虚無僧(こむそう)とは、禅宗の一派である普化宗の僧のことである。「僧」と称していながら、剃髪しない半僧半俗の存在で、尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧とされており、首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。
「以上、例のあれから抜粋です」
「いやわかりますよ、ウィキでしょ。俺が訊いてんのはそういうことじゃないっす」
面接後の小部屋で交わされた男二人の言葉である。
奇っ怪な娘の登場以降、ほかに激烈なインパクトもなく、恙無くと言った呈で無事全員の面接が終了した。やはり、ある程度は枳殻とシロ以外の官吏の間で暗黙の了解よろしく絞られていたようで、あとは簡単な確認だけで可、不可とどんどん人が捌かれてゆく。シロは完全に飽きたようで、先ほどから妙な歌を一人口ずさんで床でごろごろしている。枳殻は猛烈なスピードで選別されてゆく応募者書類を見ながら、机の上で頬杖をついていた。そして思わず訊ねたのである。あの格好はいったい何なのか、と。それに対しての鬼灯はどこからかノートPCを出してきた上で、この台詞である。
枳殻の追随に肩は竦めど手は止めない。
「別に、いいんじゃないですか。本人がかぶりたいって言ってるんですから。そういう宗派なのかもしれませんし」
「鬼に宗派もクソないでしょ…、え、ていうか彼女、鬼ですよね?」
「履歴書にはそう書いてありますね」
「(適当だな…)…そうすか。うーん、でもなぁ…」
あああからさまにがっちり顔を隠されてしまえば、逆に気になるというものである。顎をさすって虚空を睨みあげる枳殻に向かい、優しそうな中年鬼が苦笑いで頷いた。
「いや、でも、まあ、普段はいいとはいえ、流石に履歴書の写真はどうかとは思うけどね…」
「ね、そうですよね、どうしてもっていうならせめて勤務期間だけ隠せばいいんじゃ?」
枳殻が身を乗り出すと、女性官吏二人もうんうんと頷いた。
「まあ、何か事情があるんでしょうけれど、あれじゃ逆に悪目立ちしそうだしね」
「女心として何となくわからなくもないけど、虚無僧はちょっとねぇ」
どうやら、場の雰囲気と鬼灯のあまりにも自然すぎる対応に当てられ言い出せなかっただけのようで、ほかの官吏の面々は割と常識人のようだ。よかった、本部が全員奇抜な人間だらけだったらどうしようかと思った、と枳殻がこっそりと安心しているのを後目に、相変わらずクールな鬼神はぽいぽいと書類を選別しながら無言である。そのまま、官吏たちはあの茨城という娘について可か不可か、という話に移った。
「熱意はありましたね。誠実そうですし、礼儀正しそう。自分で言うのもあれですが、女性の官吏は厳しいものが多いですからね、素直な子は歓迎しますよ」
少し年嵩の方の女性官吏が言った。対して、もう一人の女性官吏はんー、と眉根を寄せるのである。
「たしかにポテンシャルは高そうだし、礼儀も弁えてそうだけど、ちょっと気が弱いんじゃないかなぁ。となると衆合地獄で亡者を惑わしてほしいんだけど、顔が出せないとなるとねぇ」
「体力はどうなんでしょうね、そのあたり、前職での評価は…」
がさがさ、と中年鬼が資料をめくる。彼が該当のページを探し出す前に、鬼灯が己の分の資料を皆に差し出した。果たせるかなそこには先ほどの娘の写真とともに、至極丁寧な字で身の上が綴られている。鬼灯がその筆致を指でなぞる。
「勤務態度は実直のようです。ただ、ご本人がおっしゃっていたように、今まではアルバイト経験しかないようですね。期間も短期が多く、割りと職も転々としています」
「あら、意外に長続きしない性格なのかしら?」
「そんな感じには見えなかったけどねぇ」
女性二人が首を傾げる前で、鬼灯が更に資料をめくり、続ける。
「前職は他よりも長く勤めていますね。中々厳しいところだと聞き及んでいますから、相応に能力はあるのでしょう。正直、優秀な人材なら多少のことは目を瞑るつもりです。何せ今回は短期契約ですし」
「まあ、確かに」
各々が何とはなしに頷く中、鬼灯が続ける。
「第一印象など存外当てにならぬものです。真面目そうに見えた方がちゃらんぽらんだったり、気難しそうな方がきさくだったり。我々の判定など業務の一助に過ぎぬものですよ。ですから、相手のよいところにピンと来たならば、それで問題ないのではないでしょうか」
起伏のない鬼灯の低い声には不思議な引力がある。議論を交わしていた官吏全員がそれもそうだ、その通りだと何度か頷きあう。枳殻もちょっと感動していた。そうだ、確かにあの娘さんは入って来てから出て行くまで、至極真面目で可愛らしい人だった。ちょっと奇抜でファンキーな見た目でも、それは彼女の数ある一面のひとつでしかないのだ。
そう考えると、何となくあの風体もどうでもいいことのように思えてくる。
そうだ、たいした問題ではない、虚無僧の姿など…。
………。
…いや、やっぱりちょっとまて。それでもやっぱり、虚無僧はどうなのだろう。
(せめて、仮面とか、マスクとかさ…他があるだろ、他が)
わいわいと盛り上がる官吏たちを見ながら、枳殻はまだ微妙な気持ちでいた。改めて鬼灯に向け、口を開く。
「なんだか、いやに推しますね。なんかあるンすかあの彼女に」
「ええ、経歴が気に入りました。あとあの見た目もだいぶ面白いので」
「………、」
「後半は冗談ですよ。枳殻さんは案外真面目ですね」
「(アンタは謎過ぎるよ…、)ん、経歴ですか? アルバイトでしょ?」
「まあ、職位的にはそうみたいですけどね、そもそもアルバイトといっていいのかどうか」
珍しく歯切れの悪い鬼灯が、聊か首を傾げながら再度資料を捲り、該当箇所をトントンと指で叩いた。職歴を記す欄だ。枳殻が覗き込むと、確かに記載された数が多い。その最後の欄には。
「…お手伝いさん、ですよね」
「ええ、修羅界にお勤めだったようです」
「ふーん…、まあ、天界から来てるパートさんとかいますしね、別にそれが…」
「阿修羅王の侍女をされていたと」
「…めっちゃ優秀じゃないすか」
え、マジで、と枳殻が思わず驚きに身を起こした。そこへ、今まで我関せずだったシロがひょっこりと椅子に乗り上げてきた。どうやら歌うに飽きたらしい。
「ねー鬼灯様、阿修羅王ってだぁれ? ラーメン屋?」
「いいえ、修羅界にお住まいの偉い方ですよ」
「しゅらかい?」
シロがこてっと首を傾げる。鬼灯はしまっていたPCを再度取り出し、なにやらカチカチ打ち込んだあと、ディスプレイを犬に向けて見せた。そこにはやはり、万国共通フリー百科事典が開かれている。
「まあ、詳細は省略しますが、修羅界は要するに我々が今居る地獄のお隣です。あそこはもう長いこと天の一部と戦争を続けていまして、中々物騒なところなんですよ。で、阿修羅王というのがその修羅界でトップのお方です」
「ふーん、あ、じゃあ閻魔様みたいなかんじ?」
「アレよりよっぽど立派で怖い方ですよ」
「アレって…」
まさかのボスをアレ呼ばわり。枳殻が突っ込むが、一人と一匹は見向きもしない。
「私も以前何度か阿修羅王にお会いしたことがあります。トップはかくやというべきか、とても気難しい方でして。その御方の側仕えを経験した上に、辞したのち推薦文まで受け取られるとは。余程の有能かド天然かのどちらかです」
「ふぅーん、ようするにすごいんだね、あの茨城ってひと!」
「まあ、まとめるとそういうことです」
よしよし、とシロの頭を鬼灯が撫でる。犬は満足げにムフゥーと鼻息を吐いた。一方、枳殻は再び眉根を寄せ、顎に手を当てている。
「彼女、修羅界に居たときからあの格好だったんすかね…」
「さあ、それは存じません。…ああ、でも推薦文にこうあります」
言うなり、またしても何処からともなく、といったようにファイルを取り出した。どうやらそこに面接者一同の推薦文とやらを仕舞ってあるらしい。ぱらぱらと捲り、うちの一通を取り出した。
まず、封からして違った。金箔を漉きこんだ純白の和紙に、濃密な墨の筆致が力強く文字を成す。果たし状、と銘打っていてもおかしくない代物である。だが確かに、推薦状と書いてある。三つに畳まれたそれを開くと、中には揃いの紙で認められた便箋が有る。何となく厳かな雰囲気に皆が注目する中、鬼灯があっさりと中身を開いた。
「"我、阿修羅王は茨城嬢の一身を保障するものである。この娘は非常に気立てよく、淑やかで有能ゆえ、粗末に扱うことあたわず。それ相応に持て成す事。また、くれぐれも彼女の面を無理に覗き見ないよう、お願い申し上げる。双方の平穏が御互いの誠意によって成り立つことと信じ、ここに記す。ゆめゆめお忘れにならぬよう、心して雇い入れること"」
「………」
「仰る内容が実に武闘派ですねぇ。流石阿修羅王です」
誰も何も言わず、鬼灯が便箋を畳んで仕舞う様を眺めている。やがて、元の形に戻し終えた彼が書類を片付けながら立ち上がった。
「と、いうわけで、あまりお勧めは出来ませんが、彼女の素顔を見たい方はお気をつけください」
地獄と修羅の全面戦争とか笑えますしね、と鬼灯が皆を感動させた美しい低音で言い切り、場は再びぐうの音も出ない静寂に包まれた。
(採用されたわ…)
自分で言うのもなんだが、どうなんだろう。
茨城は一人、数日前から越してきた獄卒用の官舎で宛がわれた部屋に居る。贅沢なことに一人部屋である。室内は六畳ほどの板間で、簡素だが生活するに必要な家具家電の類は全て用意されている。少ない私物とともに身一つで飛び込んでも、何一つ不自由はなかった。
採用通知が届いたのが二週間前だ。修羅界から地獄へ来るにあたり、ひとまず宿泊していた宿まで速達で届いた。封書には入寮が必要か否かを問う書類がまずあり、早速希望に丸をして返送したところ、ものの三日ほどでこの住まいが与えられ、今に至る。そのほか、重要書類と掲げられた通知は多く、茨城はもう何度も読み返したのだが、どこかに漏れがあるのではないかといまいち不安が拭えない。
大事なところは主に、採用内容は三ヶ月限定の契約社員で、勤務実績によって更新か打ち切り、または正社員登用になるということ。そして仕事内容は一般的な獄卒と変わらず亡者への呵責が主になり、部署はひとまず黒縄地獄というところであること。しかしここに限定はされてはおらず、本人の適正をみて順次決定され、後はOJTにて仕事を覚えるように、と締めくくられている。羅列は丁寧だが、いささかざっくりした事しか書かれていない気がする。そもそもOJTとは何だろう? 大いに常識を持って取り組め、的な訳だろうか。横文字はよくわからない。そのほかにもいろいろ不安はある。だが、やるしかあるまい。
そっと、顔の周りにある竹の堅い感触を確かめる。首から上の全て、四方八方を完全に覆っている。網目は細かく、外側からは隙間もなく息苦しいように見えるが、内側には以外と光も通すし、視界も悪くない。空間も出来るので呼吸も快適なのである。これは、試行錯誤した末にたどり着いた最高の被り物なのだ。面接初日は怪しまれないように衣装も揃えたが、逆にやり過ぎだったらしい。獄卒はとりあえず支給される着物を着用するように、と入寮の際に案内してくれた官吏にそれとなく言い含められた。茨城としては顔さえ隠せれば問題はないので、服装はなんでもいいのだ。
(こんな妙な格好でも働けるなんて…、本当、阿修羅様に感謝ね)
前の雇い主である阿修羅王をぼんやりと思い浮かべる。気難しい男性だったが気風がよく、曲がったことが大嫌いの剛毅な人物である。茨城が修羅界を出て地獄にて就職したいと申し出たとき、それは大反対をされたが、最後にはしかめっ面で推薦状を書き、送り出してくれた。きっと、なにかしらあの紙にそれとなく配慮してくれといった内容を盛り込んでくれたのだろう。つくづく大恩有る人物である。
(手紙を書かなきゃ。それに、しっかり頑張って働かなきゃ)
方角は適当だが、何となくこっちが修羅界だろうと言う方向に向け、茨城が合掌する。しばらく無心に祈った後、よし、と両手を握りしめて立ち上がった。改めての決意を胸に、ひとまず獄卒に関する本でも読もうと思う。室内には予め自習用の書物が何冊か備え付けられているのである。開いていた就業案内の紙束を畳んで仕舞おうとしたとき、封筒の中にもう一通書類が入っていることに気がついた。
いけない、見落としていたのか。ほかの書類と違い小さく畳まれ、黄色のカラー用紙のせいで気づかなかったらしい。冷や汗をかきながら慌てて開く。返信が必要だったらどうしよう、と素早く目を走らせると、そこにはいかにも手書きといった書体とイラストで、以下のように書かれていた。
ようこそ新入社員の皆さん!
皆さんを歓迎して、歓迎会を開きます☆
ところ:閻魔殿内社員食堂
「日時………今日!?」
開始時刻まで十分を切っていた。