第十七話


 黒縄地獄には、常に一定のぬるい風が吹いている。弱くなり、強くもなるが、無風と言う日はない。砂塵を巻き上げ、亡者の悲鳴や嗚咽を運び、聳える霊峰の頂へ駈けあがってゆくのである。その風は今、騒動ゆえに円となって立ち竦む人々の間を縫って遊び、戯れに通り抜けていく。ひゅうう、と響くむなしい音がぴったりの光景だった。

「…え」

 最初に声を出したのは、やはりツッコミ属性の枳殻だった。彼はびしょびしょに濡れた下履きもそのままに、ようやく立ち上がった体勢のまま固まっている。ほかの面々は特にコメントできず、棒立ちの呈である。

「アンタ、馬鹿にしてんの…?」
「あ、いえ、そういうことではなく」

 茨木嬢の呆然としたつぶやきに、茨城は慌てたようにぶんぶんと首を振った。その彼女の顔には相変わらずの笠がある。もちろん、たった今弾き飛ばされた笠とは別の物だ。

「じゃあどういうことよ!?」

 そういって再び茨木嬢が掴みかかる。慌てて抵抗しかけた茨城の奮戦もむなしく、すぽん、とまた深編笠が剥ぎ取られる。しかしまた同じ、なにも変わらない今までの茨城の姿が現れるのである。ただ、心なしか笠の大きさがコンパクトになっているように見えなくもない。鬼灯が突如ポン、と手を打った。

「マトリョーシカ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
「ちょっとぉおおお!なによこれー!?」
「きゃあああ!」

 すぽすぽすぽ、と立て続けに笠がめくられていくが、いっこうに顔は姿を現さない。しかし確実に笠の面積は小さくなってゆく。さすがに慌てたらしい茨城が逃げ回るが、怒髪天の茨木嬢が執拗に追いかけ回してゆく。まあまあ、と鬼灯が嘆息しながら茨城を再び背後に庇った。

「ひとまずはお引き取りいただけませんか。今お帰りいただければ、今日のことは不問に致しましょう」
「何ですって!?」
「それがお厭なら仕方ありません。こちらとしても大変不本意ですが…」

 そういってチラ、と鬼灯が視線をやった先には、黒縄地獄名物・鉄板土下座コーナーがある。昼勤務の獄卒は真面目らしく、こちらが大騒ぎをやっている間にも律儀に亡者を赤く燃え盛る鉄板に押しつけ、職務に励んでいるようだ。あっと言う間に消し炭になっては再生する亡者の様子を見、さすがの茨木嬢も唇をかんだ。

「なにアレ、超肌にわるそー…」
「現世のUV×500倍ほどですね」
「馬鹿みたいな紫外線量じゃん!やめやめ、割に合わないね!帰るよアンタたち!」

 結局デカいだけでなにもしていない牛鬼二人の取り巻きに声をかけ、茨木嬢がくるりときびすを返した。鬼灯の背後で、茨城が思わずほう、と安堵の息を吐く。だが、去りかけていた金髪が再度翻り、見送る一同を尊大に見渡す。烈婦の鬼は得意の指さしでまっすぐと茨城を射抜いた。

「アンタ、これで終わりと思わないことね。今日のところは引いてあげるけど、絶対落とし前つけてもらうから!」
「…、」
「そんときにはそのふざけたもの、絶対とって貰うからね! あとぶっ殺す!」

 中指を立ててから親指で首を掻ききり、最後にフン!と盛大に鼻を鳴らして、茨木童子は今度こそ去ってゆく。閻魔殿を出たときとは違い、牛鬼の肩に乗り上げて、そのまま像使いのように彼方を指さし、爆走してゆく。
 一同は土煙を蹴立てて去る一行を呆然と見送っていたが、鬼灯がふと立ちすくむ茨城を見下ろし、随分と小振りになった笠の縁に指をかけた。ひょい、と軽く持ち上げる。

「!?」
「あ、」

 気づいた茨城がずざざざ、と鬼灯から距離を取り。両腕で頭を庇った。

「お、おやめください…!」
「すみません、つい」
「(ついってなんだよ…)だ、大丈夫ですか?」

 枳殻が言いながら、落ち散らばっている笠を集めようとかがむ。するとそれはたちまち煙のように立ち消えた。え!? と驚く彼の前で、鬼灯が茨城を見つめて得たりと頷く。いつの間にか、彼女の頭を纏う笠が元の大きさに戻っている。

「なるほど、その笠は神器ですか」
「じんぎ?」

 枳殻が首を傾げながらおそるおそると繰り返した。戸惑う茨城が微かに首肯するのを見つめたまま、鬼灯が人差し指を立てる。

「色々ありますが、大雑把にいうと神族にしか作れない特殊なアイテムのことです。有名なところで言うと、孫悟空の頭の輪とかですね」
「え、めっちゃ重要アイテム…」
「そうでもありません。天界デパートで普通に売ってます」
「あれ量産されてんの!?」

 まじかよ夢ねぇ! と叫ぶ枳殻をさておいて、鬼灯が立てた人差し指をそのまま顎先にやり、しかし、と首を傾げ、そのまましげしげと恐縮する茨城を眺める。

「このタイプの製品は私も見たことがありません。効果にも限度がありそうなあたり、神器としても聊かクオリティに欠けるような…」

 茨城が胸の前で手を組みなおした。その、と言いにくそうに口を開く。

「これは、阿修羅様に頂いて…」
「ああ、道理で」

 合点がいったという風に鬼灯が頷くのに、いまだ不思議顔の枳殻が何か言い募ろうとする前。ちょっと、と棘のある声がかかった。
 三名が各々視線を向けると、そこには今まで遠巻きに伺っていた、中年の女性集団が微妙な顔つきで佇んでいる。彼女らは暫しの間お互いがお互いに目配せしあっていたが、やがて先頭に構える女性が胡乱な視線を茨城に投げつつ、口を開く。

「さっきのあの柄の悪い連中、アナタ目当てできたの?」
「あ、その、えっと…、」

 言いよどむ茨城の態度をどうとったか、中年女性同士は再びチラチラと目配せしあい、そのまま誰ともなくふぅ、といかにもな溜息をついた。頬に手を当て、ジト目で茨城を見る。

「困るのよねぇ、あんな物騒なひとに乗り込まれちゃ。なにか、また来るみたいなことも言ってなかった?」
「そうでなくても、アナタがらみの揉め事が多いんだから、気をつけて貰わなくっちゃ」
「どうするのよ、今度またあの連中がきたら?」
「他の皆にも迷惑でしょう?」

 代わる代わるのお説教に、はい、はい、すみません、と茨城が何度も頭を下げる。流石の光景に眉根を寄せた枳殻がちょっと、と声をかけるその前に、先ほど茨城の腕を引いていた男どもがずい、と割り込んできた。

「ちょっとちょっと、おばさんらさぁ、言い過ぎじゃない? 茨城ちゃんは悪くないっしょ」
「そうだよ、何かにつけちゃいちゃもんつけてきてさぁ」
「茨城ちゃんが可愛いからっていちいちウルサいっつの。女の嫉妬って醜いんだよ」
「はぁ!?」

 この台詞に、女性陣が一気に切れた。おろおろと焦る茨城を押し退け、男性陣に怒号とともに詰め寄ってゆく。

「なによあんたたち! 馬鹿にしてんの!?」
「だいたい可愛いって、そのコ顔もなにも見えないじゃない!」
「顔の話じゃねーんだよ、心の話だよブス!」
「はぁああ!? アタシらの心が醜いっていうわけ!?」
「いったわねアンタたち! 覚悟しなさいよ!」
「上等だよ! だいたい、楽な仕事しかしねーくせに態度デカいんだよアンタら!」

 妙なところで大戦争が始まった。喧々囂々、お互いの不満を大音声でぶつけ合う。あの、あの、と茨城が必死に両腕を振って間に割って入ろうと健闘しているが、もう本人そっちのけで議題は職場やお互いの不満に移っている。それでもなお取り繕おうとする彼女を鬼灯が嘆息混じりに止めた。

「放っておきなさい。ああなってはアナタが何を言っても無駄でしょう」
「で、ですが…、」

 うろうろと鬼灯と集団を交互に見る茨城を見下ろしながら、しばし官吏は沈黙する。数瞬思案に暮れていたようだが、ややあって、再び口を開いた。

「枳殻さん」
「うぇえ俺!? ななななんすか?」
「今日夜勤ですよね?」
「はぁまぁそうです、けど…」

 厭な予感しかしない、と枳殻が慄いていると、鬼灯が金棒を担いだまま鷹揚に頷いた。

「あとはお任せしていいですね」
「はぁ!? イヤ駄目ですよ、適当すぎません!?」
「なにもずっと、という訳じゃありませんよ。上長が出て来たら速やかに報告、騒ぎを静めてくだされば結構。あの茨木嬢のことは適当にごまかしてくださればよいです」
「む、無茶苦茶っすよ! ていうか、鬼灯様がやってくだされば…」
「私はこれから閻魔殿へ戻りませんと。茨城さんも暫くは此処にいないほうが良いでしょうし」
「え、」

 驚く声を上げたのは茨城だった。そんな彼女を見遣ったあと、鬼灯は茨木嬢が消えた道の先を眺める。

「先ほどの言葉どおり、あの方は目的を達成するまでこれから何度でもやってくるでしょう。ほとぼりが醒めるまではどこか目立たないところで働いて頂きましょうか」

 この言葉に、茨城は何事かを言いたげに一度身じろぎした。しかし結局は黙ったまま深編笠の頭がゆらゆらと動き、鬼灯、枳殻へ順に向かってから、終いには官吏と同じく茨木嬢が消えたほうへ向き直る。黒縄に相応しい寂れた土埃が烟る先、遠く剣山の峰が霞む肺の空を見遣りながら、ややあって茨城は振り返り、そのまま頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

 ご迷惑をお掛けします、と痛切な声でいい、腰を折ったままの彼女に、枳殻はそれ以上何もいえなかった。






 閻魔殿への帰り道、まだ明るい復路をスタスタと歩く鬼灯の後ろに、顔を伏せがちにとぼとぼと進む茨城が続く。会話はいつもどおり特に無く、まるで囚人を連行する官吏とそれのようだ。

「…あの、」

 珍しく、茨城から鬼灯に声をかけた。官吏は振り返らないまま、はい、と返事を寄越す。

「本当に、申し訳ありませんでした。わたくしの不始末で…」

 この謝罪に、官吏は特に何も返さなかった。黒縄から閻魔殿への道のりはそう遠くない、岩場の険しい上り坂を抜ければ、あとは一本の本通につながって行く。そこまで行けば一気に鬼や亡者でごった返す、大変な賑わいとなるのだが、寂れた黒縄地獄は兎角静かだった。
 ややあって、鬼灯が金棒を担ぎなおしながら言った。

「茨木童子とお知り合いなのですか」
「直接には…、ただ、御名とお顔を存じているだけです」
「何故」
「な、何故とは、」

 端的な切り返しに茨城がたじろいで顔を上げた。黒地に袋を破いた鬼灯の実を染め抜いた、官吏の背が目に入る。そんな彼は背越しに肩を竦める。

「いえ、接点がわからなくて。あれだけ恨まれる理由に心当たりがないのですか?」
「…ございます」
「それは、彼女の言うとおりの理由で?」
「……少し、違います」

 濁す彼女の言葉にそれ以上の追求はせず、そうですか、と官吏は言った。足元の岩や小石を避けながら、危なげなく進んでゆく。

「皆それぞれ、色々なご事情があると思います」

 急な岩場に差し掛かって、鬼灯が茨城に手を差し伸べながらそういった。躊躇う彼女の腕を取りあげ、引きながら、官吏は常と代わらない淡々とした口調で言う。

「あまり深くはお伺いしませんが、仕事に支障が出るとなると別です。茨城さんは今後も獄卒を続けたいですか?」
「…正直、よくわからなくなりました」

 鬼灯は特に先を促さず、黙々と彼女の腕を引きながら先を急ぐ。程なくして難所を抜け、路は整備され開けたところに出た。鬼灯が彼女の手を離し、再び金棒を担ぎなおして先へ進む。茨城が俯きながら、渇いた口を湿らせた。

「どんなことでもお仕事は好きです。辛いこともありますが、わたくしの知らないことばかりで、それをひとつひとつ、出来るようになっていくことが嬉しいのです。でも結局、いつもこうなのです。わたくしが居るだけで、他の皆さんに迷惑を掛けてしまう。…顔を隠しても駄目でした」

 白い、儚げな指先がつう、と深編笠の表面を撫でてゆく。黒縄から吹き込んできた風が、遠くの喧騒を僅かながら運んできた。そろそろ人通りの多いところが近いのだろう。

「もう、どうすればよいのか、わからなくなってしまいました」

 砂利道をくだり、整備された歩道へと渡る。亡者の行列や鬼の往来が一気に増え、辺りはひっきりなしに飛び交う声で中々にやかましい。

「そういう時は原因を取り除くのです」

 そんな中でも、怜悧な鬼灯の声音は不思議とよく響く。茨城は再び顔を上げ、すっと背筋をのばし、きびきびと前を行く官吏の背を見つめる。

「何故茨木童子に命を狙われるのか。何故顔を隠さなければならないのか。何故、仕事がうまくいかないのか。答えは明確でしょう。それから目を背けるから立ち行かなくなる」

 いつの間にか、かつて面接で訪れて以来の閻魔殿が姿を現している。相変わらず威風堂々たる門構えに、たくさんの人や鬼が吐き出され、飲み込まれてゆく。掃き清められた段差を上がり、大門を潜り内殿へ直進しながら、鬼灯は他の官吏の挨拶を鷹揚に交わしながら進む。

「アナタに足りないのはきっと、問題を解決しようとする心構えだと思いますよ」

 そういって、彼は閻魔大王の間に入るなり、おかえりー!と笑う最高責任者の机へ風のように直行するのである。






 閻魔大王は相変わらず人の良い笑みでにこにこと笑い、多くは訊かずに茨城を歓迎した。暫く雑用でも行ってもらいます、と鬼灯が言うのに妙なからかいをして容赦ない暴力を受けていたが、それも何処吹く風で了承する。とはいえ、気安いながら十王の一人である閻魔大王の本殿へ出仕する者は、もちろん選りすぐりの精鋭揃いばかりである。茨城が即就ける仕事などないに等しい。結局、備品や資料室の掃除を任され、彼女は今、一人で客人が訪れた際に使う花器などを磨いていた。
 手に取るのは、黒釉が墨のように照った黒碗である。陶磁器だが、青貝の象嵌が施された珍しい品だ。磨くたび、僅かな光を受けてぬらりと光る。阿修羅の宝物庫もそれは見事な金銀財宝が山と積まれていたが、地獄はどちらかというと質素だが凛としたものが多い。はぎれで丁寧に磨き上げながら、茨城は先ほどの鬼灯の言葉を、ずっと反芻していた。
 自分に足りないのは、問題を解決する心構え。
 大いにそのとおりである。それができないから、きっと何事もうまくいかないのだ。

「朱点…」

 名を呟けば、脳裏には苛烈ながら美しい茨木嬢の顔が蘇った。彼女は鬼灯の言うとおり、朱点童子の正しく妻である。

「わたくし、此処で何してるのかしら」

 唇を噛み、俯いてから、深く息を吐いて笠の下の顔を強く叩く。よし、と気合を入れなおして、居並ぶ陶器に再び向き直った。
 それからどのくらい経ったのか。ほかのことを考えぬよう、夢中になって陶磁器と向かい合っていると、ふいに閉じられた扉をほとほとと叩く音がする。茨城が顔を上げ、振り返ると、おそるおそると言ったように引き戸が少し開いた。倉庫はやや薄暗い所為か、逆光を背に中をのぞき込んでいる人物の顔がわからない。どなたでしょう、と茨城が立ち上がって訊くと、その人物はなぜか仰天しながら中へ飛び込んできた。

「おおおお久しぶりですぅ、えーっと、茨城さん! …え、ですよね?」
「まあ、」

 驚きに目を見開く茨城の両手を握ってぴょんぴょんと飛び跳ね、ついで頭を覆う笠を胡乱げに見上げて小首を傾げたのは、かつて茨城を地獄へ伴った張本人である。茨城が頓着無く例の笠をはずして微笑んだ。

「木霊様、お久しぶりです。そうです、わたくし茨城です」
「あーやっぱり! さっき閻魔大王と話してたらチラっと聞き覚えのある名前を小耳に挟んだので〜」

 もしかしたら、と思ってのぞきに来たんですよぉ、と陽気に笑う子供がぶんぶんと握ったままの茨城の手を上下に振る。

「というか、獄卒になられたんですねぇ!おめでとうございますぅ!」
「はい、つい先日。契約社員ですが…」
「いやいや立派ですよぉ!なかなかなりたいって思ってなれたりしませんし、…噂じゃオニのような圧迫面接があるとか何とか…」

 語尾は声を潜め、やや青くなった顔で茨城を見上げて言う。対して彼女はそうなのですか? と不思議顔である。

「わたくしの時は至って普通の面接でしたよ。官吏の方がたくさんいましたけれど」
「うーん、機嫌がよかったのかなぁ? こないだ聞いたときは、退出する方全員がベトナム帰還兵みたいな顔つきで出てきたって話だったんですけどぉ…」

 ぶつぶつと言って木霊は暫く首をひねっていたが、まあいいか、と持ち直し、再び朗らかに笑った。

「またお会いできるなんて、いやーなんか感慨深いです!いつぶりですっけ? たぶん二千年ぶりくらい?」
「もう、そんなになりますか」
「時が経つのは早いですよねぇ、お変わりないようでなによりですよ!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねる木霊が、ふと茨城が足下においた笠を見る。そして再び微妙な表情で小首を傾げるのである。

「でも、なんですかさっきのカッコ? なんかのコスプレですか?」
「こすぷれ?」

 聞き慣れない単語に今度は茨城が首を傾げた。木霊が慌ててパタパタと掌を払う。

「あーあー、今のなしですなし! えーっとえーっとつまりですね、なにか意味があるカッコウなんですか?」
「あ、はい、まぁ…、その、あまり気になさらないでください…」
「イヤイヤしますよそりゃあ…、まさか、いじめられでもしたんですか!?」

 随分長生きしている分、あまり遠慮のない木霊があっさり首を振ってさらに追求してきた。今まで数多の人物にスルーを食らっていた茨城は逆に慌てるのである。わたわたと忙しなく手を振り顔を振る。

「いえ、いじめといいますか、ちょっと、あの、」
「はいはい」
「えっと…、」
「んん?」

 言いづらいこちらを察しているのに、容赦はしてくれないらしい。木霊は茨城があ、やう、という度に相槌を打ち、その先を促してくる。やがて、茨城が根負けした。木霊は現世にいた頃の茨城を把握している。であれば、隠し立ては不要だろう。ふっと可憐な吐息を吐き、口を開く。

「色々ありますが…、一番はこの顔です。あの、本当に、厄介で…」
「あー…」

 俯きがちに言う茨城に向かい、木霊が微妙な声を上げ、困ったような顔で頬を掻いた。やがて、一人で何度か頷いてみせる。

「まぁその、うーん…、仕方ないっちゃ仕方ないことですからねこればっかりは…、あ、ではでは二番は?」

 すかさず促され、再び茨城はぐっとつまった。それは、と言ったきり、再び長く沈黙が降りる。今度は木霊も何もいわず、ただじっと茨城を見上げ、伏せ目がちの視線を覗き込んでくる。
 やがて、根負けした唇が動く。

「…朱点に、知られたくないのです。わたくしが此処にいる事を」
「えぇぇぇぇえええ!?」

 今度こそ、精霊が飛び上がって絶叫する。

「そのために地獄に来たのに!?」

 再び茨城の両手を握り、ぶんぶんと振りだした。至極もっともな木霊の言葉に、茨城が思わず歪に微笑んだ。そうですね、と小さく頷く。

「仰るとおりです。先ほど、同じ事を考えておりました。…そのために此処まできたのに、何をしてるんでしょう、わたくし」



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