04






西の空が茜色に染まっている。
羽ばたく鴉が三度啼き、遠のいた所でぼそりと呟く。

「…あほー」

誰かに言ったわけではない。今は侍女も表面上は下がってしまい、庭の一角に一人だけだ。どこかに居る誰かに見られているなら少し恥ずかしいが。
特に宛があって歩いていたわけでもない。そして城内広しといえども、突き進んでいけばいずれは塀にぶち当たる。
結果的には今、ぶち当たった塀の辺で空を見上げ、懲りずにぶらぶらと彷徨っていた。
高い塀は何処までも続く。あちこちに植木があるが、綺麗に刈り込まれるだけの観賞用の木に用は無い。
裏手の裏手のそのまた裏手、こんなところ、秘め事でも無い限り誰も来ないだろうという所まで、はやって来ていた。
ふと立ち止まって、そろりそろりと辺りを見回す。
手入れは一応、されているようだが、必要最低限だ。貴人はこんなところに来ないから当たり前なのかもしれない。
隅に置かれた木材に藁、よくよく眼を凝らせばポツリと一本、折れた弓矢が転がっている。

「…ああ、若しかして鍛錬場なのかな」

板の目が剥き出しになった、厳格な城作りとは相反した簡素な建物がある。先ほどは大きな蔵かと思っていたが、大きさからしてまあ道場だろう。
近づいてみるが、明かりはついていない。人の気配もしないし、今は無人のようだ。

「よいしょ」

掛け声一つで背伸びをし、開いた木窓から覗いて見る。が、やはり無人だ。まあ人が居た所でどうということも無いが。
かかとをつけた拍子にふと足元を見る。地にの影が長く伸びている。
もう日が暮れる。そろそろ引き返したほうがよさそうだ。
踵を返そうとしたの目に、どこか見覚えのある木が留まった。
若木だが、なかなか背が高い。落葉性なのか今は丸裸だ。しかしぽつぽつと膨らんだ新芽が見える。もう直開花するだろう。
近づいて、しみじみと見上げる。眉根を寄せながら頭の中を掘り返す。
見たことはある。何処だっけ。…えーと春に花が咲くはずの…

「…黒文字! わぁ、何でこんなところに」

そう珍しくは無い木だが、山中に芽吹く筈の凡庸な木だ。つける花も人に愛でられるほど華美では無い。
なぜ植えられたのだろう。自生というなら色んな意味で大したものだ。
細かい凹凸が優しい手触りの木肌を撫で、は上機嫌でぺたぺたと幹を叩く。

「これ、いい匂いの石鹸が出来るのよねー湿疹にもいいし…ラッキーだわ。場所覚えておこう。咲いたら即採取…」

はしゃぐ声がはたと黙る。
冷たい幹に触れながら、やがては少し笑った。

「咲いたらか」

明日かもしれないし、一月後かもしれない。今年の冬は特に寒かったから、芽も凍えてしまっているだろう。若しかしたら咲かないかもしれない。
春が、とてつもなく遠くに感じる。
じっと五秒眼を閉じて、突如はぶんぶんと頭を振った。

「駄目駄目、暗い暗い! …よーし、もう取っておこう! 確か枝でも煉れば油が取れるはず…」

わざとはっきりいいながら頸を上に向けるが、微妙な位置に枝がある。木を折るのにはいつも抵抗感があるのだが、今日のところはごめんなさい許してねと心の中で謝った。
何しろ地味な木だ。裏手にあるものだから、観賞用でもありえない。
人には怒られる事も無いので、ちょっとだけですほんとごめんなさいと言いながら、道場を覗いた時のように背伸びをする。
が、届かない。指には触れるが折れはしない。

「…くっそ……!」

苛立ちから、黙っていれば容のいい唇から野暮な言葉が漏れる。
あたりが薄水色になり始め、ついには飛び跳ねだした。
本人はもうちょっと、惜しい、のつもりだが、実際には指が触れるだけでちらとも絡められていない。

「ああ、もうっ!」

痺れを切らしたのか、仕舞いには腹立ち紛れに右の拳を幹に叩きつける。
途端いたい、と当然の感想を漏らした。
噴出す声が聞こえたのは、その時だった。

「…やっぱ猫被りじゃねぇか」
「っ!?」

勢いよく振り返ったの前に、暗がりからすっと姿を現した陰。大きな肩が揺れている。笑っているようだ。
久方ぶりに見る姿。しかし二度と見忘れるはずが無いもの。
にとっては信じがたいほど意外な人物がそこにいた。

「…何時から、そこに……殿、」

は恥ずかしいやら呆れるやら驚きやらで、どこかぼうっとしたまま、暗がりから滑る如く現れた政宗を見つめる。
当の本人は悪びれた様子もなく、灯のついていない行灯をゆったりと持ち、空いた片手で頬を掻いた。

「黒文字がどうとか叫んだところ、か」
「ほぼ最初からじゃないですか…!…なんで、黙って」

見てらしたんですか、とははっきり言えないが俯く。
政宗はおやと思いながらも、チャンスとばかりに口角を上げた。

「そりゃあ熱っ心に飛び跳ねてるからよ、俺が声でも掛けて、邪魔しちまったら悪いだろ」
「…黙って御覧になるほうがよっぽど性質が悪いです」
「新手の遊びで楽しんでんのかと思ったんだよ。普通は頭を使う場面だったしな」
「…………」
「幹殴ったって枝は落ちてこねぇぞ。understan?」
「……イエスアイノウ…」
「Good.ならもう木肌なんか叩くな」

厭に大人しく頷くに意外そうな眼を向けながらも、政宗はついと彼女が乱暴に叩き付けた方の腕を取る。
触れた瞬間、がびくりと身を強張らせるが、政宗は一瞬動きを止めただけで無視した。
左の掌をじろじろと見下ろす。欠けた小指の方の手だが、は見られているのかと思うと気が気ではなかった。

「怪我はしてねぇな。…瑕も無い、か」
「………あれしき、別にどうも…」
「喩えどんなに些細だろうとな、俺は自分のもんが疵付くのは許せねぇんだよ」

がぱっちりと眼を見開いた。
その表情を政宗が怪訝そうに見下ろす。

「…なんだよ。語弊はねぇだろ」
「いえ、まぁ、その通りですけど…、大分意外で……」
「そこで少しとか言えない女だよお前は」

掴んでいたの腕をぱっと離し、序のようにひょいと行灯をに押し付ける。
驚き、咄嗟に受け取る彼女の脇をさっさと通り過ぎて、が苦戦した黒文字の枝へ腕を伸ばす。
ぽきり、と言う音が軽く、そしてどこか遠い。手に持った枝を見せ付けるように掲げ、政宗がつまらなさそうに振り返った。

「これでいいのか?」
「………」
「おい?」
「…あっ」

あまりの目まぐるしさに、一瞬違う世界に行きかけたが覚醒する。
慌てて政宗のもとに走り寄って、鷹揚に渡してくる枝を受け取った。
新芽がいくつか着いている。きちんとした材料としては少ないのだが、試してみるにはこのくらいで十分だ。
がほうと息を吐いた。

「…ありがとう、ございます…」

信じられない、という気持ちがありありとその声音に含まれていて、聞いた政宗は居心地悪そうに少し他所を向く。

「別に。見物料代わりだ」
「…殿は背が高うございますね」
「普通だろ。お前が低いんだ」

の手からまたひょいと行灯を抜き取り、地面に屈んだ。
急激に暗くなる周囲のために明かりをつけるのだろう。見下ろすには政宗が盾になりよく見えなかったが、程なくしてぼうと柔らかい灯が燈った。
政宗も行灯を手に立ち上がりを見下ろす。だが、お互い何を言っていいかわからない。向かい合ってもそれぞれ幾分違う方を見る。
は何しろ未だ政宗が恐ろしいし、小十郎に頼んだ口上の手前、また吐けと強要されるのではないかとびくびくしていた。それに、自分のために態々枝を手折る男が、初夜の閨で凶悪に笑っていた男なのかどうか疑わしい。
政宗も政宗で言うことがあったのだが、驚くほどタイミングを逃してしまったし、想像していた以上に大人しい彼女の態度に途惑っている。何より、枝一本取るのに苦戦している女と、目の前の女が果たして一緒なのか、どこか確信が持てなかった。
こいつの素顔は何なんだ一体。
お互いに同じことを思っているなど、やはり知る由も無い。
が無意味に持っている枝の先を弄ると、政宗がちらとそれを見た。

「…そんな枝、何に使うってんだよ」
「…ああ、これですか?」
「それしかねぇだろ」
「まぁ、そうですね」

ぎこちない会話を意識しつつも、どちらも間をもたせようと奮闘する。
が覚束ない手振りで、相変わらずひっそりと息づく木立を示した。

「えっと、この木、黒文字といって……香油とか、石鹸になるんです。本当は葉が一番なんですけど、枝でも浴剤にはなるし」
「…へぇ……、こんな痩せっぽちの木がねぇ」

ふいと手を伸ばし、冬に備えられて硬い木肌を政宗が撫でる。
興味を持ったのだろうか。しげしげと木を見る政宗に対して、は恐る恐るながらも黒文字を語り始める。

「根の皮は生薬です。釣樟っていって、脚気の治療なんかに使われますね。他にも去痰とか、皮膚病とか」
「この木一本でそんなに賄えるのか」
「はい。根皮、材、枝、葉、黒文字は凡てが利用できます。…例えば」

が折れた枝先を政宗に差し出した。

「お嗅ぎになってみて下さい」

一瞬躊躇った政宗だったが、促すの表情を見て、素直に鼻先をささくれた断面に近づける。
疑うような表情がすぐ払拭された。

「…いい匂いだな。伽羅に近い」
「貴人がお好きな匂いでしょう? これが、花が咲いたらもっと強い芳香になるんです」
「そりゃすげぇ、今でこれだろ? 香木なのか?」
「薫物には使用しませんね。薬以外に使うといえば…茶室でよく使うあの」
「ああ、あれ黒文字って言うな! 茶菓子の側にあるでかい爪楊枝だ」
「竹製もありますが、黒文字で作るものは最高級ですね。節目の無い材を揃えないといけないので、そんなに多く生産できないんです」
「そんな木が、こんなところにねぇ。誰が植えたんだか…」
「そうですよね……」
「…………」
「…………」

そこでまた会話が途切れる。如何に効能多しの植物でも、語ってしまったその後のフォローまでは廻らない。
は無意味に口を開いたり閉じたり、政宗も口元を摩って明後日の方向を見る。
痛い沈黙は続く。

「…あー………なんだ、なぁ」

仕方ない、とばかりに困り果てた声でぽつりという。

「…はい」
「……座るか」
「………はぁ」

漸く政宗が指し示したのは少し遠くにある別棟。外側に取り付けられた廊下に框が備えられ、上がって腰を下ろすことは容易そうだ。
誰かの閑所か、はたまた書室か物置小屋か。どれにせよ米沢城主に借りれぬ庇は無い。
の生返事を背で受けた政宗はもう歩き出している。は躊躇ったが、後に続いた。
もうすっかり日が落ちた。辺りに濃紺色の闇がとろりと匂い立ちだす。政宗の持つ灯りが動きにあわせて揺れ、そこだけぼんやりと明るい。一個あればお互いの表情くらいは判別できそうだ。
政宗が座り、に目配せして彼女も素直に隣に腰を下ろす。少し距離を開けているが。
政宗は開いた隙間にちらりと眼をやったが、特に何もいう事無く腕を組んで前を見た。も膝の上に手を置いたまま、ぼんやりと翳っていく庭景色を見る。
どちらもタイミングを計っていた。若しくは、傍らが何事か口にするのを期待しても居る。
その結果、

「なぁ」
「あの」

同時に口を開き、ますます気まずくなる。
が素早く先を促した。

「なんでしょう、殿」
「お前こそなんだよ。なんか言いたい事でもあんのか」
「いえ…、どうぞ殿がお先に」
「いいから、お前先に言え」
「…………えっと」

そう、言いたい事があったわけでもない。困り果てての問いかけだったのだが、悪いことに更に困窮してしまった。
とりあえず当たり障りの無いことで誤魔化そう。
は至極適当に考えた事を口にする。

「最近、暖かくなったというのにお忙しそうだな、と思いまして」
「気候関係あんのか」
「雪の頃から目まぐるしそうでしたから、溶ければそれもなくなるのかと」
「あー……、うちは正月行事が派手だからな。…ま、細かいことも区切りは着いたから、ここ暫くは城に居るだろ。暑くなっても忙しいときは忙しいさ」
「左様で御座いますか」

間が空く。どちらも互いは見ない。
政宗が一拍を置いて促した。

「それだけか?」
「…? はい」
「……………ふぅん」
「……では、殿は」

妙な間の後促すをまた一瞬だけ横目で見、政宗は組んだ腕を解いて左右に着けた。

「お前の口上の返答だ」

…やっぱり。
は少し背筋を伸ばす。
政宗は両腕に体重を預けて反り返り、天井を睨みながら告げる。

「無茶を言う奴だな。戦女でもないお前をどうやって薬師に出来る? 城内にも既に侍医は五万と居るんだ。妾の入り込む余地なぞねぇよ」

予想通りの応えに、が少し下を向いた。

「そうですか」
「やるなとは言わない。だが手慰み程度にしときな。………ま、これがあいつらの見解だわな」
「………え?」

右に顔を向け、ぱちぱちと瞬くを政宗も見返す。隻腕は苦々しい、けれど射抜くような眼をしていた。

「定型通りに言うとこうなるんだよ。俺がそれを許そうとも、伊達がお前を許さない。相馬も無論だ。お前もそれはよく判ってると思ってたがな」
「………」

一刻を争うとはいわねど、常に臨戦態勢である伊達と相馬。
奥州の諸大名が次々と伊達に下る中、真っ向切って刃を付きたてているのもまた相馬だけなのだ。芦名・佐竹もそうだが、両者は既に対立する思惑が異なっている。
伊達・相馬の対立は然程目立っては居ないが、鎮火する事は最早無い。
輿入れしたといって、そのような中での立場が人質以外にありえないこと。はよく判っている。判って上で提案したのだ。自分を使えと。
それはらしくない無謀な賭けだった。後悔はしている。だがそれ以上に、無益な日々が堪らない。

「手前の手の内は明かさない、にも拘らず信用して身体を任せろだ? そんなもん虫が良すぎるだろ。違うか?」
「……いいえ」

全く持って正論だ。
固い表情のを見遣ったあと、政宗が微かに笑って前を向いた。

「ま、吐くっていうなら話は別だがな。そしたら俺が例外なんぞ幾らでも作ってやるよ。どうする?」

はすぐさま被りを振った。

「それはできません…」
「……頑なな奴だな」

身を固くしたの横、怒鳴るかと思った政宗は意外にも呆れたように呟いただけだった。

「理由は何だ」

少しの間を置いて、政宗は首の付け根を手で揉みながら、は見ずにポツリと言う。

「そこまで拘るんなら何かあるんだろ。製造云々はひとまず…いいから、訳を教えろ。……その小指と関係があるのか?」

無意識に左手を摩っていたの動きが止まる。
政宗は辛抱強く傍らの返答を待った。だがも長い間押し黙るので、また痛い沈黙が降りる。
前ばかりを見据える隻眼にいらいらが募ってきたところで、漸く彼女は口を開いた。

「…あれは、恐ろしい薬なのです」
「知ってる」

が噛み締めるよう頸を振る。

「いいえ、御存知ありません。殿だけではなくて、誰も、気づかない。あれを使った自分がどうなっていくのか、何をしているのか。…生きているのか死んでいるのか」

欠けた小指をじっと見下ろすを、政宗はついに首ごと振り返って仰ぐ。
線の細い黒髪が頬に落ち、行灯の光でぬらりと燃え上がる横顔。闇色の瞳は指を見つめているが、真実何処も見ていない。
凄絶な眼をした女だと、改めて思う。

「あれは人の手には余るもの。…わたしは決して吐きません」

少し低い、だがよく通る声。
その言葉の中身に、政宗が口端を吊り上げた。

「お前はいいってか? 己は人を超えたとでものたまうか」
「今ある物が尽きれば、製造方法は世から消える。わたしは我が身を如何され様とも、以後作るつもりはありません」
「それでどうする? 死ぬまで口を縫って終いか?」

政宗が夜空に向かい、盛大に鼻を鳴らす。

「お前の言ってる事は思い上がりも甚だしい、所詮夢物語なんだよ。お前が作らなくても、誰かがどっかで新しい妙物を作り出す。お前の置き土産を参考にしてな」
「…でも」
「舐めるな」

有無を言わせない政宗の声は、引き絞った弓弦のようだった。の動きが止まる。

「人格者振りも大概にしな。お前は確り当事者で、発端者で、人殺しなんだよ。何時までもそんな腐った態度が通ると思ってんのか」

がゆっくりと、僅かに項垂れた。流れ落ちる長い髪が頬を覆い、表情は見えない。
政宗は彼女がどういう表情であろうが、許す気は無かった。
反吐が出る。要するにこの女は虫唾が走るほど嫌いな性質を持っているのだ。

「高が沈黙で賄えるほど、お前の手はもう綺麗じゃ無ぇんだ。死んで楽になれるなんて思うな」
「……………」
「ごちゃごちゃ言ってやがるが、結局はお前死にたいんだろ? 家の道具は厭だ、戦の援助は厭だ、厭だ厭だでただ逃げてるだけかよ。 みっともねぇ女……」
「死にたいわけ無いでしょこの莫迦!」

突然叫び、が轟然と立ち上がった。てっきり泣いているかと思ったその表情は、確りと怒りやらなにやらに燃えている。
政宗は反応が出来ない。態度を180度翻した彼女に驚くやら、莫迦呼ばわりの憤怒、諌め、凡ての言葉が一緒になって喉に絡まっているのだ。

「みっともなくて悪かったわね! 何よあんた自分はそんなに偉いってか!? ああそうですよその通り、確かにわたしは、一度逃げた! 逃げたわ!」

政宗の言うことは正しい。一時はいっそ本当に死にたかった。死んで死んで、ただ只管に詫びたかった。だがすぐ、そんな自分を何よりも恥じたのだ。
他人に言われると改めて感じる。なんて不甲斐無い、浅はかで、無思慮で、恥知らずだったのかと。一時でもそんな自分が存在したことが、には何よりも耐え難い恥辱だった。
湧き上がる深い怒りは己に向いているのだが、罵倒の矛先は煽りに煽った傍らの男だった。

「だからどうした! 今ここに大人しく居るでしょう!? 好きでも何でもない寧ろこの世で一番辟易するタイプに入る男の閨にね!」

これには政宗も我に帰る。
音がするほど額に青筋を浮かべ、盛大に顔を歪める。

「…ちょっとまてお前、黙って聞いてたら増長しやがって、よぉ今なんつったコラ、ぁあ!?」
「何遍だって言ってやる! 気にいらないのよこの気障野郎! 世の中全部が思い通りになると思ってんなら味噌汁で顔洗って出直して来い莫ァ迦!」
「てっめぇそれが奥州王に利く口か!? 今この場で叩っ殺すぞ!」
「何が奥州王だ最低最悪に勘違いしやがって! あーあー殺しなさいよどの道そのつもりでしょう!? 寝首掻かれる前にとっとと始末すればいいじゃない!」
「うるせぇな、ごちゃごちゃ言いやがっても結局お前死にてぇんだろーが! 俺に殺されれば罪悪感が無いだけだろ自分で死ぬ胆力も無ぇくせによ!」
「無いわよ! あるわけないでしょ死にたく無いもの!」

全力で罵りあう二人は何時しか互いに立ち上がり構え、絶妙な距離を取っていた。政宗の腰には城内といえど一振りの太刀が差してあるのだが、に怯む様子は無い。
平素は涼しげだった眦を吊り上げ、伊達の頭領を真っ向から睨み上げる。

「戦場で死体を沢山見るでしょう? でも、ああいう風に斬られたら痛いだろうなとか、自分が居なくなったらどれだけの人が泣くんだろうなとか、考えた事無いでしょう!」
「ぁあ!? あるわけ無いだろ莫迦かお前! そんな甘っちょろいこと考えながら渡って往けるほど世が穏かだと思ってんのか!?」
「だから気軽にそんなことが言えるんです! 死ぬってどういうことかわかってる? 痛くて辛くて怖くて、何も残らない、自分の所為で誰かが泣くの!」

政宗がふと唇を噛む。が顔を歪めてさらに口を開く。

「責任を負う立場が軽いとは言わない、でも許せない! いつも泣くのは弱いものなのに、誰もそれを見ない、 考えない。 民のためだと言い張るなら、戦自体をやめてしまえばいい!のに」
「…それでどうする、どっかの莫迦に俺の領地が侵略されて、俺の民が蔑ろにされるのを見てろってぇのか!?」
「ちがっ――」
「お前の言ってる事は詭弁なんだよ! 何も判って無いのはテメェだろうが!!」

隻眼を見開いて政宗が吼えた。痺れるほどの怒声にの肩が跳ねる。

「俺の領地は俺のもんだ、死んでも守ってやる腹があるから俺は人を斬るんだよ! 逆らう奴は皆殺しだ、容赦なんぞしてたまるか。浅い情けで己の民がひとりでも死んでみろ、俺は如何してやつらに顔向けできる!?」

諸国大名の誰しもが皆、天下を手中に治めんと躍起になっている今。一つの情けが多数の弱みに繋がり、やがて脆く崩れる発端と成り得る。
訳の判らないまま、戦に巻き込まれて斬り殺される領民は辛いだろう。だが生まれた時から人の上に建つ宿命を背負わされる身も、また同じなのだ。
どちらも恨んでも仕方ないことだ。だからこそ皆戦う。

「周りは敵ばっかりで、いつ裏切るかわかったもんじゃねぇ。だからこそ矢面に立つ武家が踏ん張らなきゃなんねぇだろうがよ。領民の役目が尽くすことだと言うなら、それを血塗れになっても守ってやるのが俺らの責務だ」

大きく強く、まるで己に宣言するように政宗が言う。その激烈な瞳が真っ直ぐにを射抜いている。
も逸らさず見つめる。肩に力を入れすぎて骨が痛い。震えそうになる身体を叱咤しながら、懸命に拳に力を込めた。だが努力も空しく、指先が痺れ、感覚が感情に侵されてゆく。
初夜、思った通りだ。この相手は掌も目も身体も、何処も彼処も殺す側の宿命で出来ている。
だが同時に、否が応でも守る覚悟を背負わされる人間なのだ。その手に、足に、身体に、魂に、逃れられない、選ぶべくもない重いものを刻んで。
はなぜか今、改めて目の前の人物を「伊達政宗」なのだと実感した。米沢城主ではなく、伊達の嫡男、独眼竜、十七代政宗ではなく。
死が別つまで寄り添わなければならない、望んだ訳でも無い生涯の相手として。
"伊達藤次郎政宗"。その人となりの片鱗に、漸く触れたのだと。
じわじわと実感がせり上がり、亡羊となる。頭の芯が些かぶれ、瞳に映る光景がうっすらとぼけ始めた。
彼女は弱々しく頭を振る。

「…違う」
「違わないね。死は常に隣にあるものだ。着る物も寝る処もある奴が知った風なこと言うんじゃねぇよ」
「………だったら、如何してこんなに悲しいの」

吐き捨てた政宗の目の前で、突然の瞳からぼろりと大きな涙がこぼれた。
政宗がぎょっとしたように眼を見開いて怯む。だが、はどうやら自分が泣いていることには気づいていない。
拳を握り締めて、歪んだ顔のまま声を絞り出す。

「わたしは判ってない、かも知れない。でも、哀しい」

本当に、哀しい。
少しばかり医療を修め、傷つく他人を幾ら救っても、絶対的な死には決して勝てない。
―――無力だ。
母を呼びながら絶えた兵、降って沸いた死に呆然とするまま逝く者や、痛みと恐怖に泣き叫びながら死んでいった者もいた。
その度に思うのだ。冷たくなっていく手を握ってやりながら。
俯くの顎先から、透明な雫が地に落ちる。

「小高でも米沢でも、何処であっても、わたしは人に死んでなんか欲しくない…」
「…おい……」

先ほどの剣幕も何処へやら。政宗が居心地悪そうに声をかける前で、異物が伝う感触に気づいたのか、がはっとしたように頬に素早く手を掛けた。
その顔が拭って濡れた己の指に驚いている。
すぐさま眼を何度も乱暴に擦る。やがて照れと擦過で赤くなった瞳と顔を上げ、改めてキッと政宗を睨んだ。

「兎も角、この天下に一人でも相馬のある限り、あなたを王とは認めません! どうぞ張り切って義胤様にこってんぱんにのされてしまってくださいまし! 若しくは大きくなった虎王にでも!」
「はぁっ!? ちょ、まて、こら!」

政宗が本気で反撃に乗り出す前に、はくるりと踵を返して駆け出した。
速い。手にちゃっかりと木の枝と政宗が持ってきた行灯を携えて、跳ねるようさっさと来た道を戻ってゆく。引き止めることも出来る距離だったが、政宗は呆然とするやら怒りに震えるやらで反応が遅れ、迫るタイミングも逃してしまった。
…暗い。そう行灯はもう無いのだ。
の背が消えた。灯りももう小指の先ほどだ。やがてそれも見えなくなる。
政宗はまだ立ち尽くしていた。

「…………なんだっつーんだ」

長い長い沈黙のあと、一言疲れたように言う。
やがて元の位置にどかりと腰を下ろし、長く長く息を吐きだす。灯りも無しにこんなところに居ては無防備過ぎるのだが、動く気力がごっそりと殺がれていた。
顰めた片目で夜闇をじっと見つめる政宗の頭の中、様々な表情が蘇っては消える。
俯く、怒る、泣く。千変万化する女だと、もう政宗も戸惑いも呆れも通り越し、本来なら許すはずも無い罵詈雑言にもどう対処していいか判らない。
斬ればいい。至極簡単なことだ。そうすれば後腐れも無くなるし、体面も保たれたままことが運ぶ。願っても無い事態だ。
片手で顔を覆い、もう一度息を吐き出して夜空を見る。きぃん、と痛いほど空気が澄み、紺碧の中に眼の眩むような星々が光っている。今の気分とはまるで逆だ。
話したい事は、まだあったのだ。
掴んだ腕は確かに細り、覗き込んだ顔にも艶が無かった。元々薄い立ち姿だったが、今は向こうが透けて見えそうな錯角さえ感じた。
原因は何せ自分だ。予測のついた事態だがここまでとは。
一応、悪かったかもしれない。
そうと認識したからこそ、こうして態々出向いたのだ。侍従達に言われた、と言うのも理由の一つに挙げるが、何かそれも胸の中で落ち着きが無い。それに言伝くらい、どれだけ重要でも誰かをやれば済む話なのだ。
詫びの代わりに様子を訊いて、不満があるならできるだけ取り除いてやるつもりであったし、欲しいものや願いがあるなら可能な限り聞き届けようと思った。自分にしては最大級の譲歩だ。

「それをあいつ、泣くのかよ……」

おまけにキレるし。わめくし。怒鳴るし。
政宗がいらいらと頭を掻く。
淑やかかと思えば激高して、萎れた花のように項垂れていたかと思えば、深い怒りと一緒に涙する。今まで周囲に居た、どんな女にも当て嵌まらないのだ。下出にでれば付け上がる、上出に出ても付け上がる。政宗にはそうと取れた。
もやもやとしたまま反芻して、ふと思い至る。
――自分はあの女の笑う顔を見た事が無い。

「…殿」

唐突に、背後から静かな声が響く。
はっとしたのを悟られぬよう、一拍置いてゆっくりと振り向けば、ゆらり、と斜め後ろにひっそりとした影が控えている。
と話し込むにあたり、一応遠くにやっていた草だ。

「なんだ」

眼を細めながら政宗が言った。

「片倉殿がお探し申し上げております。至急御戻り下さいませ」
「…何かあったか」
「詳しい事は。ただ、黒川城下に入っていた草が戻ったと」

どうやら火急そうだ。政宗は仕方無さそうに短く嘆息し、考え事を諦めて腰を上げた。
顔は遣らずに小さく頷く。

「わかった。戻る。先に小十郎に言っとけ」
「は」
「…ああ、ちょっと待てもう一つ、成実は何処にいる」
「鬼庭殿と共々、既に御揃いになって御座いますが」
「あー……そうか。…さて、芦名に動きがあったかね……」

トントン、と軽く食指で頬を叩き、政宗は顎をしゃくった。行け、と言う命令だ。
草は無言で気配ごと消える。
無人の空間を見詰めた後、政宗は一度だけの消えた方を見遣った。
その後はすぐ、がらりと頭を切り替え、足早にその場をあとにした。








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 第四話です。息切れしてきましたね(おもにわたしが) 黒文字は水虫にも効いたりする優れものです アッわたしは使ってません!(必死) 
匂いは…蜜柑にパイナップル足して二で割ったような感じですかね(この喩えは必ずしも正解ではない) いい香りです。この時期ここにあったか知らないけれどもそれはBASARAということで… 地球環境規模の捏造だ…