第九話


 さて、その茨城は周囲の状況もなんのその、粛々と業務に励み、順調にノルマを消化していた。午前中は山と積まれていた使用済み刑具も、エベレストが富士山くらいには減っている。もうちょっと、もうちょっと、と妙な鼻歌を歌いながら過ごし、もう夜半である。この小川はどうやら穴場らしく、途中篝火を入れにきた獄卒以外誰も通らず、遠く、風に乗って亡者の悲鳴がかすかに流れてくる程度である。
 鼻歌の合間の息継ぎのはずが、ふう、と溜息がこぼれる。そのとたん、肩と腕が同時にものすごい音を立てた。

(…ちょっと休憩しようかな)

 たわしを置き、立ち上がって伸びをすると、腰や背中もバキバキと物騒な音をたてる。そのままラジオ体操よろしく適当な屈伸運動をしていると、耳がかすかな異音を拾った。不思議に思った彼女が動きを止めて耳を澄ますと、それはだんだんと近づいてくる。高くなり、低くなり、妙に間延びするそれは、

「…歌?」

 誰かが歌っている。しかも複数だ。薄暗い小径の向こうからこちらにやってくる。それにしても、テンポは単調ながら深く、妙に陽気な調子である。なんの歌かしら?と相手を待ちながら身構えていた茨城の前、暗がりの中からゆらりゆらりと現れたのは。

「あ、お姉さん!? おねーさんはっけーん!」
「おお、あの虚無僧の」
「何してるんだ?」

 犬・猿・雉である。
 閻魔伝の大宴会以来の再会に、茨城がまぁ、と声を上げる。

「皆さんだったのですね。てっきり幽鬼かなにかの類かと…」

 頬にするように深編笠へ片手を当て、吐息混じりに茨城が呟く。現れた三匹はそんな茨城をよそに、なにやらわいわいと騒がしい。茨城が首を傾げながら近寄ってゆく。

「こんな時間にどうされたのですか? 皆さんは確か…、不喜処というところにお勤めでは」
「そだよ〜、今日はね、非番だったの!」
「お休み?」
「そうお休み!超寝た!」

 犬の返答は断片的である。ますます頭にハテナを飛ばす茨城を見かねてか、ルリオが咳払い代わりに羽ばたいた。

「俺らは明日も休みなんだ。で、やることがないからブラブラしてたら、暇なら散歩がてら他部署見学でもしてこいと言われてな。お隣の此処に来たわけだ」

 ルリオの説明に茨城が成る程、と肯いた。

「それは遅くまで大変ですね」
「おまえさんは何をしてるんだ?」
「仕事です。手が遅いもので、言いつけの分まで終わらなくって」

 照れくさそうに、苦笑混じりに茨城が言う。仕事、と三匹が首を巡らして、例の大山を見つけ、げっと慄いた。

「これ全部か!?」

 柿助が手近に落ちていた鋸を掲げる。それはまだ血と脂の曇りも残る手つかずの分だ。

「はい。ああでも、もうちょっとなんですよ。あちらの方は仕上がった分です」
「これ一人でやってたの!? 今まで!?」
「そうか、俺らと違って鬼は呵責に道具が必要なんだよな」
「旃荼処って恐ろしいところなんだなぁ…」

 どん引きする三匹に向かい、茨城は何も言わずに苦笑しているようだった。やがて、たすき掛けの袖を押さえながら、道の向こうを指し示す。

「ここを篝火が続く道なりにまっすぐ進まれると、夜勤の皆さんが詰められている官署がございます。上長もいらっしゃると思うので、見学でしたらそこがよいと思いますよ」

 この言に、犬がおすわり体勢のままきょとんと首を傾げた。

「お姉さんは? みんながいるところには行かないの?」
「わたくしは…、まだこの通り、やらなければならないこともありますし」
「でもあっちにみんないるんでしょ? そこでやればいいじゃん。こんなところに一人じゃ寂しいよ」
「それは…」

 もっともなシロの言い分に、他の二匹もうんうんと肯いた。言い淀む茨城はどうやら曖昧に笑い、答えあぐねいているらしい。だが三匹は無言で続く言葉を待った。間が空き、躊躇い躊躇い、やがて根負けした彼女は吐息混じりに吐き出した。

「その…、実は、わたくし、…殿方が苦手なのです……」

 消え入りそうな声である。は?と固まる動物たちの前、彼女は重ねた手を握りしめ、うつむいた。

「幼い頃より、あまり男性と触れ合う機会がなく…、身近な異性といえば父くらいでしたので、勝手が分からないのです。とても親切にして頂いているのに、申し訳なくて…」

 滔々と語る声は落ち沈むようで、顔は見えないながらどうやら本心を語っているらしい。ほやぁ〜、と犬が妙な吐息をはいた。

「絶滅危惧種〜! 桃太郎の時代の女の人だってもっとはっちゃけてたのにねぇ」

 茨城があからさまにしゅんとしたように肩を落とした。

「そうですよね…。こちらの女性は、なんと申しますか、奔放で闊達で生き生きとして、わたくしとは大違いです」
「あっ、あっ、ごめんよ! 変な意味でいったんじゃないからね!」

 慌てた犬が茨城の足に取り付き、ぺろぺろと手を舐めた。無言で首を振った茨城が、そのままシロの頭を撫でている。ルリオがふうん、と頷いた。

「手伝われると気まずいからここにいるってわけか。おまえさん、難儀な性分だな」
「…よく、言われます」

 ちら、と三匹が目配せしあった。誰ともなくふふん、吐息を吐き、鷹揚に頷きあう。

「…仕方ないなぁ!」
「ね、仕方ないねぇ。俺たち今も昔も正義のヒーローだもんね!」
「女子供が困っているところを見過ごしちゃ、男が廃るな」

 口々に言うなり、彼らは残る刑具の山に向かった。ぎょっとしたらしい茨城が慌てて取りすがる。

「あのっ、皆さん何を、」
「どーせ暇な身だしな。これも見学みたいなもんだろ! 手伝うなとは言われてないし」

 柿助が笑いながら言った。四肢が人型に近い彼は早速器用に刑具を手にとっている。呆気にとられているのか、無言の茨城に向かい、ルリオが片羽を振りながら心なしか胸を張った。

「オレらも男だけど、動物なら平気なんだろ? まあ、オレとシロはあんまり役に立たないだろうが、変な奴が来ないように見張っておいてやる。疲れたら眠っていいぞ」
「オレは磨くよ〜超磨くよ〜! ルリオと違って手足あるし!」
「悪かったな鳥類なめんな」

 犬と雉のやりとりを聞いて、茨城が小さく笑った。お、笑った、と柿助がいい、ちょいちょいと茨城を手招く。

「さあ、早速取りかかろうぜ。オレが来たからにゃこんなモン、光の速さで終わらせてやるよ」
「柿助さすが〜カニを一撃でシトメただけはあるね!」
「……その話は…すんなよ………」

 犬と猿がなにやらにぎやかに話し始める横に、茨城もすっとしゃがみ込む。

「御言葉に、甘えてよいのでしょうか」
「いいよ!」
「おう」
「とっとと終わらせてギャフンといわせてやろーぜ!」
「ギャフンは古い」

 ありがとうございます、と消え入りそうな声が編み笠の向こうからにじみ出てきた。なんのなんのと三匹が男前に笑い合い、あとは、ひたすらの作業が始まった。
 柿助は言わずもがな、シロとルリオは慣れない作業ながら御互いに協力し合い、牙や嘴を使って順調にこなして行く。陽気な動物たちは口々に冗談を飛ばしあい、時には手を止めて身体を張った芸を披露したり、驚き、呆気に取られる茨城を巻き込んで大いに笑いあった。最初は多少固さの残る素振りだった彼女も打ち解け、よく笑うようになる。そうこうするうちに、血の滴る刑具もどんどんと減ってゆき、ついに残すところあと少しとなった。

「もう少しだねぇ!」
「はい、本当に助かりました」

 シロの言葉に茨城が笑って頷く。柿助が洗い終えた刃を布で拭きながら、いやはや、としみじみ一人ごちた。

「しかし改めてみるとすごい量だったなぁ。俺らが来なかったらどうなってたことか」
「ほんと、こうしてみると鬼灯様の言う通りにしてよかったな。最初はいきなり何言い出すのかと思ったが」
「鬼灯様?」

 突然飛び出た官吏の名に、茨城が柿助とルリオを振り返る。彼女は深編笠の中に手を差し入れ、手巾で額の汗を拭っているらしい。傍から見ると若干ホラーな光景だが、この短時間で三匹は見慣れていた。当たり前だが、どうやら笠の下にはきちんと顔らしきものがあるようだ。
 茨城の疑問にはルリオが頷いて答えた。

「おう。さっき言っただろ。俺らが暇してたら他部署に見学に行けって言った人、アレが鬼灯様だよ」
「食堂であったから知ってるよね? 黒髪サラサラの鬼神さんだよ! 俺らもあの人に雇ってもらったんだぁ」

 お揃いだねぇ、とシロが吼える。その頭を撫で付けながら、茨城がそうですね、と頷く。

「その、鬼灯様が、こちらに来るように仰ったのですか」
「うん、この道が近道だよって教えてくれてねぇ。黒縄って初めてだから迷うかと思ったけど、そこにおねーさんがいたんだよ!」
「…そうですか、」

 呟き、何度か頷いた茨城がそのまま押し黙った。三匹は出てきた鬼灯の名に反応したのか、あれやこれやと話し出す。

「強面のアカミミガメみたいな顔してるけどね、とってもお優しいんだよ! 超怖いけどね!」
「シロお前それ矛盾してるだろ…まあ、厳しい方だよな。割と腕力で解決したりするし」
「俺こないだ閻魔大王が試験管咥えさせられて往復ビンタかまされてるの見た…」

 最後の柿助の台詞に、マジかよ…と他二匹が戦慄している。茨城は止めていた手を動かしながらその話に黙って耳を傾けていたようだが、では、と口を開く。

「お仕事に厳しい方なのですね。合理的、と申しますか、不条理や煮えきらないことが御嫌いといいますか…」
「ああ、なんかそんな感じ! いつもビシーッ!っていうか、隙がないっていうか。だから怖そうなんだけど、ホントに優しいんだよ。遊んでくれるし、なんか変な植木育ててるし、動物好きだし」
「動物がお好きな方に、悪い方はいらっしゃいませんよね」

 茨城が肯きながら再度シロを撫でる。どうやら茨城の手つきをお気に召したらしい犬はご機嫌で尻尾を振った。それを眺めやりながら、茨城がふっと可憐な吐息を吐く。

「でも、厳しい方なのですね。よく覚えておきます」
「お姉さんも今度一緒に遊ぼうね! ボールとか投げるんだよ」
「はい、喜んで」

 うふふ、と犬と握手を交わす茨城に、でもさぁ、と猿が磨き終わった刃を並べたてながら話を降る。

「そもそも、アンタは何でこんな面倒ごとを一手に押しつけられてるんだ? 黒縄ってそこまで人がいないのか?」

 茨城が首を振った。

「それもあるのかもしれません。でも、恐らくわたくしがまた何か、やってしまったんだと思います。…昔からこうなんですよ」
「昔って?」
「何度かアルバイトをしたことがあるのですが、やっぱりその…、一人でたくさんこなすことが多いんです。先輩方にはあまり覚えがよろしくなくて」

 苦笑気味に言った彼女の腕を、器用に眉尻を下げた犬がたしたしと叩く。

「そんなことないよ、だってお姉さん、阿修羅王とかいうすごい人のところで働いてたんでしょ? 閻魔様がいってたよ。働きたいって言って働けるところじゃないって」
「まあ、そんなことはありません。阿修羅王はとてもお心の深い方です。縋る衆生をお見捨てになる真似は決してなさらないですよ」

 これまであまり強くものを言わない茨城がきっぱりと言い切った。ルリオが興味深げにゆらりと首を揺らす。

「ふぅん、べた褒めだな。大層良い御仁だったんだろな。わかるぜ、尊敬できるリーダーって結構自分の中の根幹だったりするもんな」
「はい。大恩あるお方です。悩むわたくしに先行きを照らしてくださったのです」

 はにかむように茨城が言った。良かったねぇ、と吠えた犬の喉元を細い指が掻いてやっている。ふと、思いついたように柿助が人差し指をたてた。

「じゃ、なんでそんないい働き口だったのに辞めちゃったんだ? そうまでして地獄で獄卒になりたかったとか?」

 茨城が犬をくすぐる手を止めた。しばし逡巡し、やがてそうですね、と肯く。

「ずっとあちらにいる方が幸せだったのかもしれません。でも、やはりわたくしにはどうしても諦めきれなかったのです」
「諦める?」
「…側にいたくて、」

 俯いて呟いた茨城が、ふふ、と笑った。顔を上げ、掌で拳を叩く。

「そうそう、わたくしも一つお伺いしたいことがあったのです。よろしいですか?」
「な、なんだ?」

 ルリオが思わず、といったように構えて聞き返す。刃を持ち直し、止めていた作業を再開しながら、茨城があれですあれ、と楽しげに言う。

「先ほど、皆さんがこちらに来る道程で歌われていた歌、あれは何という歌ですか? 僅かしか聞こえませんでしたが、それでもとても素敵な調べでした。なんと申しますか…胸の底に真に迫るものがありながら、それでいて優しく穏やかで、まるで鎮魂の祝詞のような」

 べた褒めの茨城に焦るのは雉と猿である。

「え…、なに歌ってたっけ俺たち」
「そんな大層なもんだったか? いや、っていうかあれはシロだろ、シロがいきなり歌いだしたんだ」

 なあ、と話を振られた犬はきょとん、とした後、あー!と声を上げた。

「あれはねぇ、現世でやってる長寿番組のテーマソングだよ! 知らないかな? こう、ばーんと脈絡なく懐から取り出す凶器で目につくものを抹殺する、ヒエラルキーの正義と理不尽さを皮肉った内容で」
「水戸黄門だろ!まっすぐ言えよ!」

 猿のつっこみも何のその、犬はじゃあ歌うね!と歌唱を始める。その意気込みはすさまじく、イントロから再現する徹底ぶりである。ばんっばばばばんっばばばばんばばばばばばば、とノリノリの犬の前、茨城がうれしそうに手を叩いて喜んだ。

「そうそう! この歌ですこの歌、"みとこうもん"と言うのですね? わたくしも覚えておきたいです。教えていただけますか?」
「いいよー!」
「おいおまえら! 歌うのもいいけど手を動かせよ!」

 朝になっちまうぞ、というルリオのつっこみを余所に妙な合唱団は結成され、結局人生楽ありゃ苦もあるさと至極尤もな台詞が幾度となく繰り返されるのである。


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