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乱世は子供に選択を与えない時代だ。名族に生まれ、血と疑念に塗れるばかりの道を歩かざるをえない武士の子も、土民に生まれ、泥と重労働に一生を囲われる農民の子も、そこに貧富の差こそあれど、結局は余地を許されないのは同じである。そして武士の子は家を継ぎ、農民の子は気が遠くなるほど前から受け継がれている田畑を守り、また自らの子達に譲る。子供は大人になって、大人は子供を生んで、変わらない営みは繰り返されてゆく。
彼らで決定的に違うもの、それは、貧しい家には往々にして、思わぬ余剰に対して排除が行われるということである。貧しさを補うための働き手として産み落とされたものの、結局はその貧困に耐えかねて人買に売られる彼らの行く末は様々だ。女児ならば中流家格の小間使いとして買われるなら上等、往々にして見栄えの良い内、若い内に女郎へ身を落とすのが常となる。男児ならば力でとして寺に拾われるか、好色家の遊び相手として囲われるか、ほぼどちらか。何にせよ、一度売られてしまえばそれまでの人生は夢幻だったとして扱われる。名前も取り上げられ、好きに喋る事も自由にはならない。女の胎を必要とせずに、ある日いきなり世に現れた存在となるのだ。親も兄弟も血縁もない。そう教えられて、その子供は生きてゆく。
けれど、には間違いなく兄が居た。今はもう、自分の人生では遠い昔になるほど幼い頃、そう大きくない、けれど暖かな手に繋がれて、共に歩いた感触は確かに残っている。
居たはずの兄が居ないと扱われていることに気づいたのは、何時ごろだったか。不確かであやふやなこの記憶を否定も肯定もはっきりと出来ないのは、には変わらず弟妹が沢山いるからである。農民としてはまだ裕福な方だからか、陰を持ちながらも大らかな両親の口から、口減らしの一言だって、漏れ聞いたことは無かった。弟や妹たちだって、居なくなった兄弟がいる素振りなど、ちらとも見せない。意を決して恐る恐ると尋ねてみても、勘違いだの一言で一笑に付されて終わった。然も可笑しそうに笑う両親や弟妹に重ねて訊けるほど、の中で確信が強固なわけではない。何より、自分の違和感を全て幼い頃の記憶違いと片付けることのほうが容易かった。夢と現の端境を生きる幼子にはそうした陽炎がよくあること。けれど、働き者の両親を見習って忙しく働きまわり、まだ小さな下の面倒を優しく見つめるはじき十六になる。日に日に色を増す瑞々しい花のような娘らしさばかりが綻び、子供心の塊のような疑念を振り切れないまま、ある日織田軍の焼き討ちが村を襲った。

「お前の言うとおりだよ。この家にはもう一人、男の子がいた」

燃え盛る炎に囲まれて、を庇って兵士に背を切られた父親が息も絶え絶えにそう言った。母親や幼い弟妹は既に炎がその身を舐めている。辺りには生き物の焼ける匂いと、地鳴りのような蹂躙の音。村中の彼方此方からあがっていた耳を劈くような悲鳴はとっくに絶えていた。泣き叫びその場を動こうとしないの手を強く握って、よくお聞き、と父親は場違いに優しい声を出す。

「あれは恐ろしい子供だった。そしてそれ以上に、わたしたちは恐ろしい親だった。血を分けた自分の子を、何度も殺そうとして、殺しきれなかった。その度に山へ捨てに行く。けれど必ず、あの子は帰ってきた。獣のような目を光らせて、幼いお前の手を引いてね。――わかるか? 覚えているか? わたしたちは、お前も恐ろしかったんだよ。そしてそれは、間違いじゃなかった」

「見ろ」と、痩せて疲弊した、皸だらけの手が轟々と燃える空を指す。

「この炎、この色。なんと禍々しい、なんと無慈悲な………お前の、その、目の色だ」

緩やかに落ちる手が、視線が、の頬を撫でて肩に落ち、行きなさいと少しばかり押して、沈黙した。辺りには炎、炎。囲炉裏には優しい暖として、祭りには頼もしい象徴として、いつも傍にあった優しい明かりの筈が、今は轟然と牙を向き慣れ親しんだ家を食んでいる。舌なめずりする様な炙りに耐え兼ねた支柱が崩れて身の上に降る。咄嗟に転がれば、焼け焦げた瓦礫はあっという間に両親や兄弟たちを飲み込んだ。土間のひんやりとした土でさえ今は熱を持つ。這い蹲った姿勢から渾身の力を振り絞って断末魔の悲鳴を上げる家屋から脱出する。それとほぼ同時に、支えを失った屋根もろとも凄まじい音を立てて崩れ落ちた。眩い炎が月を隠し、殺戮に跋扈する獣の影を濃密にする。は働かない頭を必死に叱咤して、生きるために走った。闇の中、かがり火を抱いて爛々と輝くその目はまさしく炎のようだった。