第三話


 飽きた。
 唐突になんだが、もうその一言に尽きるのである。

(世の面接担当って毎日こんなことしてんのか…俺にゃあ無理だわ…)

 既に百人は越えた。しかしまだまだ終わりは見えない。こんなにぐったりしているのは枳殻とシロだけで、後の官吏はみな涼しい顔で来ては去り、来ては去りの人員を笑顔で捌いている。枳殻の緊張は最初の五人が過ぎた辺りで収まった。眺めるだけだった応募者にも、二十人目辺りから質問できるようになる。そして悟るのである。こいつら言うことが大体同じじゃねーか、と。
 皆が皆そこいらの就活本に書かれているようなことしか語らないのだ。志望動機はやる気元気熱意、長所は友情努力勝利、である。一体どこのジャンプだ。
 まぁ、必勝と書かれた常套句を丸暗記するほど、この面接に熱意と焦りがあるのだろう、それは認める。自分もかつては就活をした身だ。あの独特の倦怠感はそう何度も味わいたいものではない。だが聞かされる身となるとこんなにも堪える事になるとは知らなかった。
 そうはいいつつ、ついこの間まで同じ身の上だった己を振り返ると、あまり大差はないのである。そればかりか、彼らほどの熱意があったかも危うい。なんとなく寺子屋を卒業して、何となく先輩に勧められた極卒試験を受け、何となく受かったのでここにいる。その辺、新卒は有利ということだろう。己の幸運と両親に感謝だ…、と、こんな感じですぐ思考が右往左往するほど、飽きていた。
 自分なりに熟考して押していた判子も、だんだんと御座なりになってきている。その自覚があれど、AとBを比べてどちらがよいのかと問われ、答えられるほど両者は拮抗していないのだ。何となくさっきの人のほうがイケメンだったな、とか、あの人とは話が合わなさそうだな、など、そんな程度の理由でぽんぽんと判を押している。どうせ、己の意見など考慮の一端にしか過ぎないだろう。鬼灯も、参考にするかどうかはわからないと言っていた。そう思い切ることにして、目の前で景色となりつつある光景をぼんやりと眺めていた。

「はい、質問は以上です。どうもありがとうございました」

 結果は追ってご連絡致します、と繰り返される鬼灯の台詞は二百を越えても淀みない。男性は萎縮し、女性は頬を染めて退出する有様だ。第一補佐官殿はその容姿も申し分ない。この人に弱点なんぞあるんかな、と机に行儀悪く肘を突く枳殻の横で、同じく盛大に飽きたらしいシロがべちゃーっと上半身を投げ出し、長い溜息を吐いた。尻尾は鉛のように垂れ下がっている。

「はぁ〜飽きちゃったよぉおお、面接って大変だねぇー」
「そっすね、でもそれを口に出しちゃまずいんじゃないすかね」
「俺ね、途中から次ぎ入ってくる人の性別を予想して、それが当たってたら合格にするって言うルール作っちゃった!」
「はぁ、どんなもんすか」
「いまんとこ全敗〜」

 素人二人が下らない会話を交わす傍ら、本職の方々は僅かな休憩を取っている。ペットボトルのお茶に口をつけながら、流石に鬼灯が咎めるように鬼と犬に顔を向けた。

「二人とも、不謹慎ですよ」
「あ、はい、すんません」
「ごめんなさーい…」

 素直に頭を下げる二人に頷き返し、飲み終えたペットボトルの蓋を閉めながら鬼灯が続ける。

「とはいえ、私も疲れましたね。覚悟はしていましたが、毎回この行事には骨が折れます」

 言いながら首を回す鬼灯からすごい音が鳴り響き、その疲労を物語る。周りの官吏も似たり寄ったりだが、なんのなんのと苦笑の呈だ。人生の先輩は偉大だ、と新米は静かに感動する。だが、心と身体は裏腹である。

「なんか刺激っつーか、面白みがあれば目も醒めるんスけど」
「本当だねー、俺もなんか眠くなっちゃったよぉ」
「はいはい。二人とも休憩終わりですよ。しゃんとして」

 はーい、と生返事しつつ、一鬼と一匹がのそのそと身を起こす。揃って資料を手繰り寄せ、御座なりに筆記具を握った。その様子をしっかりと見納めてから、女性官吏が苦笑しつつ扉を開けて呼びかける。

「お待たせ致しました、次の方どうぞ」
「―――はい」

 遠くから、かすかに返事が返る。女性の声だ。途端、眠たげだった枳殻の目がぱちりと瞬いた。何となくだが、今の声は美人の声だ。しかも多分まだ若くてかわいい娘さんだ。可だ。問答無用で可である。そしてぜひとも黒蠅地獄でおいでませである。
 背筋を伸ばし、わくわくしながら相手を待つ。エスコートの女性官吏が戸外に立ち、指を揃えて扉の中へと促している。ちなみにシロはほぼ寝ている。
 ひっそりと影が射し、着物を捌くつま先が見えた。

「失礼致します」

 やがて、鈴のなる声で入室を果たした人物は、まず入るなり全員に向かって一礼する。促されるまましずしずと中央へ進み、それは美しい所作でまた一礼をし、許しを得てから着席した。

「この度、御社求人にご応募させて頂きました、茨城、と申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」

 聊か堅苦しいが、淀みなく、美しい挨拶である。緊張の所為か、可憐な声音もよく聞けば震えており、それがまた初々しく、可愛らしい。そして言葉の終わりとともに、再び腰を折るのも忘れない。着席したままの難しい礼を完璧に決め、まるで所作の見本のような隙のなさ、育ちのよさを感じさせる流麗な仕草である。お嬢様なのかな、と枳殻はぼんやり思った。しかし、そんなことは大事の前の小事である。

「…虚無僧?」

 虚無僧である。
 年頃の娘らしいその人は、頭にすっぽりと俵のような竹の深編笠を被り、白地の僧衣に鬱金色の袈裟を架け、真新しい足袋と草履を履いた足を可愛らしく揃え、行儀よく腰掛けている。さすがに腰に尺八はないが、それ以外には非の打ち所がない、完璧な装備だ。もちろん、全く顔は見えない。虚無僧だからである。

「…被り物はありなんですか…?」

 動揺する枳殻が思わず隣の官吏へ耳打ちした。問われた彼も面食らってはいるようだが、頷きつつ手元の資料を指し示す。

「僕も今知ったけど…ありみたいだね、履歴書の写真もそうだし」

 言われるなり勢いよくぺージを捲り、果たして該当のページを出せば、確かに履歴書の写真も虚無僧である。

「え、ちょっ、これで書類選考通したんすか!? 一体だれが…、」

 言い募ろうとして、枳殻の言葉尻はしぼんだ。そんなものは一人しかいない。
 張本人はまじめな顔で早速面接に取り掛かろうとしている。

「茨城さん、ですね」
「あ…申し訳ありません、いばら"き"、でございます」
「県民の人は"ぎ"って言うと怒るよねぇー」

 最後の台詞は目覚めた犬だ。最初驚いていたようだが、流石は獣、切り替えが早い。書類を掴んだまま、鬼灯が少し首を傾げた。 

「おや、茨城県出身の方ですか」
「あ、いえ、生まれは近畿でございます」
「ああ…、あちらにもありましたね、漢字は違いますが同じ地名が」

 大変失礼致しました、"ぎ"の方が言い易いんですよね、と鬼灯が肩を竦め、他の官吏が確かに、と苦笑を漏らし、場の緊張感はいくばくか霧散する。それでは、と仕切りなおした鬼灯が質問を再開する辺り、まるで普通の面接である。
 そう、普通の、先程までと何も代わらない、面接だ。

「それでは、志望動機をお聞かせください」
「はい。…恥ずかしながら、わたくしは今まで女の身に甘え、きちんと就職したことがございませんでした。ですが、それではいけないと常日頃思っていたところ、御社求人を知り、分不相応だと思いつつもご応募させて頂きました」
「今回の採用はあくまで非正規雇用限定となります。場合によっては正社員登用もありえますが、現時点では全て未定です。安定した職位を望まれないのですか?」
「確かに終身雇用はとても魅力的です。ですが、わたくし自身がまだこう、と人様に主張できる技術や信念を持ってはおりません。立場に固執するわけではありませんが、獄卒、という責任感を伴う事業に従事するだけで、わたくし自身に自信が生まれるのではないか、というところも重視しております」
「なるほど。特技は何がありますか?」
「炊事や整頓、などでしょうか。破れた物を繕うなどもよく行っておりましたので、大体のものなら直せるとおもいます」

 時折考えるそぶりすらあれど、すらすら、と形容するにふさわしい、淀みない受け答えである。先の応募者といっている内容はさほど相違ないのだが、何故か真に迫るものがある。感情は言葉を力づけるのだろう。それだけ、彼女には誠意と熱意が感じられた。

「では、ほかに聞きたいことがある方はどうぞ」

 鬼灯が促し、二人ほどが恐る恐ると手を挙げる。咳払いから始まり、かけられる問いは希望の部署はあるか、長所と短所はなにか、勤務開始はいつ頃から可能か、など、これもやはり先ほどから寸分違わない流れである。枳殻の目の前が徐々に暗くなってきた。
 おい何故誰もつっこまない。

(これは何か、俺を試しているのか? それとも空気を読めということか? 言いづらいことは全部新人がいうべきというあれなのか? それとも逆に触れちゃいけないことなのか? おいどっちだ! つかなに考えてんだあの鬼神!)
「はい、ほかに質問のある方」
「はーい!おれおれ!」

 尋常でない冷や汗を垂れ流す枳殻の横で、鬼灯の問いに眠たげだった犬が元気よく主張した。黒の肉級がばっちり見える大上段の構えである。鬼灯が頷きながら手を差し伸べる。

「どうぞ、シロさん」
「質問! 何でそんな格好なの!?」

 ド直球である。

「………」
(お、黙ったぞ…)

 助かった、と枳殻が思ったのも束の間、それまで真摯に答えていた娘の声が続かず、場には痛いような沈黙が降りた。誰もなにも言わないまま、彼女の動向を見守っている。少しばかり、身体に見合わぬ大きな深編笠をうつむけて、やがて娘はか細く息を吐く。

「申し訳ありません。実は…訳あって人様にお見せできるような面ではないのです。二目と見れぬ有様で、このような形をしております」
「えー、それってどんなの? ちょっとだけ見せてよ!」

 犬とは古今東西、全く空気を読まない生き物である。枳殻は妙な吐き気を覚えた。
 案の定、顔は見えないながら、明らかに困り果てた様子で娘が萎縮し、両手をオロオロと胸の前で振っている。

「あの…ほんとに、」
「いいじゃんいいじゃん!ちょっとだけ! 大丈夫、オレ誰にも言わないよ!」
「(アンタだけ見るんかい)ちょ、ちょっとシロさん、駄目ですって、嫌がってるじゃないすか彼女」
「えー」

 枳殻が窘めるのに、だってぇ、とシロが口を尖らせる。器用な犬である。

「はいはい、お二人とも静かに。女性に無理強いはよくないですよ」

 黙って成り行きを見守っていた鬼灯が、パンパンと手を打ちならしてそういった。いや俺止めた側だし、と枳殻が抗議の視線を投げる前、鬼神は茨城に向き直る。自らの肩のあたりの衣服を摘み、軽く引っ張った。

「獄卒は官服の着用は必須ですが、業務に支障のない範囲であれば装飾具の類は各々の判断に任せています。その笠はともかく、僧服は認められませんが問題ないですか?」
「あ、はい。これだけあれば大丈夫です」

 ほっとしたような様子で、彼女は両の手を握りしめて嬉しそうに頷いた。仕草もかわいらしい人である。その様子を見、無表情のまま鬼灯が軽く頷いた。改めて官吏を見渡す。

「では、ほかに質問のある方。ーーーありませんね。ありがとうございました、本日は以上です」

 その後は二百以上繰り返された台詞が続き、面接は再度終わりを告げた。面妖な娘はその容姿に似合わぬまま、再び楚々とした礼で以て、実に優雅に退出したのである。


<<<    >>>








2014 ちむ 禁無断複写転載