MONSTER


 6.モノノケダンス


 巌の周辺は再度ざわめきに包まれた。それは、先程の増援到着の喜びとは毛色を変え、怪訝と警戒が綯い交ぜになった、複雑な呟きの集合体である。巨岩にぽっかりと開いた黒い穴より、次々と人が這い出してくる。律儀に数えていた班員が漏らした呟きは二十三。皆々が汚れ、やせ細り、歩くのがやっとという呈だ。辺りには忽ち悪辣極まりないすえた臭気が満ちる。
 人々は岩から出るなり示し合わせたかのように寄り集まり、そのまま蹲った。遠巻きにこちらを窺う兵団員たちをひどく恐れているようだ。先刻、穴倉で声を嗄らすほどの絶叫を上げていたとは思えないほど、打って変わっておとなしい。大半は項垂れて蹲るものが殆どだが、一部はじきに暮れゆく陽光に目を細めている。先程、唯一意思疎通が出来た男と、子供は後者だ。集団の後方に所在無く座り込み、色のない視線が薄目がちに虚空を見上げている。

「人間が…岩の中に…?」
「いつから…」
「ウォール・マリア陥落からもうじき一年だぞ…」
「…もしかして、そのあいだ、ずっと」

 円を描くようにして、寄り集まった兵士たちが衰弱した人々を取り巻いている。鼻を摘むもの、奇異の目を向けるもの、年端のいかぬ幼子の姿に同情の目を向けるもの、さまざまである。そのうち、穴を出るなり何事かを話し込んでいた兵士らが彼らに近付きはじめた。先頭は剣を収めたリヴァイである。

「オイ、お前ら」

 にべもない呼びかけに、顔を上げたのは子供の方だけだった。のろのろと視線をあげ、眼光鋭いリヴァイの視線をぼんやりと受け止める。男はどこともしれない外の景色を眺めているだけだ。ち、と舌を打つ音が鳴る。

「時間が惜しい。詳しい話は壁内へ戻り次第聞くが、二、三答えて貰うぞ。いいか、つまらんだんまりで俺の手を煩わせるな」
「……はい」

 わたしにわかることでしたら、と伏目がちに子供が言う。

「え、あの、女の子、なの?」

 リヴァイの後ろに控えていたペトラが思わずといったように口を挟む。どうやら少女らしいその子供は、ややあって小さく頷いた。殊勝なその様子に再度ペトラが何事かをいい募ろうとするのを、リヴァイがぞんざいに片手をあげて制する。視線は少女を捕らえたままだ。

「お前ら全員人間、これは間違いないな」
「はい」
「いつから此処にいる」
「…わかりません」
「何故」
「…とても、長いあいだ、あそこにいました。いつから、ということは、わたしにはわからないです…」
「なら質問を変える。何故あんなところに入ってやがった」
「それは…」

 言いよどむ少女の視線がさまよった時だった。蹲っていた男がいきなり痩せた腕を振りあげ、そのまま勢いよく振り下ろす。鈍い音が響く。

「余計なこと言うんじゃねぇぞ、。お前何様のつもりだ」

 したたかに頬を張られ、少女が地に這い蹲る。男は続けざまよろけながらも立ち上がり、呻く小さなその背中を足蹴にする。扱けた頬が影を落とし、ぎらぎらとした眼球が血走っている。痩せぎすだが上背もあり、体格で明らかに劣る子供を憎々しげに何度も蹴り付ける。静観するリヴァイの後ろから慌ててハンジが飛び出してきた。

「ちょっとちょっと! こんな子供になんてことを、」
「うるせぇッ、お前らもこんなガキにものを聞くんじゃねぇ。聞きたきゃこの俺を通しやがれ!」
「ほう、理由は?」

 腕を組むリヴァイが問うのへ、男の歪んだ笑みが返る。

「俺がこいつらを管理してやってたからだよ」

 ぐっ、と片足に力を込め、男が少女の体を蹴り飛ばした。弱っているとはいえ、成人男性の一蹴りに溜まらず華奢な体が転がり、怯える集団の足元で止まる。咳き込む彼女に伸ばされる腕はない。人々は恐々と両者を交互に見るだけである。男が伸びた頭髪を苛立たしげに掻き毟る。脂や泥で固まった黒髪は束に分かれ、指が通る度に得体の知れない塊が落ちる。そこで初めてリヴァイが顔を顰めた。苦りきった顔で舌を打つ。

「デケェ口を利く割には不潔な野郎だな…何が管理だ。全くなってねぇだろうが」
「ぁあ?」

 男がリヴァイを見下ろし凄む。しかし次の瞬間には、先程見せた嘲笑を取り戻し顎を反らした。

「お前ら、調査兵団の連中だってな。なら善良な市民を守るのは当然の義務だろ? ごちゃごちゃ言ってねぇでとっとと俺を運べ。安全なところまでな」

 男の言い草に、遠巻きに窺うのみだった兵団員の顔つきが一様に強張る。ぐるりとその様を見渡しながら、男はにやにやと笑ったままだ。

「俺ぁよ、何の因果かこんなところに居やするが、元は王都商会の人間だ。大方向こうは俺の事死んだもんだと思ってやがるだろうが…、ま、戻りゃそれなりの地位だよ。軍人なら此処で俺に傅いといたほうが得策だぞ」
「王都商会? じゃあこいつら全員シーナの人間ってことか」
「その辺りはまあ、色々な。どうしても聞きたいってんなら説明してやらんこともないが、こんな胸糞悪ィところじゃごめんだな」
「………」

 リヴァイが黙り込み、ややあって、ふと組んでいた腕を解いた。そのまま、ゆっくりと歪んだ笑みを浮かべた男へ向かい、近付いてゆく。ハンジと共に倒れこんだ少女を介抱していたペトラが異変に気づくが、既に有無を言わさぬ回し蹴りが振るわれたあとだった。
 派手な音を立て、痩躯ながらも長身の男が文字通り吹き飛んでゆく。先程己がしたと同じように転がされ、呻きながら蹲るも、そう時をおかずに怒りに釣り上がる目をリヴァイへ向ける。

「何、しやがる…」
「立場がわかっていないようだな。命令するのはこっちだ」

 ゴツッ、と反り返る軍靴の爪先が男の顎先を捕らえた。再度転がされた男が口元を抑え、くぐもった悲鳴を上げる。

「俺たち調査兵団は知ってのとおり壁外調査が主な任務でな。お前ら豚共がよろしくやってる内地の人間と違って商会との関係も薄い。よって義理立てするような事もない。挙句、元々この状況は予想外だ。わかるな? 調査中に救出した民間人の人数なんぞ、誰が正せる」
「ぐ、」
「お前だけ岩に戻るか?」
「やめて!」

 よろけながら、蹴られた少女がリヴァイと男の間に割って入った。蹲る男の頭を踏みつけようとしていたリヴァイの足を押しのけ、覆いかぶさるように体ごとで庇う。怯えが容易に見て取れる青ざめた顔つきで、それでもリヴァイを果敢に見上げる。

「カルノさんは悪くない、わたしが悪いんです。ごめんなさい、謝りますから、もうやめてください!」
「退け。まだ話の途中だ」
「で、でも…、」

 リヴァイの剣幕に圧されたのか、少女は以上を言えずに口ごもる。しかし男の上から退くことも出来ず、おろおろと助けを求めるように周囲を見渡した。依然、寄り集まった人々は何もいわず、加勢もしない。困窮しきったその様子を見かねてか、溜息交じりにハンジが立ち上がり、そのままリヴァイの肩に手をかけた。

「リヴァイ、もうその辺で。この子に罪はないでしょ」
「コイツが退けばいい話だ。それに、こういう馬鹿は痛い目を見なきゃわからん」
「じゃ、それはあとにしよう。他にやることもあるし、じき日が暮れる。時間は有限だよ。こんなところでまんじりとするなんて、それこそ阿呆のする事じゃない?」
「…ふん」

 一理あると見てか、リヴァイは割合素直に男から背を向けた。振り向きざまの一瞬だけ怯える少女を見下ろすも、その後は興味をなくしたように目を背け、すたすたと足早に去ってゆく。向かう先は班員が引き続きつぶさに調査を続けている巨岩だ。外側からの観察を続けているものが殆どだが、何人かは恐々と内部に入っているようだ。抉じ開けた穴周辺でやかましくやり取りをする声がある。ペトラが慌ててリヴァイを追ってゆく。その姿を横目に、ハンジは未だ座り込んだままの少女へ苦笑しながら手を差し伸べた。

「ごめんね、びっくりしたでしょ。立てる? そっちの彼も」
「あ、ありがとうございます、…カルノさん、」
「畜生、あのクソチビ…ッ」
「それ、本人の前で言ったら次こそ殺されるからね」

 そしたら私も庇ってあげられないよ、とあきれ顔のハンジが少女を立たせながら男に言った。カルノという名のその男は未だ地に腰を落としたままだ。片膝を立て、米神に手を当て痛みに顔を顰めている。よほどリヴァイの蹴りが効いたのだろう。

、って言うのかな、名前」
「…はい」

 座り込んだままの男を気にしながら返事をする少女を見て、ハンジがニコニコと笑いながら片手を振る。

「大丈夫大丈夫! もう君にひどいことはさせないよ。誓って私がさせないからね」
「あ…、ありがとうございます」

 気後れした様子ながら、と呼ばれた少女は礼をいい、初めて弱々しくも微笑んだ。カルノが顔を伏せたまま、ちら、と視線だけよこしてくる。あの剣幕からして口汚い罵りの一つや二つはあるだろう。また殴るようなら多少のお仕置きは致しかたない。そう静観していたハンジの意に反して、特になにも言わずにそのまま彼は黙り込んだ。おや、と思わず小首を傾げたところで、束の間姿を消していたルカが岩に来る前に分かれた索敵班兵士二人を連れて戻ってきた。相変わらずの無表情だ。

「ハンジさん。団長が追いつきました」
「え、もう? あちゃーちょっとゆっくりしすぎたかぁ」

 ぺし、と額を叩くハンジにルカが小さく頷きを返す。

「ひとまず先程通過した廃村で待機しているとのことですが、どうしますか。呼びに行かれるなら俺が」
「いや、みんなで行こう。この人数じゃちょっと骨折りだけど、同じ轍は踏みたくないし。それに、彼らもきちんと休ませなきゃね…」

 ハンジが肩越しに振り返る先に、依然寄り集まったまま動きもしない人々の塊がある。相変わらず、何かにひどく怯える青褪めた顔つきのまま一様に俯いて沈黙している。
 依然周囲は騒がしい。点在していたはずの兵団部隊も着々と合流しているようだ。先程まではいなかった筈の、見知った人員が何名かちらほらと窺える。ルカらが言うには、廃村で待つという団長の下へ残りの部隊も集まっているという。此処にいる人員と、団長旗下に居る者で、調査兵団の全員である。きびきびと動く彼らの動作を見守りながら、ハンジはぼんやりとこの後に訪れるだろう団長の指示を予想していた。そこへ、背後からモブリットの声がかかる。

「ひとまず彼らは荷馬車に乗って貰いましょう。全員となると少し狭いですが、まあ我慢してもらうしかないですね」
「うん…」
「なにか?」
「いや、大人しいもんだと思ってさ」

 呟くハンジの視線を追いかけたモブリットが、岩から這い出てきた人を認め、ああ、と相槌ともいえない声をもらす。

「まあ、あんなところにずっといたんじゃ、まともな精神では耐えられない人のほうが殆どじゃないですかね。何しろ得体の知れない密閉空間、放棄された土地で、周りは巨人だらけ、助けが来る可能性もほぼ皆無…、想像するだけで酷ですよ」
「あの年頃の子で、正気を保ってられたのも奇跡ですね」

 モブリットの言葉尻をさらい、ルカが抑揚なくポツリと告げた。全員が何とはなしに集団へ合流した少女を見遣る。というその娘は共に戻ったカルノへ何事かを二三告げ、また煩げにあしらわれている。気後れしたように立ち竦んでいたが、やがて寄り集まる人々の後方へ回り、よろよろと腰を下ろしたようだ。小柄な姿はやせ細った大人たちに隠れ、あっというまに見えなくなる。






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