MONSTER


 27.ぅゎょぅι゛ょっょぃ


 その後の行動は迅速になされ、病室は仮の拷問部屋に成り代わった。いまこの場に居るものは全て調査兵団員だが、病棟は駐屯の管轄だ。本来、行使できる権限の一切はそちらにある。よって先程まで詰めていた多くのものは退室を促され、残った者は少ない。扉横に二人、そこからやや内側にまた二人、その片方はペトラだ。中央にリヴァイと、がいる。
 二、三殴られた後に床に転がされた少女は特に拘束などはされぬまま、今は手足から順に嬲られている。骨は折られず、出血もほぼないが、だが確実に急所を突かれ、打たれている。骨や内臓にもすぐには響かないがじくじくと尾を引く痛みが残る、拷問特有のいやらしい殴打だ。少女は、先程まで饒舌だった唇を閉じ体格に勝る大人にいいようにされている。しかし、一応悲鳴は上げるものの狙った効果は見られていない。

「…見上げた根性だが、」

 投げ出された薄い大腿に踵を落とし、ついでに捻りながら、リヴァイが呟く。短い悲鳴が上がるが、またすぐ消えた。消耗し始めたらしい少女の荒い息遣いが室内に木霊する。リヴァイが小さく舌を打った。

「そうやってだんまりを決め込んでりゃどうにかなると思うか? くだらん」

 問いに対する答えはない。床に突っ伏したまま、身体をくの字に曲げた少女が僅かに咳き込んでいる。
 リヴァイ以外、不動である。控えている人員は最初こそ無感動に構えていたが、時間が経つにつれ、目に入る光景に気圧されたらしい。生唾を飲み込み、リヴァイが何かしら動くたび身体に力を込めている。先ほどから繰り返されている絵面は一方的な暴力だ。相手が年端もいかぬ少女となれば尚の事、頭では理解していても、気持ちが追いつかない。淡々と痛みを施してゆくリヴァイに追随するでもなし、かといって静止できるでもなし、歯を噛み締めながら事の成り行きを見つめるだけになる。徐々に躊躇いの色が濃くなってゆく気配の中、兵士長の行動だけが淀みない。

「もう一度訊く」

 殴打に効果なしと見たか、投げ出されていた指先を踏みつけながら言う。

「ルカを殺したのはお前か」

 踵が、小枝のようにか細い人差し指の骨を探る。は黙ったままだ。一拍をおいて、いっそ拍子抜けするほど軽い音が響いた。悲鳴が上がる。

「あと九回訊く。好きなときに言え。それが終われば次は脚だ」

 抑揚のない声が少女のうめき声の合間に落ちる。ごく、と誰かの喉が鳴った。もがくをものともしないリヴァイの靴裏が中指に掛かる。

「当ててやろうか、クソガキ」

 ペギッ、と次の音が響く。軽い音だ。伏せたままの小さな身体が魚のように跳ねる。

「このまま耐えりゃ、そのうち時間切れ…、駐屯のどいつかが割って入るだろうとか、大方そこらを狙ってるンだろ。生憎だな。お前も知ってのとおり、ここは隔離病棟だ。今はもう誰も居ない。唯一入っていた奴が死にやがったからな。こんなところに来る暇人は俺らくらいのもんだ」

 抑揚に欠けたこの言葉は半分が本気であり、もう半分ははったりである。確たる証拠もないまま、帰還兵でもある未成年の少女に拷問紛いの尋問にかける、それも管轄外でだ。この行動が少しでも知れれば忽ちに騒ぎになる。少女の言葉どおり、先の作戦における帰還兵はシーナ王都民に順ずる特権が付与される、これは揺ぎ無い事実だ。その上で、軍人殺しという罪がどこまで食い込むのか一切が不明瞭である。
 つまり、これを逃せば次の期はない。ここである程度の結果を出さねば、追求は万に一つも不可能になる。
 リヴァイの軍靴が再び動いた。蜜蝋で磨かれた革が鈍く光る。

「カルノ・コンフューザを知っていたな」

 角度からして折りにくいのか、靴裏が探るように蠢く。

「お前はあの気狂いがそうだと知っていた、何がどうしてあの不潔野郎が名を騙っていたかもだ。最初に毒殺されたやつらも、お前たちは何者かも、お前は知っている。答えろ」

 面倒になったのか、どうか。台詞の最後に僅か持ち上げられた足が勢いよく振り下ろされた。それは手の甲に落ちる。今度は屋根瓦を踏み抜いたときの音だ。流石に、絶叫が迸る。その声音に居並ぶ班員の肩が跳ねた。躊躇いがちに目配せが交わされる。その時、少女の悲鳴の尾が激しい咳き込みに変わった。踏まれた手をそのままに突っ張らせ、身体をくの字に曲げる。伏せた額を床に擦り付けたままかすれた声が響く。背を引き攣らせ、器官を抑えているのかと思ったていた居並ぶ一同が顔を強張らせた。
 笑っている。

「…何かと思えば、」

 が顔を上げた。脂汗の浮かんだ額に短い前髪を張り付かせている。

「ぜんぶあんたの勝手な想像じゃない。わたしが、何を知ってたって? 知らないわよなにも。あいつ、カルノって名前なの? 奇遇ね、ともだちと同じ名前だわ」

 まるで白々しい言葉が、歌うように幼い唇から流れ出る。声も出ない一同が見下ろす中、リヴァイの脚がの掌から退いた。かと思えば霞む速さで翻り、伏せる少女の身体を蹴飛ばす。加減はされたらしい。仰向けに転がった少女は腹を押さえて苦しげに唸る。しかし、やがて再び笑い出した。咳き込みながらリヴァイを見上げる。

「なんて言って欲しい? その通りに、言ってあげる。あんたの中にもう答えがある。そこに、わたしを、当て嵌めたいだけでしょ。…言葉は無意味だわ」
「"だが力でもある"」

 笑い声がとまった。口元は孤を描きながら、落ち窪んだ瞳がリヴァイを見る。人間味を刮げ落とした視線がそれを迎えた。交錯する。

「お前らの祈りの言葉だな」

 の笑みが一層深まった。

「わたしはなにも知らない」

 再び、リヴァイの足蹴が飛ぶ。ほぼ肉のない少女の身体は殴られるたび硬い音がする。続けざまに三度爪先が翻ったあとでもは薄笑いを保っていた。

「…当てて、あげよっか、」

 口端から際限なく垂れる涎を拭いもせず、息も絶え絶えに、しかし唇が動く。

「焦ってる」

 重い靴裏が今度は肩口に降りる。踏みつけられたまま、が言う。色味の消えた瞳同士がぶつかり合う。

「確信もないのにこんなことしてる。だから、わたしが音を上げるのを待ってる。時間もないんでしょ。馬鹿じゃないの? わたしはなにも知らない。本当に、知らない。無駄、」
「黙れ」

 ゴリッ、と踵が鎖骨に落ちる。溜まらず仰け反るの二の腕辺りを踏みつけ、捻る、消耗した荒い息に悲鳴を混ぜながら、しかし口端は微笑んだままだ。リヴァイの顔が更に翳る。

「…兵長、」

 やおら声を上げたのは、それまで控えていた兵士の一人だった。いかにも屈強そうな体つきの彼は顔面を蒼白にしながらリヴァイとを交互に見る。
 視線は油断なくに落ちたまま、なんだ、と平坦な声が返った。

「その子供の、言う通りかもしれません」

 返事はない。口にした男が身を乗り出す。

「そいつ、確かに正気じゃねぇ。でも子供だ。反撃だって出来やしないじゃないですか。あんな目に遭やぁ、イカレちまうのも仕方ないでしょう。ティランの奴が死んだのが事故かなんかだったら? 俺らがやってンのは意味なくガキを甚振ってるだけだ」
「だから?」

 端的な返答に詰め寄った男の顔が更に青くなる。見兼ねたペトラが言い募る前、男が足を踏み鳴らした。

「本気ですか!? 子供ですよ!? そもそも子供に出来るわけがねぇ! 一連全部をこのガキがやったってンなら、一人で二十人以上殺したってことだ! ありえねぇそんなこと!」

 きゃはははははははは、とがまたけたたましい笑い声を上げた。仰向けに寝転がり口端を唾液で汚したまま哄笑する。リヴァイが腹を蹴りつける。それを見て、また頭を抱え男が叫ぶ。

「俺には無理だ、とても、とても耐えられねぇ、郷里にこいつと同じぐらいの娘がいるんだ、それを、こんな、」
「バズ!」

 ペトラが飛び出し、取り乱す男の肩に手をかけた。彼女の顔も青い。他の面々は固まったまま動けない。咳き込みの混じるくぐもった笑い声がしつこく木霊する。ふいに戸外が騒がしくなった。押し問答をする声がしばらく続いた後に、殴るように木戸が叩かれる。

「貴様ら一体何をしている!? ここを開けろ!」
「どういうつもりだ!」

 轟く怒鳴り声に更にバズが呻いて縮こまる。鳴り止まないノックに被せ、ドアノブが激しく回る。駐屯の連中か、と引き攣った顔の一人が呟く。

「思ったより早いな」
「どうする、」
「外の連中は何してやがったんだ」
「今そんなことを言ってる場合じゃないだろ!」
「ぁあ!? じゃあどうするって言うんだよ!?」
「静かにしなさい!」
 
 俄かにがなり合う団員達をペトラが怒鳴りつける。その間も、忙しない戸外のやり取りとの哄笑は続いている。取り成しはせど補佐の彼女も二の句を告げない。なにも言わずに状況を見回して後、他の面々と同じく不動のリヴァイを見た。
 彼はじ、とを見下ろしていた。彼女も、笑いながらリヴァイを見ている。弓形に細められた目に光がちらついている。

「…誰か、こいつを起こせ」

 開けろと繰り返される怒鳴り声などまるで聞こえていないような、静かな声だった。抑揚のない命令にペトラでさえ咄嗟に動けない。長めの前髪が落ちかかる首がゆるりと巡る。

「誰でもいい。早くしろ。跪かせるだけでいい」

 が笑い声を収めた。しかし唇は引き上げたまま、薄目を開けて頼りない呼吸を繰り返す。居並ぶ班員同士の目配せが飛んだ。やがてペトラが頷き、怯え続けるバズと共に下がる。ほか数人と共にやかましく鳴り続ける戸口を押さえる役に回り、残った一人がに進み寄った。右手の殆どを折られた少女を恐々と抱え起こし、後ろ手を取りながらリヴァイを見る。
 ほぼ正座させられた少女の旋毛を見下ろし、リヴァイが片手を取り上げた。

「ひとつ、謝らなきゃならんな」

 の反応はない。

「カルノ・コンフューザが自殺した。…ありゃ嘘だ」

 ピク、との肩が揺れた。途端、分厚い掌が短い髪を鷲掴みにする。ついに扉には体当たりが開始された。固いもの同士がぶつかり合う身の竦むような音の中、強制的に上向かされた少女の顔から笑みが消えていた。ただひたすらにリヴァイを見ている。その目だ、と少女を掴む男が言った。

「お前のその目。最初からずっとそうだ。あの馬鹿とうろうろしてやがった時も、俺を見たときも、クソ岩のことを訊いた時もな。何よりも雄弁だ。こいつは正気を失ってなんかいない。見ろ、」

 髪を掴んでいるのとは逆の手で、リヴァイが少女の顎を掴んだ。折るのも外すのも厭わない手付きで、言葉もなく控える配下へ見せ付ける。

「これがガキのする顔か?」

 脂汗の浮かんだ小さな顔が苦しげに歪んでいる。その目はただ、リヴァイだけを見ている、虹彩に光のない、穴のような目だ。虚ろに塗り込められた中、だが確かに何かが燃えている。底冷えするほどに冷たく、叫び出したくなるほど熱い。その炎には、この場にいる全員に覚えがあった。剣を振るっても、肉を抉っても、骨を折り腱を断ちすり潰し噛み砕き殺しても殺しても殺してもまだ足りない。身を捩るような怒りだ。

「…あいつはどこ」

 ぶち破られそう扉の悲鳴の狭間、押し殺したような声が囁く。リヴァイが小さく首を振った。

「さあな」
「どこ」
「言うと思うか?」
「どこなの?」
「しつこいぞ」
「どこだって訊いてんだよ!」

 が犬歯をむき出しに怒鳴った。リヴァイはなにも言わない。少女の荒い呼吸と戸外の喧騒だけが室内を歪に切り裂いている。 

「なぁ、クソガキ」

 やがて、リヴァイがを掴んだままの腕を持ち上げた。小柄な少女の身体がいとも容易く宙に浮く。足がつくかつかないか、その位置で止まった。が僅かに呻く。

「ここにはお前と、俺たち調査兵団しかいない。お前が無実を叫ぶなら審議所にぶち込まれたときに覆せ。今は本音を言ってみろ。胎に溜めてるもんがあるんだろ。なにがそんなに憎い?」

 ゴヅッ、と少女の米神に拳が入る。今度、加減はされていない。激しく傾いだ少女の頭から汗が飛んでゆく。

「お前は何がしたい」

 ガツッ、ガツッ、と堰を切ったように拳の殴打が続く。肉を打つ音より、その下にある硬い骨を砕くかのような音だ。繰り返し繰り返し、振り下ろされてゆく。額、頬、耳朶、米神、顔を慮ることはやめたらしい。片っ端から叩き込まれてゆく。やがて、見る見るうちに蒼白だった顔が赤く腫れ出した。もう見る影もない。悲鳴も止んだ。とどめのように続けざまに二発、頬と下顎に拳がはいる。勢いがありすぎたのか、の身はリヴァイの手を離れ宙に投げ出された。もんどりうって地に落ちる。受身も取れない厭な音が轟いた。追撃はしないリヴァイとその他の面々が見守る中、うつぶせに落ちた少女はうめき声も上げずに倒れ伏した。
 ほぼ同時に、ついに扉が蹴破られた。蝶番ごと抉り取られた木戸が室内側に倒れこむ。咄嗟に仰け反った調査兵団員達の鼻先を掠め、倒れた樫の木戸を踏みつけながら、現れた面々は腕章の薔薇を散らす勢いで腕を振り回す。

「これはっ、一体どういうことだ!? 説明してもらうぞ貴様ら!」

 乗り込んできた人数は三人と少ない。着衣の乱れ具合と、廊下側で何人かが蹲っているのを見るに、戸外の人員とある程度やりあったらしい。チラ、と一度リヴァイが目を遣ったが、視線はすぐにまた倒れ伏すに戻された。少女はピクリとも動かない。激昂する何某かががなりながら彼に近付こうとするが、残る班員がそれを遮った。押し問答が始まる。わんわんと、大小入り混じる怒鳴り声が室内に反響する。わんわんと、







(―――耳鳴りがする)




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