MONSTER


 15.おしゃべりクソ野郎


 領土内の人工肥大における統治の懸念事項は多岐に渡る。もちろん、単純に人口に対しての食糧供給が追いつかないということが第一だが、そこから派生する諸々の問題についてこそ管理層の議論は尽きない。
 喩えるならば、表面張力だ。コップの中に注がれた水のように、限られた枠内からはみ出さないように、お互いに引っ張り合い、押し合いへしあい小さくまとまろうとする。一見して、ローゼ内はさほど逼迫した環境には見えない。三分の一の領土を失ったとはいえ、空はあり、川や山野も十分に点在する。しかし、多めに見積もってマリア市民の一割が捕食されたとしても、実質ローゼ内の人口倍率は1メートル四方の中に三人の人間が生活している計算になった。これはまごうことなき異常事態である。
 このまま、唯々諾々と手を拱いたと仮定する。するとまず、管理配給が絶たれるかもしれないという噂が何処からともなく流れだす。それはまことしやかに人々の足元を撫で、這い、ただでさえ閉塞的な雰囲気を更に重く押し込めて行く。商店や生産者が食料品を出し渋るなどはかわいいもので、やがて、そこに付け入る不届きものが現れるや、優先的に食料品を手にすることができるなどを嘯く詐欺や、貨幣の代わりとして配給券の売買などが横行しはじめる。そうなるともう、管理側での統制は武力行使以外では困難となり、略奪や暴動などの大規模な騒動へ発展するのは時間の問題となる。為政者としてはなんとしてでもこの前段階でくい止めなければならない。

「作戦決行は三週間後を予定している」

 曇天の下、私語の慎まれた駄々広い会堂中に物々しい音吐がひどく響く。声の主はそれきり集団の反応を見極めるかのように口を噤んだ。直立不動の姿勢を覆う糊の利いた軍服には銀糸で盾に一角獣の紋章が縫いとられている。
 季節は一足早く雨期に入ったらしい。先日から、どうにもはっきりとしない薄暗い日々が続いている。針のような小雨は先ほどあがったが、つかの間の小休止に過ぎないことは頭上を見れば明らかだった。鈍重な雲が低く垂れ、肌寒くもぬかるむ湿気が広い室内にも忍び寄ってくる。その空気の中、三兵団総統にあたるダリス・ザックレーを欠いたままこの妙な軍議は火蓋を切った。名代に当てられたのは先に発言した男、憲兵団師団長ナイル・ドークである。身分的には上長に当たるドット・ピクシスも臨席するが、彼はこの場においてはあくまで駐屯兵団司令という立場を崩さず、中央利権を牛耳る憲兵そのままの姿勢に唯々諾々と耳を傾けるだけだった。
 口火を切った男は視線だけでかわされるささやかな団員同士の探りあいを見つめつつ、徐に唇を開く。

「今更いうまでもなくお気づきかと思うが、先頃内地にて発生した混乱により多忙を極め、ザックレー総統は本会議を欠席される。仔細は後ほど私が纏めて報告するように仰せつかった為、僭越ながら取りまとめも私が行うが、議論はあくまで公平に行いたい。各自、秩序を乱さない程度に適宜発言は許される。可能な限り疑問があれば挙手を願う。では、早速議題に移りたい」

 言い切り、各兵団から出席する錚々たる顔ぶれを眺め回してゆく。その後に一度頷き、棒の通ったように隙ない姿勢を更に正した。

「諸氏に於いてはすでに聞き及んでいる通り、本作戦は駐屯、調査、そして我々憲兵の三兵団合同で行われる目下最重要任務になる。展開規模も大きく、内容による民衆の弾劾も一層強くなることが容易に予想される。よって、本作戦執行下に於いては王命における特別権限が付与されることが許可された」
「特別権限?」

 何某かの声が飛んだ。挙手を求める端からの無粋な飛び声に一時ナイル・ドークの視線は鋭く宙を舞ったが、やがては再び何処とも知れぬ前を見、ただ深く頷いて返すのみである。

「王政における警察権限を強化したものと理解していただければ問題ない。詳細は後々語るとして、問題は我々各兵団が携わる内容になる」

 ナイルの視線が動き、寝入るかのように瞼を下ろしたまま、両の腕を組んで座り込むピクシスを見る。その隣に並ぶキッツ・ヴェールマンへ視線を流しながら、再び唇を湿らせた。

「作戦は大きく分けて三層に分類される。徴兵、出撃、内部保全だ。各兵団の持ち回りから鑑みても、下手に兵団同士で相互補完を行うのではなく、三層それぞれ独立した任務であると断じて同時に執り行うのが上策ではないかと考える。たとえば駐屯であれば…、」

 指名されたと見るや、キッツの視線がやおら鋭くなった。髭の濃い顔つきをまっすぐに直立するナイルへ向ける。

「マリア、ローゼ、二層の警邏任務を担当する有利さを用い、領土を圧迫する難民を速やかに徴収、出撃体勢にまで整えるのが一策」
「馬鹿な、」

 にべもなく、即座にキッツが吐き捨てた。几帳面な彼らしく律儀に挙手しながらの弁である。背後に居並ぶ駐屯兵団員からも僅かなざわめきが立ち上る。

「人員の召集ですと? マリアからの避難民はこの一年で既にあらゆるところに散逸している。それをすべて引きずり出せとでも? 非現実的だ!」

 ナイルが無表情のまま首を振った。

「先ほど申し上げた、本作戦下のみに適用される特別権限はここで行使される。王命により、領土奪還作戦の名の下に施行される軍属の行為は必要十分と看做される。詳細はいうに及ばないだろうが、要するに、任務それ自体を遂行するにいかなる障害も発生しないという風に考えていただければいい。…レイ、」
「はい」

 語尾は、どうやら傍らに控えていた男を呼びつけるものだったらしい。静かに返事を返し、人影が暗がりから一歩前に進み出てくる。年齢不祥の、見るからに憲兵所属らしい優男である。長めの栗毛を背に流し、痩せぎすの顔に鼈甲縁の眼鏡を載せている。一斉に視線を投げかけてくる集団をものともせず、捧げ持った紙束ごと、男は綺麗に腰を折った。

「憲兵団内中央作戦司令所属、ギュルヴィ・レイと申します。末席にも至らぬ身で発言を乞う事をお許し頂きたい」

 言いながら、人好きする笑みで矢庭微笑んでみせる。そのまま、彼は見えないほど小さな合図で配下を呼び、抱えていた紙束を手渡した。承った何人かの兵団員は無駄と表情のない動きで紙片を会堂内へ分配してゆく。薄暗い室内で灰色がちに烟る紙片が翻る様を眺めやりながら、ギュルヴィは曇天を反射する眼鏡越しに目を細める。

「マリア陥落後、巨人の捕食を逃れローゼへ避難した人員、その数およそ二十数万人。そして今お配りしている資料が現在の内地の生産性と、向こう十年までの推移試算です。ご覧頂ければおのずとおわかり頂けるでしょう。このままでは二年と持たずに現在のような配給制の維持が難しくなる。もともと、ローゼ内の自給率自体そう高いものではありません。この結果は必然でしょう。まずここを削がなければなりません」
「削ぐ、」

 低く繰り返すヴェールマンに視線を差し向けながら、ギュルヴィの唇は動く。それはそのまま、ひとかたまりになった駐屯兵団員の顔ぶれをひと撫でしてゆく。

「ローゼ内だけではなく、マリアも含めた二層の治安維持を管轄するのがあなた方駐屯。この二層間で戸籍の行き来がなかったわけがない。であれば、今も壁内の人員に対してある程度の情報は握っていらっしゃるはず。陥落に際しての混乱で消失したという言い分は些か笑止…」
「なに?」
「ああ、失礼、つい口が過ぎました。悪気はないのです」

 優男が慌てたように諸手を振る。軍人らしい顰め面を逆立てるキッツに眉尻を下げた後、その目線は翻った。

「しかし、実際問題として、徴兵任務を司るとなると三兵団中一番の規模を誇り、二層の治安維持を管轄下におく駐屯兵団が一番効率がいい。これは動かしがたい事実、ではありませんか? 今は我々三兵団ともに虎の子の出し惜しみをしている状況ではないのです」
「その言い分では」

 相変わらず、浪々とよく通る声である。いつの間にか閉じていた目を開き、配布されたばかりの紙を片手に捧げ持ちながら、ドット・ピクシスが口端をつり上げギュルヴィを見る。

「三兵団とも同病相哀れむ、と聞こえるな。ではぬしらの役割は何に当たる?」
「我々憲兵団はご存じの通り、王家の護命という大役が第一」

 口を開いたのは再びナイルである。彼はピクシスの瞳が開くのを待ち焦がれていたかのように、瞬きさえ厭うような視線を投げている。

「ですがもちろん、それのみでは各方をはじめ、人民の反感を買うのが道理でしょう。しかし憲兵それ自体の成り立ちと役割は先の通り王政への献身が第一、そしてシーナをはじめとする内部秩序の維持と統制が任務。今回は時間がないこともあり長い議論は不毛です。効率を鑑みるに、我々は内部保全に加え物資供給を担うという結論に至りました」
「なるほど、手は出さんが金は出すと!」

 呵呵大笑、ピクシスが喉を反らせる。

「長々大層な言い分じゃが、詰まるところそういうことか。いや、どこで止まるかと思ったぞ」
「失礼致しました。あまり頭が回らないようで。ここの所寝不足が続いているせいもあるやもしれません」

 互いが互いに切り結び、両者は暫し視線を交錯させる。それはそのまま、二兵団同士のにらみ合いにも繋がってゆく。しかし、その間は一瞬だった。笑いを納めたピクシスが持ったままの紙をぞんざいに机へ放り出す。

「物資の供給となると、当座の食料か。駐屯は実質お主等の管轄じゃから勘定にははいっとらんな。であればそれは実質壁外へ繰り出す面々への餞、といったところかの」
「どうとっていただいても結構。本作戦に尽力していただく全ての軍属、およびその一親等以内の方々へ当面の食料受給を憲兵団が承ります。併せてこれから壁内での徴収任務に尽力して頂く駐屯兵団の代わりに、領土内の治安維持にも努める所存です。…ここまでできるのは他でもない、偉大なる王族の方々が日頃から清貧を貴び、我々の嘆願に潤沢とは言い難い貴重な国庫を開放してくださった結果によるものです。後は、急な打診にも拘らず、商会の厚意で刀剣や銃火器類も幾ばくか。対人用程度にはなるが、丸腰で戦場へ向かうよりかは民衆も勇気づけられるはず」

 抑揚のない口調がとつとつと言いきり、そして再び、けぶる視線が黙りこくる面々を見渡してゆく。十人十色の顔色をゆうに二往復したのち、最初から顔色の優れない男の視線は隙なく腰掛けじっくりと紙を読み続ける調査兵団団長で止まった。

「ここまで話せばおわかりだろうが、敢えて。調査兵団各位におかれては、徴収された民衆を率い出撃。旧市街地区の巨人を集中的に掃討後、可及的速やかに領土を奪還して頂きたい」

 指名された調査兵団の面々は、ちらとも視線のやり取りを交わさず、ただじっと、語り続ける憲兵団師団長を見つめ続けている。損耗激しい調査兵団からの出席者は三兵団中一番少なく、発言を乞う機会もない。繰り返されるやり取りの中、唯一実地へ赴くものが静まり返るという状況の中、ナイルは視線を受け止めながら淡々と口を開く。

「理論上はあの甕城…シガンシナの外縁が突破された結果がマリア陥落の所以だ。で、あれば、根本的な原因となった文字通りの突破口を目指してもらい、壁の修復を行うのが急務であり目標点と考える」

 一拍をおいて、エルヴィン・スミスが小さく頷いた。

「作戦立案の概要はわかるが…シガンシナを目指す、そこに焦点を絞る必要はあるのだろうか? こういってはなんだが、銃火器程度で武装した人員が旧市街地を越えられるかどうかも危うい。シガンシナへの道程も巨人の脅威がなくまっすぐに進めたとして、馬の脚で優に一昼夜は掛かる距離だ。前提からして不可能に近い」
「まあ、そうだろう」

 感慨なく頷いて返したナイルが小さく息を吐いた。

「しかし、本作戦下における最終目的という形骸も一応は必要だ。これを共通認識として戴き、民衆を扇動して牽引するのがより効率的ではないだろうか」
「では、シガンシナを目指す、それ自体も実際は我々が壁外に出た後に適宜判断し変更もやむなしと?」
「そうなる。これも先ほど述べた王命に於いて付与された正当な作戦権限に該当する。いかな巨人掃討における精鋭揃いの調査兵団といえど、兵站訓練など受けたこともない一般市民の牽引など相当の苦行だろう。旧市街地を抜けるだけでもある程度の数がここで消耗するだろう。シガンシナなど夢のまた夢。しかし、否やは許されぬ強制徴収とはいえ望みを持たせてやらねば足は鈍る。実際現場でどう立ち回るかなどの実行下における機微は全てまかせる。これはすなわち、」
「お前たちは適当に働いて頭数減らして帰って来いってか」

 突然の暴力的な言葉に、各兵団員の視線が一斉に動いた。その先、椅子に腰掛け、顎を引き、資料はとうに投げ出して腕を組んだ体勢の男が、他を一切省みずに下から切り上げるような視線を送っている。真正面から受け止めた憲兵団師団長は特に何の反応も示さなかった。やがて、か細い溜息が漏れる。

「そう聞こえたのなら謝ろう。謝罪にどういう価値があるかはわからんが」
「なんだ、本当に頭沸いてやがンのか」

 あからさまな侮蔑の言葉に、流石にナイルが言葉を止めてリヴァイを見る。いつもどおりきちんと着込まれた軍服の両腕を組み、椅子に片足を乗り上げての横柄な姿勢のまま群衆を睨み上げている。

「軍属の一親等以内を賄えるだけの国庫があるといったな。お前ら憲兵と駐屯、合わせて三万ほどの兵員数の筈だ。強欲な中央の連中が見返りなくばら撒くなんざ、蔵の中の塵程度のもんだろ。それを出し惜しみして連中にだけ死んで来いとどの面下げて言いやがる、」
「誤解があるようだが今回は兵団主力を徒に磨耗する気はない。調査兵団といえど無闇に巨人との戦闘は避けて然るべきだ」
「避けてどうする。連中がただひたすら食われていくのを指咥えて見てろってか」
「そうだ、それが本作戦の根底だ。お前こそ今更そこに噛み付いてどうする! もう決まったことだろう!」

 フ、と突然吐息が漏れた。それは溜息ではない。堪えきれないものが押さえた手や、唇や、肺から漏れた、その響きだった。案の定、一度決壊してからでは遅い。発端は口を押さえたまま俯き、静かな忍笑いを漏らし続けている。

「…なんか可笑しいか。クソ眼鏡」

 笑いをかみ殺しながら、指名されたギュルヴィがゆるく首を振った。

「いえ…、少し意外だったもので、つい。大変失礼致しました」

 そう言って小さく頭を下げるが、こみ上げるものを御し切れてはいないらしい。口元を押さえながら顔を伏せるものの、行動の真意を求める視線の網は解かれようもなかった。やがて、観念したのか、周囲に応える様にしてゆっくりと顔を上げリヴァイを見る。最初に見せた人好きする笑顔のまま、いやぁ、と口を開いた。

「普段、人類最強やらなんやらと騒がれている御仁が今更人らしいことを言われたので、可笑しかっただけですよ」

 あけすけな言葉に瞠目するのは周囲ばかり。そして、侮蔑を享けたと見る調査兵団の若い兵士はあからさまな敵意を視線に込めてギュルヴィを睨んだ。口を開いた男はまるで自覚がないかのように苦笑しながら頬を掻いている。

「僭越ながら申し上げますが、総統閣下こそ不在といえここは正式な軍議の場です。感情論や道徳をひけらかす場ではないですし、ましてやそれに関しての議論など愚の骨頂。時間の無駄といっても差し支えありません」

 リヴァイが鼻で笑った。

「ツラと言葉が合ってねぇなクソ野郎。つまりなんだ、お前らの総意はこの口減らしに俺らも勘定に入ってるってか」
「はぁ? まさか!」

 室内に立ち込める鬱蒼たる空気を吹き飛ばすかのような、快闊な笑い声をたて喉を反らせる。長めの髪を背に払いながら、笑いを咳き込みに変えつつ、ギュルヴィが再びリヴァイを見遣る。

「我々は軍属です。兵団同士主義主張の差こそあれ、王家、ひいては公に心臓を捧げた身。その貴重な人員を徒に磨耗する理由がどこにあります?」
「そのお前の言う人員に、食うに困ってる連中は入らねぇのか」
「勿論です。彼らと我々は根本からして違う。その差を隔てる圧倒的なものは何か? 彼らが志願していないからですよ!」

 ここでギュルヴィは両手を翻し、口を噤んでこの茶番を見る全員へ身体を向けた。朗々たる声、堂々と開かれる胸、鈍い陽光の中で刻まれた紋章が雨滴のように光る。

「志願し、兵士になればまず間違いなく生活に困ることはない。訓練兵団を卒業した後の配属先も基本的には本人の意思です。駐屯が肥大し、ゆくゆくは憲兵を目指す今の風潮こそ人の道理というものだ。しかし彼らはそれをしなかった。理由は様々あるのでしょう。ただ、我々は志願した。過酷な訓練に耐え、同期の死も目の当たりにしながら、いまこの場に立っている。優遇されている? いいえ、これは当然の権利です。あなた方もそう思いませんか?」

 唇が動くと同じく一定に巡らされていた首が、人数に劣る兵団連中の固まり辺りで止まった。

「いえ…、あなた方は、そうは思わないのでしょうね」

 ギュルヴィが掲げていた両腕をゆるく下ろす。一糸乱れぬ視線のまま歯噛みする者どもを見渡し、ゆっくりとリヴァイ、ついでエルヴィンをなぞってゆく。

「私たちが人でなしに見えますか? ですが私からすれば、あなたたちの方がよっぽど人から遠い。己の死を厭わず、巨人をも恐れないあなたたちがね。これは人類からして至極妥当な作戦です。なにもせず手を拱き、ただ仲良しごっこをして全滅することに何の意味がありますか? 今こそ切り捨てるべき者を切り捨て、妥協と合理性に満ちた明日を請うべき時です。そもそも、シガンシナ近郊に住む者はその分の恩恵も受けてきたはずです。基本税などの減免を始め、物資も豊富に流通し、舗道や医療施設も整っていた。これがどういう意味を指すのか、今更わからなかったわけがない。彼らは自ら切り捨てられるべき者としての責務を負うことを選んだ。わずかばかりの金銭と引き替えに。それを愚かととるか、身の丈に合うととるか、それは見るもの次第でしょう。あなたたちも同じだ。調査兵団になったのは自らの意志なんでしょう? 意地や覚悟や、それ相応の経験から。ではいまこそ、己の責務を全うすべきとき、」
「レイ、もういい」

 やおら、それまで沈黙していたナイルが割って入った。立ち上がったまま、視線はよこさず、その目はひたすらに湿り気で埃のこびり付く床へ向けられている。しかし威力のある声だった。断ち切られたギュルヴィは一瞬笑みを納めた。真顔のままの目つきで聴衆をひどく睨め付けた後、再びにっこりと人好きする笑みを取り戻す。そうですね、と朗らかに頷いた。

「出過ぎた真似を致しました。軍議に相応しくない口上など唾棄すべきものです」
「…長々時間をとったが、概ね本作戦の総意は理解していただけたと思う。個人が持ち備える倫理や道徳はさておいて、我々はまず軍属としての責務を全うし、この悪辣極まりない任務を達成せざるを得ない。良い悪いの問題ではない。これは生きるか死ぬかの問題だ。それをよく肝に銘じていただきたい。質問はあるか」

 シン、と静まり返った場に、再び降り出した雨音が忍び寄る。窓をたたき、地を濡らすささやかな音は今、呼吸や鼓動より明確に耳朶を打った。遠く、遠雷がこだまする。これから長引く雨期を予感させる、もの悲しい響きだった。ややあって、ささやかな挙手がある。

「王命とあらば謹んでお受けする」

 促されてから、エルヴィン・スミスが厳かにそういった。

「ただ、一つ聞かせてほしい。王都議会は本作戦下においてどの程度の人員削減をもくろんでいるのだろうか」

 ギュルヴィが黙ったまま、いびつに口端をゆがめる。その横で、ナイルが小さく顎を引いた。

「出撃人員はマリアからの避難民すべて、と明確に提示があった。帰投を許す旨の返答はない。また、ローゼで賄える人員も軍属を除いて余剰はない」

 ガン、と乱暴に議場の椅子が蹴られた。視線が集まる。張本人はあらぬ方を見やり、いつも通りの近寄りがたい怜悧な横顔を晒している。その視線の先には、再び冷えた雨滴を吐き出し始めた鈍色の空が広がっている。




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