第十二話


 キャバレー・ハッテンを辞した後、鬼灯と枳殻はしばし話し合った末、茨城の職歴に記載されていたほかのアルバイト先へ聞き込みに向かうことにした。どんどんと目的と手段が斜めに進んでいる気がするが、そもそもの論点はひとつ。茨城が男か女かということだ。それさえはっきりすれば、自ずと他の答えは浮かび上がってくるはずである。
 幸いなことにハッテンへ勤める前のアルバイト先もいくつか衆合地獄にあり、ひとまず距離が近いところから赴くことにする。

「茨城?…ああ、いたねそんなコ」

 店の裏口にぞんざいに置き並ぶゴミバケツの上に腰掛けながら、副店長らしい女性は紫色の髪を耳にかけながら、気怠げにそう吐き出した。肩口からは鋭角なフリルが立ち上がり、そのまま白い前掛けをぐるりと縁取っている。遠目に見ると、例のあのモビルスーツのように見えなくもない。フリルと揃いのヘッドドレスを頭上に戴き、腿上で大胆に切り落とされた桃色の小袖は、サテンをたっぷりと重ねたパニエを仕込んでふんわりと広がっている。そこから伸びる足は白のオーバーニーソックスと、かまぼこのように踵の分厚い厚底靴に収まっている。いわゆる、給仕以外の仕事をしない女中という奴である。
 ハッテンの一つ前の職は、なんとメイド喫茶だった。五坪ほどの手狭な店だが、物珍しさもあって客の入りは悪くもない。前述の揃いの衣装を身に纏った女性が、なんとも摩訶不思議なメニューを手に、狭い店内を客の間を縫うようにして右へ左へと闊歩する。
 あの淑女を絵に描いたような茨城が! と、枳殻は衝撃を禁じ得ず開いた口がふさがらない。そんな彼を鬱陶しげに見つめながら、どうやら野干らしい彼女は金メッキに瑪瑙を埋め込んだキセルくわえ、胸一杯に吸い込む。
 
「でもとっくに辞めたわよ? 今更何の用なわけ?」
「就労確認にお伺いしただけです。茨城、という鬼の女性は確かに以前コチラにお勤めだったわけですね?」
「まあそうだけど」

 鬼灯の問いにふーっと紫煙を吐き出し、もりもりにデコレーションされた親指の爪でグリグリと眉間を押さえ込む。

「正直、思い出したくもないね。ホント、つっかえないコでさぁ、人の仕事を倍にする天才っつの? とにかく面倒事の多いコだったわ」
「え、マジすかそれ?」

 思わず声を上げた枳殻を副店長がギロ、と射殺す勢いで睨みつける。

「何、あたしが嘘吐いてるって言いたいわけ?」
「ああ、いや、そういう意味じゃなくって」

 慌てて手を振って否定するが、時既に遅しのようらしい。副店長はイライラと灰を落とし、空になった煙管を指で高速に回転させる。

「そうやって男はみーんなあのコの味方すんのよ。実際尻拭いするのはコッチだっつーのにさ。アンタらもどーせあのコの毒牙にやられた口なんでしょ。だったら何も話すことなんかないね!」

 帰んな、忙しいんだから!とゴミバケツを蹴立てて去りかけた彼女の背に、後一つ、と鬼灯が声をかける。

「彼女は顔を隠していましたか?」
「はぁ? なにそれ」
「…いえ、やはり何でもありません。お時間ありがとうございました」

 そういって鬼灯が深々と頭を下げたので、勢いを殺がれたらしい副店長は面食らった面もちで何も言わずにきびすを返し、店内へと消えていった。扉の閉まる音が響いてから、鬼灯が顔を上げる。何となくだが思案顔だ。

「毒牙、ですか」

 顎に手を当て倒れたゴミバケツを眺め遣りながら、鬼灯が言う。枳殻がばっちい、と顔をしかめながらそれを立て起こし、首を振った。

「言い方が大げさすぎでしょ。なんか個人的な恨みでもあるんじゃないすかね」
「野干は基本刹那的な方が多いので、あまり恨み辛みを持ち越さない人が多いんですけどねぇ」

 うーん、と表情は変わらず暫し首を傾げていた鬼灯だったが、やがてなんらかの結論がでたらしい。よし、と小声で呟き、何度か頷いた。枳殻は裏口の水道を捻って勝手に手を洗い、手巾で拭きながら沙汰を待つ。

「ちょっと確認したいことがあります。あと二、三箇所廻ってみましょう」
「え、まだ行くんですか」

 及び腰の枳殻に既に背を向けている鬼灯は、振り返らずに帽子を持ち上げ、髪を掻きあげてから被り直す。

「今の証言だけでは結局何もわかりませんでしたし。この際ですからね」
「はぁ、でも、メイドやってたんなら女性は確定じゃないですか?」

 女性であれば茨城の履歴書には何ら瑕疵はない。既婚者であることも事実となってしまうのは枳殻としては複雑であるが、この際それはしょうがないといえるだろう。しかし鬼灯は肩を竦めるのだ。

「どうやらあの店の経営者は狐です。従業員は鬼・妖怪問わず雇い入れているようですが、恐らく半数以上は同族でしょう。彼らはその気になれば性別すら偽りますからね。さてどこまでがオスなのやら」
「…え、今さり気に怖いこと言いませんでした?」
「それに、もう一つ気になることが。恐らく茨城さんはメイド喫茶で就業していた頃は虚無僧ではなかった、つまり顔を隠していなかった。そして次の就業場所であるハッテンのママはその名を出しただけで何故か激怒。庇い立てするような素振りを見せる。そして彼女は修羅界に渡り、先日地獄に戻ってきた。顔を隠して」

 すらすらと論えながらも、鬼灯の歩みは淀みない。どこからともなく取り出した書類をめくり、なにやら読み込みながらも道は確認せず進むあたりが、この界隈に詳しいのだと物語っている。枳殻も被っていた帽子を一度はずし、ぱっぱと手で払ってから髪を撫でつけ被り直す。派手な格好の鬼灯の背をみるとはなしに眺めながら、では、と官吏の言葉尻をさらった。

「ハッテンに就業する前後に何かがあったって事ですか?」
「少なくとも顔を隠さなければならない何かがあったのでしょう」
「…怪我とか、病気とか?」
「黒縄の皆さんも仰っているように、いろんな説が考えられますね。私としては邪気眼説が一番面白い」

 おもしろいか?と枳殻が思わす真顔になったのを知ってか知らずか、鬼灯は袂に書類を仕舞込みながら、細い路地の前で立ち止まる。振り返り、枳殻を小さくて招いた。

「ここまできたらいっそのこと、ですよ。さっさと終わらせてしまいましょう」

 そういう上司につき従って、枳殻はその後計二ヶ所を廻った。どちらも茨城のことは覚えており、記載してあった就業経験に偽りはないようだった。だが、反応は前述のメイド喫茶と大きく変わらず、評価は最低を通り越して名を聞くだけでも不快といったレベルである。曰く、仕事ができない、常識がない、そのくせ男に媚びるの三拍子だ。異口同音で出るわ出るわの負エピソードである。
 現在の茨城しか知らない枳殻でさえ、ここまでくれば多少疑心暗鬼になってくる。彼女のあの控えめで楚々とした雰囲気は偽りなんだろうか、と。虐げられる己を演じて、実際は心の中で舌を出しているのかもしれない。
 あるいはやはりそんな気は毛頭なく、ただ世間知らずが故に空気が読めず、職場に軋轢を生んでいただけかもしれない。これまでの言動や雰囲気から鑑みて、箱入りであったことは確かだろう。
 だが、その予想が正しかったとしても、茨城にとってはどちらにせよ忌むべき記憶であろう。以前がどうであれ、今の彼女は忠実に職務に励んでいる、ように見える。当人が隠しておきたい過去を勝手に暴いているのだとしたら、これ以上居心地の悪いことはない。思わず無口になった枳殻に気づいているのかいないのか、鬼灯は無表情のまま思案に耽り、彼もまた特にコメントはしない。こころなしかトボトボと鬼灯の斜め後ろをついて歩いていた枳殻は、突然立ち止まった鬼灯に驚いてたたらを踏んだ。間抜けに背中へ激突することは避けたが、ややむっとして上背に勝る上司を睨む。

「びっくりした、いきなり止まらないで下さいよ」
「ああ、失礼しました。ちょっと考えが纏まらないまま歩いていたものですから」

 素直に謝る上司に以上はいえず、何となく気まずいままで枳殻は鬼灯の視線を追いかける。彼は立ち止まった先、軒先の屋号を眺めている。

「…あれ、ここ最初のとこじゃないですか」

 枳殻の言通り、そこは最初に訪れたメイド喫茶である。外見はそこいらのお茶屋と変わらず、紅殻格子に駒避けもあるごく一般的な商屋の構えである。杉の一枚板に豪の字で彫られた立て看板には「メイド・イン・ヘブン」とある。ど直球だ。
 鬼灯は特に店内へ入ろうとするわけでもなく、かといって歩を進めるわけでもない。常と変わらない、すっと弓を引いたように凛と涼しい顔立ちで、とっくりと閉じられた店の戸を眺めている。ガタイのいい遊び人風の男がじっとメイド喫茶を見つめている、とは、なかなかに目立つ光景だ。なに考えてるんだこの人、と枳殻が再度声をかけようとした矢先、メイド・イン・ヘブンの戸ががらがらと開く。

「いってらっしゃいませ旦那様! お帰りをおまちしてまぁす!」

 先ほど会った副店長と揃いの装束を身につけた若い娘が元気よく叫び、半ば押し出すようにして太めの男性鬼を店外へ送り出した。その客はといえばまんざらでもなさそうにほほえみ、手を振って再び店内へ消えてゆく娘を名残惜しそうに見つめている。
 鬼灯が片手をあげながら、男の前に割り込んだ。

「失礼、ちょっとよろしいですか」
「…え、は、はい? ぼ、僕ですか?」
「ええ、ちょっとお伺いしたいのです」

 突然風体の怪しい男に声をかけられたからか、みるからに気の弱そうな客の男は逃げ腰でじりじりと後退する。一瞬とりなそうかと考えた枳殻だったが、やめた。ちょっと面倒くさい。
 顔に反して礼儀正しい官吏は、ビビりまくりの男を宥めるためか、ひとまず軽く頭を下げた。

「突然すみません。このお店にはよく来られるんですか?」
「はぁ…まぁ、よくってほどじゃあ…、大体週5くらいですけど」

 多!と枳殻が思う間に、鬼灯が頷く。

「どなたか贔屓の方がいらっしゃるんですか?」
「そりゃ勿論こころちゃんだよ!当たり前じゃんか!」

 当たり前なのか。何だか興奮しだしたらしい男は打って変わって輝かしい顔で鬼灯に詰め寄る。

「なに、あんたも好きなの?」
「いえ、あまり詳しくないもので。そのご様子では、コチラの贔屓になって長いのですか?」
「地獄のメイド喫茶はほぼ制覇したなぁ〜特にここは開店当初からずっと通ってるかな」
「ほう、それはそれは。ではその頃からこころさん一筋で」

 男性客がいやいやいやいや、と半笑いで両手を振る。

「ここは結構入れ替わりが激しい店なんだよ!こころちゃんも元々違う店で頑張ってて、最近ここに移ったクチだからね。その前はすんっごいエンジェルがいたんだよぉ、まさに天国って感じでさ!」

 地獄でエンジェルの天国とはこれ如何に。枳殻が半目で眺める先、男性客は当時を思い出したのか、両拳を握って天を仰ぐ。

「在籍期間は短かったんだけどね!も〜気は利くし声は可愛いし制服姿はサイコーだし、興奮したなぁ!!常連みんなあのコ目当てで通ってね、指名もできなかったり、席も取れなかったりで大変だったよ。ま、僕はその辺優遇されてたけど?」

 自慢げに言い切った男性にうなずき返し、鬼灯は冷静に先を促した。

「それはさぞかし素晴らしい方だったのですね。ちなみに、その方のお名前は?」
「ん? すみれちゃんだよ」
「え」

 枳殻が驚きに目を見開いたのを、ちら、と男性客が横目でみるが、なにもいわずに鬼灯に視線を戻す。対して、その鬼灯は再度の思案顔に沈んでいた。その彼に気づいていないのか、熱弁を振るう男性はすみれというメイドの可愛さを切々と謳っている。聞いているのかいないのか、一応の相槌を打つ鬼灯が、ややあってでは、と切り替えした。

「そのすみれさんは、コチラをお辞めになった後は別のお店へ移られたのですか?」
「いーや、それが全く不明なんだよ。辞めるって話も突然でさ、普通人気っ子の退店時にはそれなりに祭りをやるんだけど、それもなし。ほかの店に移ったんなら僕の耳に絶対入ってきてるだろうし、たぶんメイド自体引退しちゃったんだろうなぁ」
「…なるほど」

 唇に指を当てながら呟いた鬼灯は、そのまま話をメイド喫茶の今後の展望についてへと飛躍させていた男性客に暇を告げる。どうもありがとうございました、と深々と礼をし、まだ話足りなさそうに面食らう男性へ呆気なく背を向け歩き出す。枳殻は迷ったが、一応会釈して再度上司の背を追った。いつの間にか、地獄の陽は落日を迎えていた。先ほどから人通りも増え、ネオンに灯がともり、呼び込みも本格化してきつつある。歓楽街の夜明けが始まろうとしている。


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