MONSTER


 10.猫は喋らない


 帰還後の一息をつく間もなく、調査兵団団長エルヴィン・スミスは通常壁外調査ではありえない人員を連れ帰ったことについての仔細を報告すべしとして、トロスト区内、駐屯兵団支部に招集を請ける。急遽行われることになったこの会議の参加人員はトロスト区区長、駐屯兵団より幾名か、そして、今回の槍玉である調査兵団より団長、ハンジ・ゾエ分隊長二名、以上が出席する。設えられた小部屋は狭く、飾り気のない長机と椅子が何脚かしかないため、兵団上長のみ着席し、その麾下は後ろに控え直立の礼をとった。
 主な面々が姿を現し、後はトロスト区区長の到着を待つだけになった。着席後もひそひそと小声で交わされていたやり取りは、喜色満面といって差し支えない様子の南方総司令ドット・ピクシスが突如姿を現したことによりピタリと止む。一拍をおいて、腰掛けていた面々が慌てて立ち上がる。やかましい軍人の敬礼を片手を振って遮りながら、やや憮然とした様子の女性参謀を供に、司令官は陽気な挨拶もそこそこに適当な椅子へどっかりと座り込む。

「まずは無事の帰還を労おうか。ご苦労だった。今回は損害も大分少ないようじゃな?」

 雑談のような質問は調査兵団へ向けられている。思わずといったようにエルヴィンが苦笑した。

「はい。運を天に任せるのは柄ではありませんが、今回は何においても僥倖といわざるを得ないでしょう」
「行って帰ってくるだけが相当難儀じゃからなァ、それ相応の実力が末端まで備わってきたと見てよいのかもしれん。それに、」
「司令、議は区長がお越しになられてから始めるべきかと思いますが」

 後方に控える女性参謀が矢庭に割り込んだ。口を開きかけていたピクシスが動きを止め、後方を憎憎しげにねめつける。

「わかっておるわい、これは他愛もない雑談じゃろう見てわからんのか? いちいちうるさいのぅお前は」
「ありがとうございます」
「……まあ、よい」

 珍妙なやり取りが展開された直後、部屋のドアが乱暴に開き、トロスト区区長がのっそりと現れる。先触れのない緊急招集なだけあって、現在時刻は深夜に近い。あからさまに迷惑そうな顔で室内を見渡していた区長は、その顔ぶれにピクシスを認めた途端に面白いほど狼狽する。

「ピクシス司令、お越しになっておられたのですか!」
「おお。お前は遅かったな」
「も、申し訳ありません! 司令がお越しになられるとは露知らず、」
「ああ、よいよい、ともかく座れ。忙しいのはお前だけじゃないわい」

 ぞんざいに促され、恐縮頻りの区長は恐る恐ると空いた上座に座った。居心地悪そうにじ、と周囲の様子を伺っている。司令は静まり返る面々を改めたように見渡して、よし、と一声かけてから居住まいを正した。

「では始めるとしようか。まだるっこしい腹のさぐり合いは無用、議題は一つじゃ。先刻、調査兵団が壁外調査中に民間人を救出して連れ戻ったとの報を受けた。頭数は二十三、衰弱は激しく、まともに口も聞けぬ有様だという。ここまでは間違いないな?」
「はい」

 エルヴィンが無表情のまま頷いた。ハンジは特に何も反応せず机の端で踊る灯りの影を見ている。ピクシスがうむ、と顎を引く。

「ではここからが問題じゃ。果たしてそれは本当に人間なのか?」

 この問いに、黙りこくって話を伺っていた区長、および憲兵団員の顔色があからさまに曇った。チラと視線のやり取りがなされ、発言の機会を伺う気配が漂う。エルヴィンはピクシスだけを見つめ、小さく首を縦に動かした。

「現時点では、確実にそうだと断定できる材料が乏しい。ですので、実際に我々が遭遇した事態について、ありのままをお伝えします」
「ほう、聞かせてもらおうか」

 机の上で組んだ腕を握りなおしながら、エルヴィンがまず、と唇を湿らせる。

「彼らは旧シガンシナ区近郊の農村近く、木立の中に隠されていた岩石の内部にて幽閉されておりました」
「なに?」

 疑問を返したのは沈黙していた区長である。この件については私が、とハンジ・ゾエが控えめに挙手をする。ピクシスが是を示し、小さく礼をした分隊長が一歩前に出た。

「索敵班兵士が周囲を警戒中に巨人が群がる大岩を発見しました。一報を聞き、我々の分隊が駆けつけ巨人掃討後に岩の仔細を確かめたところ、一部が割れ中の空洞を発見、そのまま内部へ侵入し、心身ともに衰弱した件の人々を認め、保護しました。岩内は劣悪というべき環境下でしたが、僅かながらの食料、そして半ばで力尽きたであろう人々の遺骸が纏められていました。大岩の破片は採取しており、後ほど技術班へ提供予定です」
「巨人が岩に群がっていた、」

 ピクシスが言い、茶けた染みと古傷の多い掌でざらりと顎先を撫でる。

「面妖な話じゃな。岩に興味があったのか? 中に人間が詰まっていると察知して集まってきておったのか? なるほど、後者であれば彼らの疑いは確かに晴れる。だがこれもいまだ仮説の域を出んな」
「"巨人は巨人を食わない"、」

 エルヴィンが言葉の後ろを浚った。

「仰るとおり、これも現時点で通説とされている巨人の生態に過ぎません。しかし、岩内の環境は切迫した人間の営みを感じさせるそれでした。遺骸が纏められていたというのも中々に人間らしい」
「その遺骸は運んできたのか?」
「残念ながら」
「では、その連中が食い殺したのかもしれんではないか!」

 バン、と古びた長机を叩き、沈黙していた駐屯兵団員である。相応に年輪を刻んだ顔を怒気も露に歪めている。

「独断で得体の知れない連中を壁内に運んだ、それ自体がそもそもの間違いだ! 縦しんばその連中が巨人だったらどうする、みすみすこのローゼ内に巨人どもを招きいれたことになるのだぞ!?」

 激昂する男につられる様にして、そうだ、そうだ、と今まで沈黙していた者たちも賛同し始める。区長はピクシスの動向が気になるのか、先ほどからちらちらと目線だけを投げかけているが、生憎と色よい返事は受け取れていない。その彼も、心情的には駐屯兵団に近いらしい。騒ぎ立てる彼らを止める素振りは皆無だ。

「トロスト区が落ち、縦しんばローゼが突破されれば我々人類に先はない、それは何度も繰り返し確認されてきた決定事項だ! この懸念を拭っても余りある利点がその連中にあるとでも言うつもりか?」
「まさにそれです」

 エルヴィンが得たりと肯いた。まさかの肯定に気勢をそがれた男が言いよどむ合間に、場は調査兵団団長に移る。

「そう、利点です。人かどうかも含め、彼らは得体が知れない。それが事実です。何故あんなところに詰め込まれていたのか? なぜ岩に巨人が群がるのか? 答えはわからない。わからないからこそ、調査するのです。これは未だ巨人の生態について知識の乏しい我々人類が状況を覆す好機と捉えるべきではないでしょうか?」

 淀みない口調に、一時荒れた場は再びシンと静まり返る。ふむ、というピクシスの微かなつぶやきが漏れる。

「得られるものがあると思うか?」
「わかりません。あなた方の懸念も尤もです。状況はあくまでも五分。そのため、今彼らの側にはリヴァイ兵士長が詰めております」

 この言葉は伝家の宝刀らしい。人類最強が機微をみるならば、と誰とはなしに呟いてゆく。

「彼らがもし巨人とも取れる行動を起こせば、即座にリヴァイが動くでしょう。一人がそうなら、他全員も同様です。その時は全員拘束し、速やかにしかるべき機関へ譲渡します。縦しんば彼らが巨人であれば、解剖であれなんであれ容易でしょう。ただもし人ならば、我々軍属に課せられた人道的支援の範疇であると判断しました」

 フン、と駐屯兵団員の鼻が鳴った。

「さすが調査兵団。群集に媚を売るのはお手の物だな。ご大層な壁外調査とやらの成果を上げられないから苦肉の策で点数稼ぎか?」
「それについてはご指摘痛み入る。この膠着は偏に私の力量不足が原因でしょう。徒に兵を消耗し、優秀な団員を失っているのは事実です」

 あからさまな挑発にも淀みない返事が返され、そこへ更にと付け入るものはいなかった。エルヴィンはぐるりと周囲全てを見渡した後、再びぞんざいに肘をついたままにやにやと笑っているピクシスに目を留め、幾許か顎を引いた。

「その上で、これは現状を打破するチャンスでもあります。我々双方にメリットがあるように調整していきましょう」
「メリット。ふん、メリットか、」

 ピクシスが笑いながら呟いた。肘を突いたまま器用に顎をしゃくってエルヴィンを指す。

「なるほどな。それであのご大層なパレードか」
「面目ありません」
「まあいい。話はわかった」

 ピクシスが頬杖を止め、ドン、と裏拳で軽く机を叩いた。途端その場にいる全員が条件反射のように背筋を正す。直立不動を貫く起立の面々も同様である。

「巨人である懸念が拭えない以上、おいそれと野放しにするわけにもいくまい。その連中はひとまず調査兵団預かりとし、兵団内の施設で監視と保護を担って貰おう。回復し、ある程度話が出来るようになれば駐屯兵団立会いの下尋問を行う。人と判断できれば身柄はそのまま、」

 よどみなく進んでいたピクシスの台詞が止まった。彼は天井斜め上を見上げ、ふむ、と一息をついている。

「そうだな、身柄は、まあおいおい考えるか。駐屯か、調査兵団か…、まぁ、どちらにせよ変わりはあるまい」
「司令…、楽観的過ぎはしませんか。万が一を考えて動くべきです」

 区長が最後とばかりに難色を示すのに、返ってくるのは軽やかな笑い声である。

「では他に案でも述べてみよ。お前にはあるのか? ともすれば一般市民であるかもしれない輩を不特定多数の反感を買わずに処理する方法が?」
「…巨人と断定すればよろしいかと」
「無理じゃろ。あのやかましい帰還劇を区の人間の殆どが見ておる。巷はすでに話題で持ちきりじゃぞ? 調査兵団が民間人を救出し帰還した、とな。明日には商会どもが面白おかしく飾り立ててビラでも撒きよるわ」

 区長がエルヴィンを見た。一瞬だけ交差した視線はすぐかわされる。ピクシスが一頻り笑い、気持ちはわかると執り成した。

「取りようによっては、お前にも得分のある話じゃ。あとはその固い頭でつくづく考えるんじゃな。で、だ。あと一つ聞きたいことがある」
「何でしょうか」

 向き直るエルヴィンへ、小さな目を少女のように輝かせたピクシスが身を乗り出してくる。

「その連中の中に子供が一人おるらしいな」
「ええ、いますよ。十そこそこの、気丈にも正気を失っていない子です。女の子ですよ」
「そうか! やはりな!」

 エルヴィンの答えに司令が嬉しげに吼え、次いで爆笑した。一体何に対する歓喜なのか、読めない一同が黙りこくる中で補佐の女性がか細い溜息を漏らしたが、それはやかましく笑い続けるドット・ピクシスにより掻き消された。





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