MONSTER


 14.負けて死ね


「どう思う?」

 扉が閉まり、足音が遠ざかり、その後一度扉を開閉させた上でのエルヴィンの台詞である。特に特定の誰かを指した風ではないが、こういうときに真っ先に口を開くのは決まって一人だ。

「どうもこうもないなぁ。わけがわかんないね」

 にべのないハンジの返答には全員が少なからず賛同のようだ。概ね、話の内容の突飛さにやや面食らっている節がある。エルヴィンが顎に手をやり、撫でさすりながら虚空を見遣る。

「縦しんば他殺だとして考えよう。殺す理由があると思うか?」
「あるんだろうね。一人二人ならまだしも、いきなり十一人いっきに、なんて。おまけに事情を知ってたかもしれない看護婦は自殺? できすぎてるでしょ」

 壁際で肩をすくめてハンジがいった。モブリットが頷く。

「回復を待って身辺調査を、と後手に回ったのが裏目に出ましたね。未だ死亡した彼らの名すらわからない状態では、追求のしようもありませんし…」
「ああ、それについてだが、商会に問い合わせてみた」

 エルヴィンが言い、おもむろに備え付けの引き出しをあける。鍵はかけていないのか、ゴトゴトとやかましい音を立てる樫から白く漉いた紙が数枚、束になって出てくる。

「旧シガンシナ近郊で"カルノ・コンフューザ"と名乗る男性を保護した。この者は自分を王都商会の人間だと主張しているが、縁の者に心当たりはあるか…、まあ、概ねそのような内容を宛てたんだが、返答はこんな感じだ」

 言い切って、一番近いところにいたハンジに手渡す。気安く受け取ったそれをざっと目で追い、ふーん、と気のない返事をしてから口を開く。

「まずは決まり文句、それから時候の挨拶。次いでこうだ…、"カルノ・コンフューザなる人物は確かに王都商会由縁の人物ではあるが、先のマリア陥落の際、既に鬼籍に入っている。しかし、その亡骸もまた当然発見されていない。したがってこの一報は即ち氏の生存を認める吉報と受け止めたいところ、ではあるが、残念ながらこれまで氏の名を騙り保護を求めてくる輩が幾度か存在した。その男も、ともすれば尊きコンフューザの名を汚す不届き者との懸念が拭いがたい。勇猛なる調査兵団貴下におかれては、即刻そのものの身柄をまずは駐屯、あるいは憲兵団へ引き渡されたし。公的機関による身柄の照会が相違ないものと看做された暁にはうんぬん…だって」

 ミケが小さく鼻を鳴らした。

「認めたか。意外だな」
「ねぇ。大方連中お得意の知らぬ存ぜぬでくると思ったけど。彼の言ってたことは本当と見ていいみたいだ」

 ふんふん、と腕を組んで一人頷いていたハンジがエルヴィンに紙束を返した後、室内をゆっくりと歩き出す。人差し指を振り、虚空を見上げる。

「状況を整理してみよう。我々は巨人が群がる変な岩を見つけました。調べたら人間らしき人々がでてきたので、ひとまず連れ帰ってみたはいいけれど、調子がよくないようなのでとりあえず看病してみた。経過はよかったけどある日突然半数が死んじゃった。その原因かもしれない看護婦は自殺。お互いに面識はないらしい。唯一身元らしきものがわかる男について問い合わせてみたら、その商会はとりあえず引き取るとは言っている。今ここ」

 言い切るやいなや、ハンジが両手を広げ大仰に一回転しながら、黙りこくる面々を順繰りに見渡してゆく。

「さて、ではあの岩は一体何のために置かれていたのか。マリア陥落後以前か、以後か。恐らく事情を知るだろう人々は早々に口を封じられた。どうだろう? この件を掘り下げ、あの村や彼らを仔細に調べてみるべきじゃあないかな?」

 爛と光る目で、ハンジは他の誰でもない団長の視線をまっすぐに覗き込む。対して、兵団団長の反応はほぼ無に近かった。翡翠の如く透き通る瞳はけぶり、まるで愁いを帯びた女神像のように何処とも知れないところを見、思考に沈んでいる。その意を汲みかねる面々は沙汰を待ち、黙った。辺りに再び沈黙が満ちてゆく。
 やがて、金に縁取られた瞼が一つ、緩慢に開閉された。

「あの岩が、何故あそこにあり、また彼らが何故あそこへ詰め込まれていたのか。つまるところ、その理由や過程はさほど重要ではない」

 エルヴィンが机の上に両肘を載せ、組んだ掌手に顎を置く。

「我々の仕事はあの大岩に巨人が群がっていた理由を解き明かすか、もしくは彼らが巨人にまつわるものかどうかを見極めるまでであって、民間人の保護ではないからだ。そして皮肉なことに、今回の一件で彼らは間違いなく人であるということが証明されてしまった」
「…毒か、」

 ミケが小さく呟いた。兵団団長は視線は投げないまま無造作に頷く。

「我々人類が考え付く限りの毒物は今日に至るまで巨人の一体も死に至らしめていない。今更確認するまでもないことだ。彼らの死因が毒にしろなんにしろ、摂食が原因で死亡した。であれば彼らは人だ。そして人であれば、例の岩に巨人が群がっていた理由も大方予想がつく。中に人間がいたからだ」

 言い終え、エルヴィンが再び掌から顎を持ち上げた。ゆっくりと上体を起こし、こちらを伺う団員を一人、一人と確かめてゆく。自由になった指先が、投げっぱなしのままだった商会からの書面を持ち上げる。

「以上からして、調査兵団としての我々の責務は不本意な形とはいえ全うされた。民間人の彼らをいつまでも我々の医療棟で預かるわけにはいかない。そこへこの知らせだ。頃合もまぁ、ちょうどいい…、」
「オイ」

 リヴァイだった。今の今まで沈黙を貫いていた彼は未だ壁際で不動を保ったまま、兵団団長を明らかに睨めつけている。

「いい加減にしろよ白々しい。お前が俺たちに相談なんぞするタマか? つまりなんだ。あいつらが人間だったらなんなんだ。てめえの詰まったクソじゃねぇんだ、言いたいことがあるんならさっさとひねり出せ」

 辛辣な言葉を咎める者はいない。口を挟める雰囲気ではない。そしてそれ以上に、集う兵団員の総意はリヴァイに寄るらしい。他の面々も少なからずこの状況に違和感を感じている。物言わぬまま、麾下の面々がエルヴィンへ視線を向ける。再び無為な沈黙が降りた。そして、これを破るのもまた兵団団長である。やおら諸手を上げるなり、その場に似つかわしくない苦い微笑をこぼしてゆく。

「いや、すまない。悪気はなかったんだ。ただ順序よく話そうと思ってタイミングを見てたんだが、逆に回りくどくなってしまった…助かったよ、リヴァイ」

 返答はない。目つきはそのまま、黙り込む兵士長に再度謝罪を重ねてから、ここで初めてエルヴィンは、今の今まで微動だにすらしないルカに目を遣った。
 いかな名うてといえど一介の索敵班兵士ごとき、およそ、場違いではある。本人もそれを自覚しているからこそ、無表情はともかく呼吸すら鈍らせて佇んでいたのである。名こそ呼ばないながら、すまなかった、という兵団団長の謝罪ははっきりとルカに向けられていた。

「本当はこの話のために君も呼んだんだ。予想外の出来事が起きたんでそのまま聞いてもらったんだが、気にしないように」
「は」

 返答は端的だが十分である。敬礼を解かず、頷きもしない若い兵士を見遣って、無表情を取り戻した団長が仕切りなおしのように顎を引いた。

「では、ここからが本題だ。まだ作戦内容に不明確な部分は多いが、近いうちに大規模な領土奪還作戦が施行されることが決定した」
「領土奪還作戦?」

 ハンジの鸚鵡返しには答えず、頭に入れておけ、との返答がある。

「その名のとおり、陥落したマリア内の巨人を殲滅し、奪われた領土の奪還を目標とする。投入される人員は我々軍属と、マリアからの避難民だ。三兵団合同で行われる作戦と銘打たれてはいるが、実際に壁外へ赴くのは我々しかいないだろう。ここにいる全員はそれぞれその急拵えの兵を束ね、旧シガンシナを目指して貰う。その他、主立った調査兵団員はそれぞれが班長として立ち、小隊を結成する予定だ。君たちにはその臨時の指揮官を何人か見繕ってほしい。この作戦期間のみだが、分隊長と同権限を付与する。以上が大まかに決まっていることだ。当たり前だがこれはまだ極秘だ、他言無用で頼む。何か質問はあるか?」

 とってつけたような最後のエルヴィンの言葉に、黙りこくる調査兵団の面々からは手も言葉も上がらない。しばらく、団長は各々の反応を伺っていたが、やがてあきらめたのか、再び唇を動かす。

「マリア難民が今回の作戦人員を占めるというのであれば、十中八九人と断ぜられた件の彼らも牽引されるだろう。今更いうまでもないが生きて帰ってこられる可能性は限りなく低い。しかしこの返答。王都商会の縁を騙るやもしれぬ不届きものを駐屯へ引き渡せ。その後の動向は果たして行軍を強いる軍律まで曲げるものなのか? それがまだ読めないんだ。はたしてあのカルノという男は、彼らにとってどういう価値があるのか…」
「おい、つまりなんだ」

 再びリヴァイの声が割り込んだ。片手でゆるく顎を撫でていたエルヴィンが静かに視線を向ける。

「お前はこの呈のいい口べらしに連中が曳かれていくのになんの感慨もないってか?」

 一拍をおいて、兵団団長は穏やかに頷く。

「遅かれ早かれ、避けられぬ命題だとは思っていた」
「答えになってねぇだろ。お前、この話いつから聞いてやがったんだ」

 エルヴィンが真顔のまま口を閉ざした。リヴァイが壁からにわかに背を浮かし、目にも留まらぬ早さで兵団団長の胸倉を掴む。止めに入ろうとしたモブリットをハンジが制した。

「オイ、答えろ。俺らが必死こいて連れ帰ってきた奴らになんの意味もなかったってか? あれで俺の部下は何人死んだ? 理由もない、意味もない、日和見だけの判断だったっていうなら、お前はいますぐどう償う」
「人でなければいいと思ったんだ」

 胸倉を掴むリヴァイの手を取り、エルヴィンはそのまま、引きはがすようにして彼の手から逃れた。およそ、力を込めているようには見えない。だが確かに拘束から逃れ、よれた襟元を正しながら、団長は居並ぶ班員を見渡して、決して崩さぬ相好のまま口を開いてゆく。

「彼らが人以外なら、それは少なからずともこの百年の膠着と一年前の油断に見合う価値がある。巨人の正体か? 弱点か? 習性か? いずれにせよ、我々には未だ未知のものだ。その価値に、賭けてみたんだ。結果はまた私の負けだった。だが後悔はない。期待していないからね」

 いつも、その繰り返しだ。
 リヴァイが空いた拳を振り挙げた。無言のまま、それは堅い樫の机上に振り下ろされる。骨身を軋ませるような音が響いた後、本人は再び壁際に戻り雑に背を預ける。被害者の表面には割れこそしないものの、明らかな凹みができていた。あとには、ギイ、ギイ、とすすり泣くような余韻が木霊している。しばし、その音が響くのみで、全員が無言だった。やがて、おもむろに挙手をするものがある。

「なんだ?」

 エルヴィンが促すと、口の端を僅かに吊り上げたハンジが手を下ろした。

「話はわかったよ。でも、私としては、あの岩自体に興味があるんだよね。確かに言う通り中に人間がいたから群がっていたのかもしれない。ただ、それだけじゃないかもしれないでしょ? もしかしたら、我々にとって有益な何かがわかるかもしれない。これに関しては片手間でいいから調査を続けていいかな?」

 ふむ、と喉の奥でエルヴィンが唸った。その逡巡は刹那であり、あとは寛容な肯定が返る。

「いいだろう。これからそうそう時間が取れなくなる恐れもあるが…」
「いいさ。どの道色々試してなーんもわかんなかったから技術班に任せたところだしね。結果はまだかかるだろうし、のんびりやるよ」
「そうか」

 ならいい。そういってエルヴィンが薄く目を細めるハンジから視線を切り上げ、再び居並ぶ全員を見渡した。リヴァイは既にこちらを見ていない。ミケも、モブリットも同じだ。何処とは知れない空を見、何事かを各々の中で消化している最中らしい。頃合か、と再びエルヴィンが口火を切りかけたときだった。再び、控えめな挙手がある。
 許可を得たルカが一礼し、ややあってから、静かに口を開いた。

「出陣それ自体に異論はありません。ですが、俺を、臨時であれ班長と同程度に扱われるというのは、辞退させてください」

 他の面々から一斉に視線が飛んだ。しかし、ルカは揺るがずにエルヴィンを見る。

「俺のことはあくまで、一兵卒として扱ってほしいのです。こういった、箝口令が敷かれるような場も、相応しくない。ネス班長が知れば余計な心配を招きます」

 ハンジが無言のままエルヴィンへ目を配る。団長は僅かに息を吐いた後に唇を湿らせる。

「彼は君の実力を買っている。相応の懸念はあれど、話せば理解してくれると思うが」
「団長はなぜ俺が軍人になったかご存知のはずです」

 遮ったルカの台詞に、え、とモブリットが声を漏らした。エルヴィンがわずかに目を細める。ルカが小さく首を振った。その拍子に、細い金の髪が水面のように光る。

「隠し立てしているわけではないので、かまいません。やましい理由で軍属に降った身です。こんな俺を拾ってくれた班長に、杞憂であれ余計な心配を掛けたくはありません。勝手は承知しておりますが、聞き届けては頂けないでしょうか」

 それは案に、この場からの退出を乞う言葉だった。エルヴィンはルカから目を逸らし、目元を節暮れた指でかきながら、ふむ、と再びひとりごちる。それは返答ではなかったようで、またしばし、静寂が降りた。存外、長く続く沈黙を破ったのはリヴァイだ。鼻で笑うような吐息が落ちる。

「別にいいだろ。やる気のない奴は足手まといになるだけだ。…だが、お前」

 語尾は鋭くルカを呼びつける。顔を上げたルカの前、軍靴の踵を鳴らしながら、リヴァイが歩み寄ってゆく。

「ちょうどいい。あの得体の知れない連中はお前が見てろ。ネスには俺から言っておく」
「リヴァイ?」

 脈絡のない台詞にハンジが思わず問うが、返答はない。上背のある所為か、どうしても見下ろすようになってしまうルカに対し、今度こそ人類最強の本気の舌打ちが響きわたる。

「俺もこいつらもどうやらこれから忙しい身だ。そうそうあの連中だけに構ってられん。駐屯の連中へ引き渡すまででいい、お前が見張ってろ。そのうち、また何かある」

 終いまで一気に言い切ると、あとは相手の出方を待つように眼光鋭い睨みを下から切り上げてくる。それを受け止めて、ルカは暫し無言だった。ややあって、揺れた目線が兵団団長を捕らえる。リヴァイの言に不満も異論もないのか、相対した緑青の瞳は穏やかにじ、とルカを見つめている。
 そして、索敵班兵士は再び見本のような敬礼を示し直し、無言で頭を垂れた。





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