第十六話


 その頃、茨城はちょうど昼勤の者との交代作業を終えて一息をついていた。今日は幸いにして時間道りに終了できた。このまま官舎に帰り、洗濯や掃除でもしようか、と考えながら歩いていたところで、後ろから呼び止められる。

「あの、茨城さん」
「? はい」

 何でしょう、と振り向けば、男鬼三人がすぐ後ろに立っている。全員背が高く、思ったよりの近さに思わず茨城がたたらを踏んで後ろに下がった。そんな彼女を見て、声をかけてきた三人は意味深に目配せをしあう。

「あのさ、よかったら今から俺らと昼でも食べない?」

 真ん中に佇んでいた巻き毛のきつい長身の鬼がそう切り出した。茨城は笠の下で眉根を寄せ、乾いた唇を湿らせる。

「あ…、折角ですが、これから少し用事がありまして、」
「用ってどんな?」
「え」

 すかさずの切り替えしに思わず茨城が目を見開いた。こういった誘いは今までに一度や二度ではない。しかし今までの彼らは深く追求などせず、やんわり断るとあっさり身を引いてくれていたのだ。戸惑う茨城がおろおろと手を彷徨わせる。

「それは、その、あの、自室の片付けですとか、お洗濯とか…」
「なんだ、すぐ終わるじゃん。じゃあお昼食べてからでも問題ないでしょ?」
「いえ、あの…」
「それとも厭? 俺らとメシ食うの」
「そ、そういうわけではなく、」
「だったらいいじゃん、いこいこ!」

 そういって茨城の手を取り、巻き毛の男が歩き出す。残る二人は左右を固め、まるで連行されるように引きずられる。
 まずい、と茨城が深く息を吸い、丹田に力を込める。

「あ、あの! 本当にわたくし、ご遠慮を、」
「えー、だってさぁ、鬼灯様とは行ったんでしょ?」
「え」

 何の話だろう、と茨城が目を瞬かせていると、長身の三人は茨城の頭上ごしで歪に笑い会う。

「聞いたよ、なんか昨日衆合地獄にいたらしいじゃん」
「そこで鬼灯様たちと飲んでたんでしょ? ひどいよなぁ、俺らがどんだけ誘ってもちっとも靡いてくれなかったのに」
「だからいいでしょ? 昼飯くらい。それとも平の俺らとじゃお断り?」

 そのまま、彼らは何がおかしいのかゲラゲラと笑いだした。すっかり萎縮した茨城は回らない頭で必死に考える。
 どうやら、昨日電車で鬼灯らと一緒に帰ってきたことを言っているらしい。たまたま帰り道が同じだっただけだが、それの何がまずかったのだろう。混乱しながら、なんとかこの場を凌がなければ、と周囲を見渡す。すると、どうやらこちらを注目していたらしい同じく早朝勤の女性陣と目があった。あの、と茨城が声をかける。すると彼女らは互いに目配せし合い、そのままひそひそと何事かを囁き合うだけで、再び茨城と目を合わせるものはいない。その様子を眺めていたらしい最初の男が再び笑った。なんとか解こうと苦心している茨城の手を握り直し、残念、という。

「誰も止めてくれないみたい。あきらめてちょっとの間だけつきあってよ。ね。ところでさ、茨城ちゃんって彼氏いるの? いないよね?」

 あけすけな台詞に茨城の目の前が若干暗くなる。葛藤すること暫し、こうなったらしようがない、と腹を括る。

「わ、わたくしには、」

 夫が、と言いかけたときである。ダダダダダッ、という猛ダッシュ音が近づいてくる。

「ちょっと待ったぁぁあああ!!」

 叫びながら何かが茨城と男たちの間に割ってはいった。茨城の手を男から引き剥がし、腕を引っ張って背後にかばう。
 そのまま、乱入者は腰が折れそうな勢いで頭を下げた。

「先輩方すんません! 超緊急事態なんです!」
「はぁ!?おい枳殻てめぇふざけんなよ!どういうつもりだよ!」

 怒鳴る言葉通り、割り込んだのは枳殻である。益々の謎展開に茨城が呆然としている間にも、なにやらかなり焦っているらしい枳殻は茨城と共にじりじりと後退する。

「り、理由は後で説明しますって! 今はひとまずここから離れなきゃ…!」
「だから今説明しろよ!」
「だから!その時間がないんですってば!」

 わかんない人だな!と切れたらしい枳殻が説得をあきらめ、くるりと茨城の方へ振り向いた。びく、と驚く彼女の腕をごめん!と言って引く。

「あ、あの!」
「信じられないかもしれないけど、今は黙ってついてきて!」

 そういって、駆け出す。後ろからおい!と飛ぶ怒号に律儀らしい彼がすんません!と怒鳴り返して、そのままどこへともなく走り去ろうとした矢先だ。道の先に見覚えのある大きな影が待ちかまえている。

「見つけたわよ!その妙なのがいばらきね!」

 そういってふんぞり返っているのは、例の金髪の茨木嬢である。うそぉおお!?と枳殻が頭を抱えて飛び退いた。颯爽と現れた彼女はフフン、と得意の鼻を鳴らし、落ちかかる長い髪を背に払う。

「アンタがあたしたちを追い越して飛び出していくから、こっそり後を付けたのよ。正解だったわね」
「え、まじで、俺の所為!?」
「どーせあたしのこと頭の軽い馬鹿女だとでも思ってたんでしょ。残念ね」

 伊達に長生きしてないわよ、と吐き捨て、真っ赤に塗った爪でビシ、とこちらを指さしてくる。

「さぁ、観念してその女を渡しなさい! アンタもその妙ちきりんなのとりなさいよ!」

 妙ちきりんといわれ、それまでめまぐるしい展開に流されるままだった茨城が枳殻の影から顔を出し、相手を確認する。あ、と微かな声を上げた。

「茨木様…、」

 小さなつぶやきだったが、地獄耳らしい茨木嬢はその言葉に柳眉を吊り上げる。

「あたしのこと知ってんの!?」
「あ、はい、存じております」
「黒決定ね! この薄汚い雌猫が!ぶっ殺してやる!」
「え、え、」

 慌てる茨城がおろおろと両手をさまよわせる間に、取り巻きから素早く獲物を受け取った茨木嬢が迫りくる。凶器は長刀に似た湾曲の刃だ。飾り紐が水色の尾を引きながら、茨城の深編笠に容赦なく落ちる。ガキィンッ、と耳をつんざく金属音があがると同時に、茨城を庇おうとしていた枳殻は何者かに突き飛ばされていた。

「女性がそんな物を振り回すもんじゃありません」

 金棒をブン、と一振り、茨城を背に回し現れた鬼灯があくまでも冷静にそういった。茨城がぽかんとしているあいだに、獲物を一瞬で叩き折られた茨木嬢が憎々しげに柄を投げ捨てる。ちょっと!と怒りも露わに鬼灯に吠えかかった。

「何で邪魔すんのよ! これはあたしとその女の問題でしょ!?」
「いきなり斬りかかる前に話し合うのが筋でしょう」
「話し合ってるじゃない! 肉体言語って奴よ!」
「無茶苦茶じゃねーか!」

 鬼灯に突き飛ばされ、運悪くなぜかあった水たまりに尻餅をついた枳殻が叫ぶ。その彼の抗議も何のその、ともかく! と茨木嬢が再度茨城に指を突きつける。

「アンタ、朱点のことは知ってるわね!?」

 指名された茨城は身を竦ませながらも、鬼灯の背から身を出し、恐る恐ると頷いた。

「はい、…存じております」
「じゃあひとまずそのツラ見せなさいよ! その上で申し開きがあるなら聞いてやるから!」
「え、」

 まさかの急展開に、固唾をのんでこの修羅場を見守っていた黒縄地獄一同も思わず身を乗り出した。まさかの処であの茨城が姿を現すのか。しかし、彼女は笠の縁を掴んでぶんぶんと首を振った。

「こ、これはちょっと、此処では…、あの、お許しください」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ! 殴るのをやめて話し合ってやるっつってンのに、アンタ譲歩もしないわけ!?」

 突飛なことをする割に、意外に弁は立つようだ。元もな言い種に世論は茨城の同行を見守るに移る。

「茨木童子。かつて朱点童子と共に現世を荒らし回ったとされる、鬼の頭領の一人です。早い話が族のヘッドって奴です」

 唐突に鬼灯が語りだした。皆の視線が茨城から逸れ、肩に金棒をかつぎ上げた鬼神に集中する。

「我々はアナタ方ゴロツキと違って至極真面目に職務に励む獄卒です。その我々の刑場で、こんな勝手が許されるとお思いですか」

 途端、その場にいた全員が二、三歩を退いた。ゴゴゴ、と音がしそうなほど背から立ち上るオーラが見える。同じく怯みかけたらしい茨木嬢だったが、仰け反りかけた身を果敢に建て直し八重歯を光らせる。

「な、なによ! アンタに関係ないでしょ!」
「大いにあります。責任者なので」
「じゃあ場所変えるわよ! ちょっとアンタ、えーと、ホントの名前はなんていうのよ!?」

 アンタよアンタ!と茨城を盛大に呼びつける。え、と固まるのは周囲である。茨城は焦ったようにあの!と両手をバタつかせて茨木嬢へ駆け寄った。笠越しに、おそらく口元に当たる部分に人差し指を立て、眉根をよせる茨木嬢へ取りすがる。

「ちょ、あの、それは、」
「なによ、どうせあの馬鹿が名乗らせたんでしょ! つーか、やっぱりこれ取んなさいよ、邪魔!」
「え」

 抵抗する間もあればこそ、茨木嬢は鬼らしい剛腕を生かして、あっさりと茨城の笠をはね飛ばした。



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