔を、癖の無い髪を、眩く縁取っている。
平伏したに顔を上げろと一声、ゆっくりと背を正す彼女を見遣りながら、暫く息を継がなかった。
目を伏せ、畏まる女は、相馬の血を継いでいるにしては、あの宿敵には似ていない。
細面の白い顔を暫く見つめていたが、やがて嫡男に受け継がれた独特の息遣いもそのままに、口火を切る。

「そなたと顔を合わすのは、これが三度目、か。思ったより多いな」
「真、果報なことで」
「儂はそうは、思わぬな。会わないことこそが和平の証であったろう」

は何も言わず、ただ薄く微笑んで輝宗を見た。艶やかなその目付きに、成る程、これはあの気随な息子が気を奪われるのは無理も無い、とすら思う。
だがそれは歓迎するものではなく、酷く重い憂慮からの思惟だった。
身内の贔屓目から見ても、あの嫡男は年若さを補って余りあるほど、怜悧である。
苛烈な気性は母に似て、小粋な姿は曽祖父譲り、器量は天分から貰い受け、己と似通うところはあまり無い。
だかろこそ可愛く、贔屓目で見、気を汲める。およそ、酷く葛藤しているのだろう。池畔で見た佇まい、蓮華の向こうに連れ立った態。最近では見なくなった表情が、そこにはあった。
その危さを、自覚しているのだ。判っているからこそ、迷う。側に居れば、忘れそうになる。
この娘はそれに気づいているのだろうか。
深く長い思考は止め処なく、やがて自らそれを打ち切る。重い溜息が吐き出される座敷に、相変わらず穏かな夕涼みの風が吹き込んだ。

「回りくどい話は、やめておこう。今はそなたと二人きり。人も払った。気兼ねは無い」
「は……」
「儂の用向きが何か、そなたには判るか?」
「…いいえ。見当もつきませぬ」
「真に?」

語尾を攫う重ねての問いは、肌に針が突き刺さるようだった。
しかしは目を伏せ、ゆっくりと頭を振る。

「…ならば、順を追うしか無さそうだな」

深い声音に目を上げないを叱るでも無し、輝宗は一度息を吸いなおしてから、ゆるりと赤い陽に目を遣った。

「伊達政宗が此度の戦、詳細は耳に届いて居ろう」
「…多少、でございますが……やはり大内殿との戦であると」
「そう、即ち芦名との戦だ。小浜をついで小手森に、早くも芦名勢に加え二本松も援軍を出したと聞く」
「畠山殿も…」
「…つい先程、戦場から急使が馳せてな。それで遅くなったのだが」

反応の鈍いを見てとり、輝宗はわざとはっきりとした声をだす。

「始め形勢不利であったが盛り返し、芦名らの援軍はあらかたが潰走したと」
「…では殿は、ご無事で」

低いつぶやきに、輝宗は一つ頷く。

「無論のこと。大内は取り逃がしたが、小手森の仕置きは首尾よく終えたとな」

まどろむようだったの顔色が変わった。

「小手森の、仕置き?」
「……そうだ」
「小手森とは、あの小手森城でござりますれば…仕置きとは一体…?」
「―――見せしめよ」

接ぐはずの息が接げない。
無意味に開閉した唇が作る不自然な間の後、が深く息を吸った。

「…城主は取り逃がしたと、そう仰せられました」
「言ったな」
「では大内殿不在の城で、一体何に於いての仕置きなのでございますか」

じわりと目を見開きだすを見ながら、輝宗は何も言わない。
燻る予感は背を駆け上がり、余分なものをこそげ落とすようだった、あの冷たい視線を思い出す。急な豹変、城内の叛意、この親子の、出立前の不可解な会話。どれもこれもが、の不安を増大させる。
あの目は何だったのか。あの言葉は如何して紡いだのか。
どうして自らを外道と言った。
傾いた身持ちのままの隠居に、切迫した華奢な身が少し乗り出される。

「どうか、申して下さいませ。器を喰らう覚悟とは、如何なることでございましたのか」
「………」
「大殿」
「……撫で斬りだ」

深い思慮を滲ませる視線が、精一杯に見開かれる大きな黒瞳を静かに射抜く。

「苦渋の上で、だ。わかるであろう。今の家中の荒れようを、そなたこそ肌で浴びている筈。あれの不在を良い事に、譜代の者共ですら連日調議を開いては、普請を繰り返しておる。従うか、否かと」
「………」
「内情がそうであって、如何して外様が落ち着いていられよう…最上は既に兵を整え出したという報も届いておるのだぞ」

その言葉が身に沁みたのか、否か。
ゆっくりと、揺れていた瞳は下がりだす。さ迷いながら地に落ち、一文字の唇を一つだけ噛み締めた。

「だが、責めるか」

そう訊く声音こそ、を責めるようだ。

「あの城主を、そなたも片目の鬼だと、罵るか」
「………滅相も、ございませぬ」

髪にささる簪が微かな音を立てるとともに、小さな頭は畳に額ずいた。

「私如き、何故殿を責めることができましょう。不可抗力なれば、仕方なきこと。御英断なのであれば、…良きこと」

固い声音は感情を殺し、末は低くただ流れるだけであった。
輝宗の重い視線は圧し掛かるように、伏すの背にかかる。
見えないことを幸と、それぞれがしばしの物思いに耽る。揃えた指に着いた額の中で、しかしは酷く動揺していた。
その驚愕する身を無理に押さえ付け、彼女は表面上の平静を保つ。目まぐるしいまでの思考の網は、懊悩を何とか押し込めながら、一抹の不安を絡め取っていた。
なぜ早馬の伝令を、自分などに教えるのか。

「…騒ぎはこれで、収束しよう。あれを廃して小次郎を後釜に、などと、愚かな声も絶えるはず」
「よう…」

ございました、という口がどもり、意味の成さない音となり宙に舞った。
今、感情を表すのは、不用意なことを口にするのは得策ではない。見極めなければ、被害は身を越え南に下る。
警戒をあらわにする決然とした小柄な背中。輝宗は眉間に皺を寄せ、睨んだ。

「しかし、此度の事で、儂はようわかったつもりだ。やはりどう足掻いても、血で固められた怨嗟を押し込めることは出来ぬ、と」

輝宗は傾かせていた身を起こし、に向け乗り出す。

「我らにとって、相馬が脅威であったのはもう過去の事。伊達は栄え、そなたらは衰えた。そのような者らは敵にするより、味方としたほうがよいと思った。…田村がその先走りだ」
「…故、わたしは此処におりまする」
「だがそなたが嫁いで、何かが変わったか?」

は答えない。厳しく見据える輝宗の前、身を硬くしたまま、やはり傅いている。

「戦の算盤を教えてやろう。敵は大内の城兵に加え、芦名勢に、畠山勢。纏めれば一万と五千ほどあろう。対して政宗の兵はその五分の三程だ。…無論、援軍を抜いて、な。勝ち目は劣ろう?」
「殿には、田村殿の御味方がございますれば…」
「そう。ではこれで、状況は五分となった。後のうねりは優秀な軍目付、軍師、大将の手腕に委ねられる……そう、思うか?」
「……智謀奇策は百の兵を凌ぎましょう」
「場合によるな。儂のこれまでの経験では、どれほど神懸かった策や罠でも、絶対的な武力の前ではやはり劣る。必要だが、主力ではない。欲しいのは人足よ…しかしそなたの従兄弟殿は、病で兵は出せぬと言いよった」

輝宗は豪奢な脇息にもたれ掛かった。白木に浮き彫りの牡丹がぼんやりと光っている。

「何も御自ら出陣なさらずとも…、そう、何度も乞うたのだがな。出せぬ、出さぬの一点張りだ。仕舞いには戦の不始末をこちらに押し付ける気かと、軍使に声を荒げたと」
「………」
「薄情なことよの」

色のない声は相馬に向けられたのか。はやはり伏せた顔の下で唇を引き結んだまま、鈍い瞬きを繰り返している。

「兵を乞えば一蹴し、どころか今だ虎視眈々と我らの隙を狙っておる。それに加え、囲った牝馬は一向に孕まぬときた。音に聞こえた薬師だと聞いたが、割らぬ口等何の役に立とう。厄介種にしかならぬわ」

男の声は容赦ない。怒りとも落胆ともつかない、冷めた声にだがはよく堪えた。深く静かな怒りが内心を渦巻くが、見目にはそよとも変化を見せない。
輝宗は厳しい視線のまま、暫く微動だにしないを見つめていたが、やがて否が応でも血を感じさせる仕草で笑った。

「小賢しさはよう似ておる。あの男も、まるで耳などないようだったぞ」
「…つまり私は、お暇を頂くということにございますか」

度重なる冷笑に、に少しだけ平静さが戻ってきた。
落ち着いてみれば、いい機会かもしれない。出戻りの女の末路など決まっているようなものだが、相馬に害がなければそれでいい。
しかしまあ、そう上手くは行かないのだろうが。
胸の内だけで己に薄苦と笑ったに、案の定冷たい声が降る。

「そう容易く、逃れられると思うなよ。このままでは我らには、百害あって一利も無しではないか」
「とは申されましても、私には償う術がございませぬ故」
「あるだろう? そなたはそもそもなぜあれに欲された?」
「さて……見初められたと解しておりましたが…」
「儂はあれほど易しくはないぞ」

がゆっくりと、伏せたままであった顔をあげる。交錯する視線をお互いに真っ向から受け、譲らない。

「離縁となれば赤の他人。煮ても焼いても、何処からも文句は出まい?」

輝宗の陰惨な圧力に、はただ顔色を変えず黙っていた。秋手前の夕暮れ空に、千切って投げたような雲が泳いでゆく。光りながら通りすぎ、やがての闇を連れてくる。群青はゆっくりと、茜の空に染み入ってきた。
急速に色を失ってゆく室内に、身を刺すほどの静寂が逆に煩い。立場も、歳の差も、決して勝ち目などない睨み合いに、はしかし逸らさずに居た。
ぶつかるのではなく、かわす。
その女ならではの強かさに、輝宗は関心とは別に息を吐いた。

「…しかしそなたも、疎まれたものよの」

凭れた腕で微かに顎を撫であげる。その動きを見、は微かに目を眇めた。

「単身のうのうと乗り込んできたから、さぞや暗躍するだろうと構えておったが…呈のいい厄介払いか。親御が居ないとなると、こうも不憫な」
「それは違います」

鴇を思わせる、鋭い声音だった。虚ろに全てをかわしていた女が、突如瞳を凛と燃やし、真っ直ぐに睨み上げてくる。

「わたしは間者を担い、謀略に心血を注ぐべくと、嫁いだわけではございませぬ。…ですが、決して排他されたわけでもありませぬ」
「…そう思っているのは、そなただけであろう。現に小高の動向はこうだ。そなたに不利と判っていて、ちらとの気遣いも見せぬ。死んでも構わぬと言われた様なものであろう」
「愛されておらぬ、と?」
「平に言えばな」
「では、殿もそうでありましょう」

が小さく笑った。

「構われぬ、気遣われぬ、身一人であるということがその証と仰せられるのであれば、御東様に疎まれる殿も同じではありませぬか」
「勝手を言うな!」

轟いた怒声は正に稲光のそれだった。凪いだ相貌を苛烈に変え、歯噛みして、それでも睨み上げてくる小娘を見据える。

「おぬしまで…、おぬしまで、あの二人の絆を愚弄するのか」
「家中の噂にございます」
「くだらぬ! 根も葉もない、あのような口さがない事が真実などと…」
「…では、違うと申されるので?」

射殺さん勢いの目がを、泳いだ手が微かに脇差を探る。

「当たり前だ。義が真、藤次郎を疎んじておるというのなら、何れ今生きて伊達の家名を継いでおろう? あの気性の元で、今ここに、生きて居るということが、何よりの」
「同じことでございます」

分け入った声は深く、穏やかだった。眇められた目に映る、背筋を痛いほど伸ばした姿は決然として、恐れも恥じ入る気持ちすら、何処にも見当たらない。

「わたしが今、生きてここに居るという事こそが、何よりも確かな、叔父上の愛でございまする」

噛締めるように紡いだ言葉は、自身の身も震わせた。
形容しがたい視線が返るのが居たたまれなく、彼女は再び額ずく。

「……身を弁えず、無礼を申しました。どうぞ離縁を。…御手打ちを。は米沢にても、果報者にございました」
「………」
「何卒」
「………不憫な娘よ」

生きるということを知らない。
物悲しい、寂びた声音に、しかし顔を上げず平伏したままの女を後に、輝宗はゆっくりと立ち上がる。棚引いた裾は夕闇に彩られ、紫紺が茜を吸い紅蓮の花弁を思わせた。
整然と敷かれた畳の上に、長く伸びた影が落ちる。その異形はの身にも覆い被さり、彼女の視界を暗くする。
編み込まれた畳井草の一本一本が辛うじて判る、夏の夕暮れ。身動ぎすらしない両者の間で、ひぐらしは鳴き止み、陽は粗方が落ち去る。萌黄色の燐光を纏う、気の早い蛍が一匹、庭の置石に戯れては消えた。

「そなたには、暫しの蟄居を申し付けよう。場処は追って知らせる。身を隠し、手慰みすがら、ようく顧みるが良い。己が生き方を、今の世の刹那さを」

衣擦れの音と、足袋が畳を叩く音を淑やかに鼓膜に残しながら、隠居は静かに座を後にする。
身を上げず、頭を上げず、項垂れたままのは、少し呼吸を忘れていた。
残響が絶え、辺りから完全に陽の光も拭われるかと思われて、やっと身体を持ち上げる。花弁を模し、簾状に提げられた銀の簪が擦れ合い、掠れた悲鳴のように、いつまでも鳴り響いた。
ひそやかに夏の気配が消えてゆく。








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 謝ることが多すぎて何から自虐突っ込みをすればいいのか… とりあえず自己路線爆走は此処からが長いと思われます…毎度ありがとうござすいません。
わたししか楽しく無いねコレ!みたいな展開になって行きますけれど、懲りずに(生暖かく)見守ってくださるとウレシイ…それすなわち同士様だから…

そういえば、少し間が空いたのでだーっとこれまでの作品を読み返してたんですが、基本ここ(罫線の下)ってろくでもないですね! 何だコレみっともねーーー!ってことしか書いてない
余力があれば薄くしますそしてこれから極力くだらない事は書きません(言ってしまった) どうしようこのウッカリ小学生時代の文集とか読んじゃった感…