MONSTER


 11.千代に八千代に


 深夜、曲者同士にて腹の探り合いが行われている頃、エルヴィンの言葉どおり、リヴァイは古びた棟の地下へ押し込められた人員を見るとはなしに見張っていた。傍らには、今回負傷を理由に壁外調査に加わらなかったミケ・ザカリアスがいる。数日で快復したらしい彼は古びた椅子に腰掛け、無言のまま粗末な木片を飾りナイフで削っている。風の音すら聞こえない暗い地下牢の中、僅かな光の中で木屑を削る仕草が物悲しげに木霊する。眺めること暫し、特に目的があってそうしているようには見えなかったが、無骨な男の手の内で木屑は意味のある形を成そうとしつつある。歪だが、壁の名と同じ女神像のようだ。突っ込む気力もないリヴァイは手遊びじみたそれからいい加減に視線を切り上げ、鉄格子の中で囚人さながらに蹲る人々を見た。
 俄かには近寄りがたい悪臭と汚泥、衰弱と狂気に取りつかれている彼らはやはり、今に至るまで一言も口を利かなかった。壁内とはいえあからさまな地下牢だが、ここに入れといわれれば素直に従う辺り、言葉はわかっているらしい。ただ返事はない。唯々諾々と、促されるままに振舞うのみだ。その例外は一人だけ。

「…おい、まさか、食事も水も出さないのか」

 低い声の先は果たせるかなカルノである。彼は格子にもたれ、身を寄せ合う人々から避けられるようにしてぞんざいに足を投げ出して座っている。答える気もないリヴァイを気にした風もなく、先ほどより隙間から徒に手を伸ばしては引っ込めるなどしつつ、ポツリポツリと不満を漏らし続けている。

「せっかく助けた民間人をこの扱いか。お前ら、マジで狂ってやがるな。さすがほいほい壁外なんぞに出て行くだけはある。まあ…、そんな気違い連中に助けられた俺も、よっぽどっちゃよっぽどか、」
「元気だな」

 ミケが、木片から目を上げずに言った。その台詞はどうやらリヴァイ宛らしい。視線だけ向けて寄越すリヴァイに、ミケはカリカリとナイフを動かし続ける。

「本当にその大岩とやらに閉じ込められていたのか? 事実なら狂気の沙汰だ。俺なら一年と持たずにああなる」

 顎先でぞんざいに指し示すのは、床ばかりを見つめて俯く集団である。ぴくりとも動かない彼らは、ミケのこの台詞にもなんら反応を示さない。リヴァイが僅かに鼻を鳴らした。

「だから上の連中も疑ってかかってやがるんだろ。コイツらが巨人かどうか、もしくはひとりふたり、それらしいのが紛れ込んでやがるかどうか…」
「巨人? 俺が巨人ってか?」

 聞いていたらしいカルノが嘲笑した。くつくつと笑いながら格子を握り、間へ顔を押しつける。

「巨人、巨人ね、まぁ確かに、お前に取っちゃ俺は巨人に近いかも知れねェが…」
「おいその汚ぇ口を今すぐ閉じろ」

 ガンッ、と乱暴に鉄格子が蹴られる。寸でのところで身を引いたカルノがますます笑みを深めたが、ひとまずは口を噤んで静かになる。金属の僅かな共鳴が静まれば、場は再び沈黙した。要所に燈ったランプの灯が僅かに揺れ、足元の伸び縮みを繰り返してゆく。
 くしゅん、と小さなくしゃみが響いた。

「…子供もここに入れるべきか?」
「さあな。それも俺らが決めることじゃない」
「女の子らしいじゃないか」
「だからなんだ?」
「……まぁ、そうか、そうだな。いやいい」

 にべもないリヴァイの態度に、最終的には元来無口なミケも閉口する。は小さく謝罪をした後、あの奇声を上げる老人へ寄り添うようにして身を縮めている。今のところ、やかましく騒ぎ立てるような素振りは見せていない。しばし、無言が降りた後、リヴァイは組んでいた手をほどき、カルノを避けるようにして鉄格子へと歩み寄った。

「おいガキ」

 弾かれたようにが顔を上げる。小さな身を縮めながら、おそるおそるとリヴァイを伺う。汚れきった顔を僅かにしかめた顔で見下ろして、リヴァイが口を開いた。

「寒いか」
「…え、」
「早く答えろ」
「あ、いえ、大丈夫で」

 へくし、と語尾はくしゃみに切り替わる。気まずい沈黙の後、リヴァイがくるりときびすを返した。そのまま、コツコツと規則正しい音が石床を叩き、隅に畳んでおいてあった見張りの兵が使う毛布をとってくる。薄く毛羽立ちの目立つ粗末な代物だが、獣毛の織り込まれた分厚いものだ。そのままそれを鉄格子の隙間から乱暴に押し込む。

「被ってろ」

 この行動に面食らったのは、ほかの誰でもないミケだった。普段は伏し目がちの瞳を見開き、ヒュウ、と枯れた口笛を吹く。次いで口を開きかけたが、振り返ったリヴァイと目を合わせるなり肩を竦め、再び視線は手元に戻った。
 湿気た床に落ちた毛布をしばらく眺めるだけのだったが、やがて、おそるおそると四つん這いで近寄り、腫れ物にさわるようにして抱えあげる。手触りを確かめるかのように撫で、握り、抱き込んだ。小さく頭を下げながら礼を言って、また所定の位置らしい老人の傍らにゆっくりと戻ってゆく。そのまま、頭からかぶせかけるようにして、まず老人を毛布でくるむ。端を摘んで自分にも着せかけるや、やせた小柄な少女の姿はあっさりと明るみから姿を消した。そこまでを視界に納めきって、リヴァイは再びきびすを返す。軍靴の踵を高く鳴らして進み、ぞんざいに壁へ背を投げ出した。
 そのまま、再び耳に痛い無音が満ちる。だが沈黙は長く続かなかった。地上に通じる階段先から、何事かのやりとりを交わす声がある。

「やっと来やがったか…」

 リヴァイが吐き捨てると同じに、ミケがナイフを胸にしまった。木片を投げ捨て立ち上がる。それと同時に、金錆のひどい音をたて、古びた鉄戸が押しあけられる。

「やあ、おまたせ」

 果たせるかな、現れたのは調査兵団団長その人である。自ずから洋燈を捧げ持ち、淡闇を薄く肌に残して微笑んでいる。リヴァイが決まりの返しを打つのも意に介せず、あからさまに草臥れた様子のハンジを連れながら、地下牢の面々を見渡した。

「変わりはないかな?」
「ああ」
「はぁぁあああ、もうほんっと、連中の頭の固さったらさぁ! あの例の岩に勝るとも劣らぬって感じだよ、何度同じこと話したと思う? 何度? 三度さ!」
「…そうか」

 律儀なミケが地団太を踏むハンジに頷き返し、そのまま何事かを滔々と垂れ流し続ける相手から視線を切り上げエルヴィンをみる。苦笑した団長はまぁまぁ、とねぎらい、無言を貫きながら全身で主張をやめない兵士長へ向き直った。

「概ね好いようには説得できた。彼らはしばらく我々で保護するように、とのことだ」

 リヴァイが小さく頷いた。

「妥当だろうな。あいつらじゃ持て余して投げ出すのが落ちだ」
「そうなっては目も当てられないからね。せっかく助かったんだから、よく養生してもらうのが一番だ」

 穏やかに微笑んで告げた団長はそのまま流れるように鉄格子へと近づいてゆく。兵士らしい長身で屈強な体つきながら、体重を感じさせないなめらかな動きだった。分厚い手が格子に掛かったとき、不躾に鼻を鳴らすものがいる。言わずもがな、うずくまる男だった。

「スゲェ皮肉だな。こんなところに押し込んでおいてよ」

 下から睨み上げる視線にも同じようにほほえみ返し、エルヴィンが小さく息をつく。

「すまない。我々も含め、皆が一時臆病になっているんだ。君たちの為になる最善だと理解して欲しい」
「どうでもいい」

 ガシャン、と乱暴に鉄格子が揺れる。微動にせず微笑み見下ろすエルヴィンを得体の知れない笑みで睨み上げ、やかましく格子を揺らしながらカルノが言う。

「お前等が俺らを巨人と見ていようがなんだろうが、そんなもんはどうでもいいさ。軍人なんぞと話をしても埒があかないだけだ。いいから早く、とっとと俺のことを商会へ知らせやがれ。連中なら誰でもいい。たった一言、それでしまいだ。"カルノ・コンフューザのご帰還だ"とな!」
「うわぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ」

 怒鳴った途端に、老人の絶叫が耳をつんざく。笑みを納めたエルヴィンがそちらを振り向くより早く、顔を顰めきったリヴァイが痛烈な蹴りを鉄格子に叩き込んだ。他のどれよりもやかましい音があがる。ちょっと、と窘めるハンジの声も届かぬほどの絶叫に被せ、けたたましい哄笑を上げながらカルノが後退した。石床に尻餅をつき、喉を反らせ、しまいには噎せて咳き込んでいる。おい、と語気鋭くリヴァイがすごんだ。

「ガキ、今すぐそいつを黙らせろ」
「え、あ、」

 指名されたと気づき、いまだ言葉にならぬ悲鳴を上げる老人の腕を必死でさすっていたが俄かに顔を上げた。瞳の落ちくぼんだ顔があからさまに青ざめている。

「ちょっとちょっと、何言ってんのさ女の子に」
「関係ねぇ」

 ハンジの苦言も意に返さず、リヴァイがに向け、今度は無言で顎をしゃくった。凄みのあるその仕草にごめんなさい、と謝りながら、痩せた腕がおろおろと取り乱す老人にすがる。逡巡したようだが、彼女は結局分厚い毛布ごと老人の頭を抱え込んだ。悲鳴がくぐもったものに変わる。そのまま、華奢な身が全身でもって取りなす間に、兵士長様は再び得意の一撃を鉄格子に見舞う。三度、身を竦ませる音が響いた。

「おまえの目的が何かなんぞ、知ったこっちゃねぇが…」

 リヴァイの地を這うような声音とともに、金属特有の反響音が地下牢内に木霊する。
 
「望みどおり知らせてやってもいい。感動のご対面とやらで口が利けるかどうかは別だがな」

 咳き込んでいたカルノが喘ぐ息を抑え、低く嘲笑した。

「脅しかよ。さすが軍人様だ、腐ってやがる」
「お前こそこっちを挑発してなんになる。立場が悪くなるだけだぞ」
「てめえらに反吐が出るからだよ!」

 目を剥いてカルノが怒鳴った。激昂に任せ、仰け反らせていた身をぶつかる勢いで鉄格子に叩きつける。

「何が兵団だ。普段ふんぞりかえってやがるくせに肝心なときに何の役にも立ちやしねぇ。いいか、あの薄汚い洞穴で一年だ。一年だぞ。想像できるか? お前等屑どもが壁を守らねぇ所為だろうが!!」

 掴んだ格子を揺さぶり、派手な音をたてながら口角泡をとばす。血走った目に落ち痩けた顔つきでの凄みはリヴァイの手を格子から外させるだけの迫力があった。しかし、怯んだのではない。彼はそのまま、手の届く範囲に来たカルノの胸倉を素早く掴む。身の丈に勝る相手をものともせず、そのまま空へ持ち上げる。苦悶の声が漏れ出した。

「…懲りずによくしゃべる野郎だ。それだけ元気がありゃお前も兵士になればいい。他人の金でたらふく食えるぞ。死体の上でな」
「は、なせ…っ」
「やめてください!」

 だった。ぶつかるようにしてカルノを持ち上げるリヴァイの腕に飛び込んでくる。しかし、やせた少女の体では何の弊害にもならないらしい。握っても叩いても微動だにしない腕に絶望の視線を走らせながら、悲壮な顔で懇願する。

「わたしが謝ります、謝りますから! お願いします、はなしてください! 死んじゃいます!」

 お願いします、と繰り返される前に、飽いたかのようにリヴァイの腕が外された。床に投げ出され、咳込むカルノの背に息急ききって手をかけただったが、ほかの誰でもないカルノ自身に今度は彼女が張り倒される。

「俺に触るんじゃねぇ! 引っ込んでろクソガキが!」
「うっわぁ、流石の私も見過ごせないくらいの外道だね」

 顔を顰めて舌を出したハンジはそのまま、今の今まで無言を貫くエルヴィンをみる。

「この子だけでも別のところに移そうか? この剣幕じゃ憂さ晴らしに殴られかねないよ」

 問われたエルヴィンはハンジを振り返りもせず、ただじっと牢内の惨状をつぶさに観察していた。やがて、顎に手をかけ、唇を指で撫でる。

「…君たちは、親子か何かかな」

 問われた内容に、息を荒げながらもカルノが鼻を鳴らした。

「冗談だろ…、赤の他人だよ」
「ではいつもその調子で君が庇われているのは、単純な少女の善意というわけだ」
「だったらなんだ」
「この騒ぎの中、君を庇い立てするものは彼女しかいない。ほかの方々は興味すらないようだ。まるで聞こえていないかのように」

 そういって、眼下にて蹲る人々を見渡す。言葉どおり、これだけの騒ぎにあっても、彼らは悲鳴一つ、視線一つ寄越さずに俯いている。耳が聞こえないわけではないのは此処までの道程で明らかだ。老人の悲鳴に怯えていた荷馬車内とは打って変わっての無関心さに、エルヴィンが緩く首を傾げている。

「私が最初君たちを見たときは、もう少し動きがあった。けれど今、最初と変わらず人のそれらしいやり取りを続けているのは君たち二人だけだ。君が怒鳴り、彼女が取り成す。まるで、予め取り決められた役割のように」

 一時、カルノから笑みが消えた。瞬き一度の間だけ、エルヴィンと視線が交差する。そして再び口を開く過程で、深くなった笑みが唇を横に割いてゆく。

「…いいね。その調子で想像してみろよ。俺と、コイツに、何があると思う?」

 そういって、頬を押さえ蹲ったままのの頭を乱暴に掴んだ。粘ついて固まり、束になった頭髪を無理やりに引き上げる。小さく悲鳴を上げて頭を押さえるに無言のままミケが身を乗り出しかけたが、それをエルヴィンが片手で制した。
 なるほど、と兵団団長が再び微笑する。

「どうやら此処で聞く話ではないらしい。まあいい、どのみち君たちには少なからずの安静と看護が必要だ。そうだろう?」
「へえ…、巨人を野放しにするってか?」
「勿論、市井に放り出したりはしないさ。これ位の人数ならば、我々の施設でも十分賄えるからね。清潔なベッドに安全な食事、そこでまず心を落ち着けて欲しい。難しい話はそれからにしよう」
「…おい、ここから出すのか」

 異を唱えたのはリヴァイだ。彼はいつの間にか騒ぎから一歩身を引き、両の腕を組んでエルヴィンを睨めつけている。問われた団長は振り返らずに頷き、顔を顰めたままのハンジと黙りこくったままのミケへ細々とした指示を出す。どうやら、彼らを再び移送するに当たっての手配らしい。

「どのみち此処では満足な治療もつけられない。処遇は全て調査兵団が賄えとの御達しだし、私の裁量で判断しても何ら問題は無いだろう」
「……、」
「不服か?」

 押し黙ったリヴァイへ、ようやっとエルヴィンが顔を向けた。人好きする顔立ちに載る緑青の瞳が常と変わらない微笑を湛えているのをとくと見てから、リヴァイが再び短く舌を打った。

「…お前の判断がそれなら従うさ。何を考えてるかは知らんがな」
「そうか」

 苦笑したエルヴィンが再び牢内を振り返った。から手を離したらしいカルノが笑いを収めてこちらを伺っている。その瞳を一度見、蹲り顔を伏せる少女を見てから、兵団団長はものも言わずにきびすを返した。





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