第二話


「中途採用? 極卒をですか?」
「はい。前々から細々とは行っていたんですがね。この度大々的に」

 淀みなく歩を進める鬼灯の斜め後ろを、やや小走りで枳殻が続く。二人は今、地獄の本部である閻魔殿にいた。
 深夜の大騒動は結局主犯に当たる先輩極卒たちが一ヶ月の減給という処分で幕を下ろした。罪状を鑑みるに、およそ甘い処分ではある。当初は更に謹慎処分を加えるのが妥当とされたが、これには旃荼処のベテラン勢が大いに反対した。理由はもちろん、夜勤が回ってくるからである。私欲が混じる主張ではあるが、無理を通してストライキに発展しては目も当てられないと、黒蠅地獄を預かる中間管理職が泣きに泣いて、結局鬼灯が折れた。どうやら、人手不足はよもやというところまできているらしい。
 そこで冒頭の会話である。起伏のない低音で鬼灯の言葉が続く。

「中途採用は中々の人気なんですよ。いつも多少の募集にたいして倍率がすごいことになりまして。応募者を篩にかけるだけでも結構な仕事量なので、あまり気乗りはしないのですが」
「この際仕方ない、と」
「ええ。ただ、採用基準と労働条件を一部変更します」
「と、いうと?」
「今回の募集は非正規雇用限定で採るつもりです」

 閻魔殿の長廊下は果てしない。それこそ現世ですら語られるほどである。多分に中華的要素が加味された外廊から臨む園生には、なにか得体の知れない植物が群生している。時折気味悪い奇声を発しているような気がするが、気のせいだろう。枳殻はなるべくそちらをみないようにしながら、ようやっと現れた突き当たりの角を曲がった。そのまま渡廊を進み、拝殿から幣殿へ移る。御殿内の天井は高く、装飾も華美ではないが質素でもない。蓮を模した釣行燈が昼間というのにぽわっと明るく灯っている。さすが本部、経費もどんぶり勘定である。アレをうちでやればぶん殴られるな、と枳殻が眺める先、鬼灯が歩みを緩めて肩越しに振り返った。

「枳殻さんは閻魔殿も久しぶりでしょう」
「そうスね、入社式と研修期間以来です。正直、暫くは来ることもないと思ってたんですけど」

 ははは、と乾いた笑い声には、言外に何故自分がここにいるのか、との意が含蓄されている。鬼灯はすれ違うほかの官吏の会釈を鷹揚にいなしながら、至極まじめな顔で言う。

「気持ちはわかりますよ。私も此処にいると時々気が滅入ります」
「まさかぁ。天下の鬼灯様が?」
「ええ。だから見回りに精も出るのです。よい気分転換にもなりますしね」
「うぐ」

 それを言われると弱い。

「一時でも環境を変えれば自然気も変わります。仮令嫌々でもよい機会と思えばいいですよ」

 やはり、官吏相手に腹芸のまねごとなど無謀である。繕うのをやめた枳殻が唇を尖らせながら渋った。

「なんで俺なんスかね。つか、やっぱ無謀ですよ。入ったばっかの俺に面接官なんて」

 その言葉どおり、彼が此処にいるのは中途採用者の臨時面接官として末席を汚すに至ったからである。過去類を見ない大抜擢では有るが、不思議なことに特に強い反対も起こらなかった。その理由については多少、心当たりがある。要するに人身御供というわけだ。ほとぼりが醒めるまでこの鬼官吏に張り付き、ご機嫌をとり、黒蠅、ひいては旃荼処の未来を救え! とまあ、こんなところだろう。上司からすれば人手不足も解消されて一石二鳥とでも考えているかもしれない。決して、能力を買われて、といったプラスの要素でない辺りが逆にありがたい。新卒に期待されても重いだけである。しかし、単純に面倒なのだ。仕事が楽になるのは有り難いが、それは上の人間が考えることであって、自分とはどこか別のところで話し合ってほしい。
 そのあけすけな思いを知ってか知らずか、相変わらず鬼灯はにべもない。

「今回の採用は主に旃荼処への人員補給です。現場の意見も取り入れたいのですよ。まあ参考にするかはわかりませんけどね」

 わからんのかい。
 回廊はようやく終わり、白亜の壁もまぶしい内殿へ入った。さすがに人通りも増える。獣も鬼も入り混じり、どこもかしこも忙しそうである。

「あ! 鬼灯様みっけー!」

 歓声と一緒に毛玉が跳んできた。そのまま頓着なく鬼灯の足元へぶつかり、跳ね返ってまた跳ぶ。思わずといった呈で足を止めた鬼灯がひっくり返る寸前の毛玉をひょいっと持ち上げた。そこでやっと、毛玉が犬と判別できる。

「走ると危ないですよ、シロさん」
「うん、ごめんなさい! でも俺走るの超すき!」
「犬ですからね」

 恐れ多くも第一補佐官の腕の中、ハッハッハッハッと舌を出しての大興奮である。何処からどう見ても白い犬だ。紅白の捻り紐をたすきに掛け、背中で大きく蝶結びにしている。俺というあたり、オスらしい。彼も官吏かな、とぼんやりと眺める枳殻の視線に気づき、件の犬が振り返る。

「あれ、見かけないヒトだね?」
「あ、どうも、黒蠅から参りました枳殻と申します」
「彼は一時ではありますがこちらで勤務していただくことになった方です。枳殻さん、こちらはシロさん。等活地獄にお勤めの方です」

 よろしくぅ!とご機嫌な犬が吼える。その彼を腕から降ろし、鬼灯が歩を進めながら、思いつきのように手を打った。

「そういえば、シロさんも中途採用でしたね」
「うん!三ヶ月間だけ契社で、その後本採用してもらったよね、鬼灯様に」
「え、まじすか」

 採用の権限って結構独断? とちょっと衝撃を受ける枳殻の前で、鬼と犬がすたすたと進んでいく。

「これからお仕事?」
「はい。中途採用者の面接があるのです。結構な人数が集まってるらしいので、長く掛かると思いますよ」
「そっかー、残念」
「シロさんは非番ですか?」
「そう! 鬼灯様がお暇なら遊んでもらおうと思って」
「ではちょうどいい、一緒に面接してみますか?」
「わぁい!行くぅ!!」
「オイオイオイオイまじすか!? 軽くね!?」

 面接ってそんなもんなの!? というまっとうな突っ込みも何のその、彼らは仲良く談笑しながら進んでいくのである。






(此処が、閻魔殿…)

 恐らく石灰で出来た緩やかな階段の先に、両角を持つ瓦屋根の大きな建屋がうっすらと見える。正門は開かれ、いかにも鬼といった鹿爪らしい顔をした門番が両脇を固めている。だが、出入りでごった返す人々の誰一人として止められている様子はない。皆忙しそうだ。何かを顔に当てながら進む人や、立ち止まったまま熱く口論を交わす人などが様々に溢れていて、中々に進みにくそうだ。
 階段をそろそろと上っていく。時刻に余裕はあるものの、迷ってもよいことはないだろう。なるべく早く面接会場に入り、順番が来るまで隅で大人しくしていたい。
 中途採用試験にあたり、簡素だが案内状と地図は受け取っている。それによれば、正門を入って右、道なりに進んだ先にやがて見えてくる東屋とのことだ。恐る恐る門を潜る。ちら、と門番が視線を寄越した。思わず肩が跳ねたが、特に何も言われずにそのまま無事に中へ入る。ほっと息つくまもなく、道を進むにつれ、先ほどの官吏の非ではない不躾ではない視線が寄越される。ちらりとみるもの、ぎょっと立ち止まるもの、二度見するもの、様々だ。こういった好奇の目はやはり、何度享けても慣れないものだ。

(でも、もう、決めたことですもの。しっかりしなければ)

 俯きかけた顔を上げ、歩みの速度を上げる。






 「おー、思ったより盛況ですね」

 会場となる東屋に着くなりの、枳殻の感想である。面接の場らしく、小声で交わされるやり取り以外は少ないかと思いきや、皆々割りと自由に言葉を交わし、中々に騒がしい。老若男女入り交じり、鳥や獣も様々にいる。もともと規定としてた採用基準を今回だけ変えたというが、枳殻も基本的なこと意外はあまり詳しくは聞いていない。いわく、非正規雇用であること、三ヶ月程度の試用期間を設けるが、全員が終了とともに本採用とはならないこと、場合によっては延長もし、勤務態度によっては三ヶ月で勤務終了となる場合もあること、などだ。民間の中途採用はどこもこの程度だろうが、獄卒は曲がりなりにも公務員である。最初は厳しくて後はぬるいのが不動の神話だったが、此処を変えたということだろう。
 先ほど、鬼灯から判を渡された。丸印が二つ、それぞれ可と不可とある。一通りの質疑応答が終了した後、応募者の履歴書のコピーへこれを押せといわれてある。「よいと思ったものは遠慮会釈なく採用しろ」とのお達しで、逆を返せば、ちょっとでも引っかかれば落としてよいということだ。恐らく、枳殻の意見はあまり当てにしないのだろう。

(そうじゃなきゃ気楽過ぎるだろ)

 件の官吏は募る人垣を掻き分け、一足先に奥の小部屋へと入った。枳殻の先輩に勝るとも劣らないガタイの癖に、流れるような身のこなしの男である。シロというあの白犬は気のいい性質なのか、先ほどからちらちらと枳殻を振り返り、扉を開けたままの小部屋の前で待機してくれている。あわてて小走りで近付き、戸を閉めながら、枳殻はぺこりと頭を下げた。

「すいません、わざわざ」
「いーよぉ! 面接とかって緊張するよねぇ!」
「はあ…シロさんって、面接官の経験あるんですか?」
「ないけど、楽しみ!」
「…そうすか」

 いいのか、ヒトの人生を左右する面接が、これで。
 不興を買う覚悟で辞退すべきかとも悩むこと一分。やめた。どう考えても己に落ち度はない。良心の呵責もあるが、恨むなら割と適当なあの官吏を恨めばいいのではないか、と枳殻は深く考えることを放棄した。
 さて、そうこうしている内に場は整えられた。小部屋は二十畳ほどの真四角で、先に入った鬼灯、シロのほか、他の面接官だろう官吏が5人ほどこまごまと働いている。奥の壁際に絹張りの白布がかけられた長卓が並び、向かい合うようにして割と豪奢な椅子がぽつんと置いてある。飴色の曲線も美しく、濃い翠色の背張りが目に艶やかだ。
 
「応募総数は?」

 鬼灯が椅子にかけながら訊くのへ、それぞれの席へ書類を配っていた中年の鬼が丸眼鏡を押し上げながら応えた。

「えーっと、37,564名ですね」
「おお、皆殺し。よい数字ですね」
「(いや不吉だろ…) って、え、そ、そんなにいらっしゃるんですか?」

 びびった枳殻が思わずといったように声を上げると、ペットボトルのお茶を配っていた女性官吏二人がくすくすと笑った。

「応募総数はね。実際は書類選考があったから、ここに来るのはもっと少ないのよ。えっと…何人だったかしら?」
「274名、かな。だいぶ絞られたわよね」
「鬼灯様が厳しいんですよ」
「え、そうなんすか」

 意外だ。
 振り返った枳殻の先、鬼神は配られた資料を捲りながら肩をすくめている。

「何でもかんでも、というわけには行きませんからね。それなりに篩にはかけますよ。後は縁起がよい数字かどうかです」
「え?」
「鬼灯様ってゆるキャラも好きだよねー」
「…!?!?」
「冗談ですよ、たまたまです」

 動揺しているのは枳殻だけで、あとの数人は朗らかに笑っている。一切笑えないのだが、同じように真顔で冗談を言い切った鬼灯が目線をあげずに続ける。

「応募規定は従来からほぼ変えず厳しめに設定したんですが、よく読まずに応募してくる人もいるのですよ。そういうのを撥ねた結果です」
「え、なんか特殊なんすか?」
「色々ありますが…、特殊なのは"前職の上長より一筆推薦文を得られるもの"とかですかね」
「へぇ…確かに変わってますね」

 福利厚生以外に提出する書類もあるのか。と、新卒らしく目を丸くしている枳殻へ、次いで椅子へ書けた前述の中年鬼が優しく微笑んだ。

「割とね、いないんだよ。前職の上長以上から文句なく推薦を得られる人って。それが出せるだけで人となりはきちんとしてるってことだからね」
「はぁー、そうですよね。変な辞め方とかしてたら、それこそ喧嘩別れだろうし」

 やっぱり、なんだかんだできちんと考えているのか。
 ちょっと安心した枳殻も促されてシロの隣へ腰掛ける。もちろん彼ら二人は並んで末席である。シロは急遽誂られた丸いすに起用に座っている。前足を机に乗せ、尻尾はスクリューの如く高速回転中だ。

「楽しみだねぇ!」
「う、そうスね…いや、でも、ちょっと緊張してきた、かな」

 胃の辺りを押さえる鬼と鼻歌を歌う犬、対照的な二人が言葉を交わしたのを皮切りに、エントリーナンバーワンが入室してきたのである。
 

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